暗い暗い水底に沈んで行くような感覚。水圧で胸が押し潰されそうになる感覚。浮かび上がろうともがいてもがいて伸ばした私の指先は、細くしなやかな手に絡め取られて動きを止めるのだった。
 
「起きた?俺の部屋で無防備に眠ってしまうなんて、余程疲れてたのかな。それとも、ようやく俺に対する警戒を解いてくれたと思っても良いのかな?」
 
仕事机であるデスクの向こうからこちらを眺める男は、酷く楽しげな、ともすれば酷く嬉しそうにも見える表情を浮かべていた。黒い革張りのソファーから重たい身体を起こすと、胸の上から腿の方へと男のコートが落ちて行く。どういう理由であれ、この部屋に私とこの男しか居ない以上、必然的に男がこれをかけてくれたのだという事実に、吐き気を催す。摘み上げるようにしてそのコートをソファーの端へ放る様子を見ても、男はわざとらしく肩を竦めるだけ。
 
「…出来たの?」
「あぁ、かれこれ一時間前くらいにね」
 
数十枚に及ぶ紙の束が無造作にデスクの上に放られるのを見て、私はソファーから立ち上がる。
 
「それなのに何故俺は君を起こさなかったのかと言うと、理由はいくつかある。一つは君がとても嫌いな男の部屋で呑気に眠ってしまう様な人間だったという事が新しい発見と共に俺に一種の新鮮さを感じさせてくれたから、そんな状況を少しでも長く楽しんで見たいと思った。一つはそんな君が目覚めた時にとてもとても嫌いな男から風邪を引かないように、なんて気遣いから優しくコートを掛けて貰って居た事を知ってどういう反応をするか見たかった。これについてはさっき結果が出た訳だけど、予想の範囲内で少しつまらなかったな。あとは眠っている君の眉間に皺が寄っていたから、もしかして夢の中でもとてもとてもとても嫌いな俺という男に会ってくれてるんじゃないかと柄にもなく期待してた訳なんだけど」
 
男の言葉の全てを聞き流して紙の束に綴られた文字の数々を頭に入れる事だけに集中していた私の意識は、デスクの上に身を乗り出すようにして伸ばされた男の手により私の腕の動きが制限された事で、否が応でも引き戻された。心から嫌悪を込めた瞳で男を見やっても、私を見詰める紅が歪むだけ。
 
「ねぇ、どんな夢を見てたの」
 
その手に掴まれただけで、私の身体は麻痺したかのように動かなくなる。周囲の水などとは比べ物にならないような冷たさが、その手から私の全身へと広がって行く。まるで内側から凍らされていくように。その手は私をすくいあげる事も、より一層沈める事もせず。ただ、ゆっくりと沈んで行く私を一番近くで眺めては、楽しんでいるかのようだった。
 
 

101018
 
 
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