「好きだ」
 
ナマエが淹れた珈琲の香り漂う執務室で、今し方この場を去ろうとした細腕を引き留めて告げた言葉が思っていたよりも軽やかに口から零れ落ちたのは、これまでの経験と裏付けからくる絶対的な自信によるものだった。こいつが俺を拒む筈は無いと。だが、そんな予想とは裏腹に、ナマエは驚きによって瞳を大きく見開いた後、その頬を朱に染めて恥じらうでも無く、喜びの涙を浮かべて身を震わせるでも無く、まるで酷く耐え難い苦悩に苛まれるかの様に悲痛な表情をその顔に浮かべたのだ。思わぬ反応に多かれ少なかれ困惑しながらも、再度同じ言葉を、より明確に伝える為にナマエの腕を強く引き寄せる。苦も無くこの胸に収まる筈であった小さな身体は、けれどもやはりこちらの思惑を裏切るかのように突き出された腕によって制されてしまう。ナマエの腕から抱えていた書類の束が滑り落ち、床に散乱する。そのまま俯かれてしまってはもう表情すら窺い知る事が出来ない。
 
「ナマエ……」
 
如何した、如何して。続く筈の言葉は喉の奥に閊えてしまい、情けなくも出て来ない。為す術も無く立ち尽くすのみとなってしまった俺の手をナマエの手が緩やかに解いてしまった事で、辛うじて繋がっていた何かさえも途絶えてしまった今、如何にしてそれを取り戻せば良いのかも解らなかった。
 
ナマエは僅かな間、そうして散らばった書類へと視線を落としたまま微かにその肩を微かに震わせていたが、やがてあげられたその顔には歪ながらも笑みが浮かんでいた。
 
「……有難う御座います。兵長のお気持ちは、とても嬉しいです。だけど、ごめんなさい、私はそれにお応えする事は出来ません」
 
そうしてもう一度、「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にしながら頭を下げ、ナマエは落とした書類を拾い始める。数秒前までは思いもしなかった結果に不覚にも動揺してしまった俺が次なる行動へと移ったのは、情けなくもナマエが書類を拾い終え、一礼をしてから部屋を出ようとしたその時だった。開き掛けた扉を押さえ付けるように勢い良く閉め直し、驚き振り向いたナマエの横へともう一方の手を突き腕の中へと閉じ込め、問う。
 
「何故だ、理由を言え」
「……兵長の事を、そういう目で……恋愛対象として見る事が、出来ないからです……」
 
視線を逸らし、途切れ途切れに言葉を発するその様からしても明らかに嘘だと解る。先に述べた通り、俺が想いを告げるに至ったのはナマエがそれを受け入れるという確信があったからだ。端的に言えばナマエが俺に想いを寄せている事に気付いていたからだ。具体的な何かがあった訳では無い。だがナマエが補佐官に任命され、必然的に接する時間が長くなってからその様子は日々の至る所で顕著に現れるようにもなっていた上、いつぞやハンジに相談と称して己の気持ちを僅かだが吐露していたという話も耳にしている。最初こそ兵士としての尊敬や憧れの類だろうと相手にしていなかったが、いつの間にか心動かされた結果、今や俺自身もナマエの事を他の奴の手に渡したくは無いと思う程度には憎からず想っていた。だというのに、この結果は何だ。その様な答えで納得するなど到底出来る筈も無い。
 
「手を、退けて下さい……」
「……断る」
「兵長……、っ!」
 
それ以上拒絶の言葉を紡がせぬよう口を塞いだ。再び書類が床に落ちる音を聞きながら、逃げようと足掻き続けるナマエを追い詰める。徐々に呼吸を荒げ背後のドアに身体を預ける様になっても猶俺の胸を必死に押し返そうとする両の手が煩わしく、一抹の悲哀とそれ以上の焦燥が胸の内を覆った。遂には己の身体を支え切れなくなったナマエがドアに凭れ乍ら崩れ落ちたところで漸く身を離し、手の甲で口元を拭う。肩で息をするナマエの頬は酸欠によって赤みを帯び、目尻からは絶えず涙が零れ落ちていた。
 
「……お願いです、兵長……これ以上は、もう……」
「悪いが、」
 
懇願する声を無視し、屈み込んでその顔を無理矢理に掬い上げる。反射的に閉じられた瞳は程無く緩やかに開かれて行き、互いの視線が交わった。水の張ったその瞳に映り込んだ俺は酷く情けない表情を浮かべ、非難染みた目でこちらを見ている。然し、だから何だと言うのか。こうなってしまった以上最早踏み止まる事はおろか、元の鞘へと収まるような気は微塵も無い。元より逃がすつもりも、だ。
 
「少し大人しくしていろ。そうすれば、手荒な真似はしない」
 
その瞳が大きく揺らいだ様を見たのを最後に、強張ったその身を床へと引き倒した。
 
 

140字SSお題より
140809

 
 
BACK
 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -