「ヒョーゴ殿!」
 
廊下を歩いていた所で名を呼ばれ、ヒョーゴは振り返る。声を掛けて来たのは、何故か握り飯と茶を乗せた盆を持つカムロだった。
 
「何だ」
「すみませぬ、ナマエ殿がどこに居られるかご存じありませぬか?」
「いや、今日は見ていない」
「そうですか…」
 
困るカムロを見て、ヒョーゴは怪訝そうに眉を顰めた。ふと、その香りから湯呑みに入っている茶が薬湯である事に気付く。
 
「…あやつ、風邪でもひいたのか?」
「はい。それで今、これを部屋へお持ちしようとしたんですが、居られなくて」
 
あぁ、とヒョーゴはある場所を思い出す。そして突然カムロの手から盆を取り上げた。
 
「ヒョーゴ殿?」
「俺が運んでおこう。心当たりがある」
 
カムロが何かを言う前に、すたすたと歩き出す。
 
「大人しく寝て居れば良いものを。あの馬鹿め」
 
 
 
屋敷の裏手。その隅にある蔵の戸を開くと、埃とカビの混じったような空気が流れ出す。ここには古い書物などが保管されている。が、アヤマロやウキョウは全く読む気がないらしく、滅多に人が訪れる事がない。そんな薄暗い蔵の一角。小窓から差し込む僅かな光の下に、ナマエは居た。戸が開けられた事も、ヒョーゴが近づいて来るのも気にせず、ただ手にした書物を読んでいる。どてらを羽織り、縮こまるように座る姿はまるで丸まった芋虫を思わせた。塵も埃も気にせず棚に寄り掛かり床に座っているその様に、ヒョーゴは渋い顔をする。
 
「またここか」
「…また君か」
 
ヒョーゴの言葉に、ナマエは書物から顔を上げずに言った。
 
「病人が何をしている」
「折角暇を貰ったと言うのに、自室で寝て居るのは勿体ないだろう?」
 
ナマエは相変わらず書物から目を離さずに答える。そんな様子に、ヒョーゴはため息をつく。
 
「病を治すために与えられた暇だろう」
「だからちゃんと厚着をしてきた」
「こんな所に居ては治るものも治らぬ」
「私にとってはとても心地よい空気なのだがね」
 
ああ言えば、こう言う。ヒョーゴは諦めたように、先程よりも大きな溜め息をつく。すると、全く書物から顔を上げなかったナマエが、ふいにヒョーゴを見上げた。
 
「慣れれば良い物だろう?」
「呆れているんだ、馬鹿め!」
 
どうやら、深呼吸をしていたと思ったらしい。だがナマエはそうかい、とさらり流してしまった。そこでやっとヒョーゴが手にしている物に気付く。
 
「おや、わざわざ持って来てくれたのかい?」
「…カムロがお主を探しておった所に、運悪く出くわしてしまったのでな」
 
運悪く、を強調して苛々と答えるヒョーゴに対し、ナマエはふぅんと口元に笑みを浮かべる。その表情にしまった、と自分の失言に気付くがもう遅い。
 
「ここに居る、と教えてやれば良いのに。君も大概、物好きだね」
「こんな場所を一々説明するくらいなら、自分で行った方が早いと思ったまでだ」
「そうかい。毎度毎度、すまないねぇ」
「…さっさと受け取れ!」
 
ナマエの視界を遮る様に、ヒョーゴは盆を突き出した。のろのろとそれを受け取ったナマエは、盆を傍に降ろすと、そのまま握り飯に手をつけようとする。それに気付いたヒョーゴはすぐさま止めた。
 
「手くらい洗ってからにしろ!」
「これくらい問題ないさ」
「それでは治るものも治らんと言っている!」
「じゃあ後で食べる事にしようか。今、良い所なのだよ」
 
そう言いながら書物を開くナマエの手から、ヒョーゴがそれを奪い取る。
 
「後にしろ!薬湯が冷めるだろう!」
「あぁ、ヒョーゴ。あまり乱暴に扱わないでおくれ、痛んでしまう」
 
おろおろと手を伸ばすが一向に腰を上げようとしないナマエに、ヒョーゴは益々苛立ちを募らせる。書物を手近な棚に適当に置くと、その腕を掴み立ち上がらせようとする。しかし、ナマエは気だるそうに引かれるがままだった。
 
「痛いよ、ヒョーゴ」
「貴様が立てば良いだけだろう!」
「そうは言ってもねぇ…足に力が入らぬのだよ」
 
むーと口を尖らせるナマエを見て、一瞬ただの我儘かと思った。だがはっとして、ヒョーゴは手を放すと片膝を付きナマエの額に手を当てる。
 
「この馬鹿め!こんな熱で何を考えている!」
「大した事はないよ」
 
触れただけで、熱く感じる。普通の者なら大した熱ではないかも知れないが、平熱の低いナマエにとっては高熱だった。
 
「立てないほどの熱が大した事はないと言うのか」
「ここに来るまでは、ふわふわと歩けて居たのだけれどね」
 
ふわふわ、その時点で十分可笑しいと言うのに。ヒョーゴはついに言うだけ無駄だと判断し、ぐいっとナマエの体の下に腕を突っ込む。そしてそのまま立ち上がり、ナマエを横抱きにして持ちあげた。
 
「む?」
 
急に視界がぐらりと動いた事に、ナマエは小さく首を傾げる。暫くして、自分が運ばれている事に気付いた。
 
「…重いだろう、ヒョーゴ」
「あぁ。太ったのではないか?」
「ふふっ、言うようになったじゃあないか」
 
怒りもせず、ナマエは笑う。すると突然ぬっと腕を伸ばし、ヒョーゴの首に絡めた。絡めるというよりは、ただ肩に腕を引っかけたような状態だったが。そのままヒョーゴの胸に凭れ掛る。
 
「…歩き難い」
「女子に向かって太ったなどと言った罰だよ」
 
持ち直す事も出来たが、ヒョーゴはそのまま歩き続けた。ナマエは満足そうに瞳を閉じると、そのままうつらうつらと眠りに落ちて行った。
 
 

081001
 
 
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