コンコンと、ガラスを叩く音が聞こえて目が覚めた。一度は気付かぬ振りをしていたが、再び同じ音がした為、私はゆっくりと瞼を持ち上げる。薄暗闇の中、分厚いガラス一枚を隔てた向こう側から、見知らぬ男が私を覗き込んでいた。男は私の目が開いたのを見て、少しばかり驚いた様子である。その口が金魚のようにパクパクと開閉し、男が何かを話しているのに気付く。ガラスをちょいちょいと指差されたところで、ここを開けるように言っているのだと理解した。私が緩慢な動きで開閉ボタンへと触れれば、私達を隔てていた厚いガラスはゆっくりと上に向かって開いていく。ぶつからないようにと身を引いて居た男は、ガラスが全て開き切るより前に、隙間に身体を入れて再び私を見下ろしながら、開口一番にこう言った。
 
「死んでいるのかと思いました」
 
私は思わず眉を顰める。男の浮かべる笑みが不快感を煽っているらしかった。なんと縁起の悪いことを言う。
 
「……工兵が、一体何の用?」
「あぁ、申し遅れました。私、新しくこの機を担当させて頂く事になりました、林田ヘイハチと申します。貴女がこの機の操縦士で?」
「そうだけど」
「少し機内の整備をさせて頂きたいのですが」
 
そこ、どいて頂いても宜しいですか?小首を傾げた林田とかいう工兵は、暗にそう告げている。仕方無く身体を起こし、席を立つ。すっかり開き切っていたガラス蓋に手をつきながら林田の居る方とは反対側の縁へと上がると、それまで私が居た場所へ代わりに林田が乗り込む。斬艦刀の操縦席。静かに機体を起動させ、計器類のチェックをして行く様子を眺めてから、私は他の斬艦刀が並べられているこの格納庫内をぐるりと見渡した。明かりは消えており、窓の外から見える景色もまだ薄暗い。時刻は間も無く明け方といったところだろうか。本来ならばまだ眠っていられたのにと、溜め息をつく。
 
「随分と仕事熱心なのね」
「忙しくなる前に、一通り終わらせておこうかと思いまして。今日は朝から出撃要請が出ておりますし。…まさかここでお休みになられて居るとは思わなかったものですから」
 
申し訳ありません、と言いながらも終始笑みを崩すことの無いその様子は、私の言葉を嫌味と理解していながらも、さして気にしていない風に見え、私は益々眉間の皺を深める。それでも林田を叩き出すような真似をしなかったのは、彼が手際良く作業を進めていたからだろうか。人としてはどうあれ、工兵としての腕は確からしい。
 
「普段からかなりしっかりと手入れなさっているようですね、驚きました。特攻の方にしては珍しい」
「好きで此処に居る訳じゃないわ」
 
感心したような林田の声を聞き、思わず否定の言葉を口にしていた。特攻隊などに配属されるのは、自ら志願した者や余程の手練れか、もしくは上層部の意に沿わない厄介者くらいだ。私は、その後者である。人よりも多少操縦の腕に長け、人よりも少し、死に対する恐怖心が薄く、そして僅かばかり我が強い。それだけ。尤も、それらを周りがどの程度として見ているのかは、私の知ったことではないが。
 
「終わったのなら、早くどいてくれない?他人にそこへ居座られるのは、好きじゃないの」
「大事になさってるんですね、この機体を」
 
戦場では自分の命を託す相手なのだから、そんなのは当たり前だ。たとえ最も破壊される可能性が高いからと言って手入れを怠るのは、自らその危険性を押し上げるようなものなのだから。唯、
 
「お好きなんでしょう?機械を弄るのが」
 
林田のその言葉で、咄嗟に何かを言うことが出来なくなってしまった。
 
「すぐに解りましたよ。随所に細かな改造が施されている、それも中々に見事なものだ。常人はその違いに気付かないかも知れませんが、さぞやこの機体は扱いやすいことでしょうね」
「……だったら、なんなの」
「貴女の様な方が特攻などに居るのが勿体無いと、そう思ってしまいまして」
 
ギリッと奥歯の鳴る音がした。私だって、私だって、本当は工兵になりたかった。油まみれになりながら機械を弄る父の背を見て育った私は、いつか自分も立派な技師になる事を夢見ていた。戦が始まり、父が徴兵され、母が亡くなって、私は自ら軍に志願した。けれど配属された先は、特攻。操縦技術を買われて、という名目になっては居るが、一番の原因は女としての務めを拒んだ事にあるのだろう。上層部にとって誤算だったのは、私がその配属を受け入れた事だ。今ではさっさと死んでしまえとすら思われているのかも知れないが、もはやそんな事はどうでも良かった。父のようにはなれないならば、せめて、この機に私の持てる技術の全てを注ごうと。それを、今日初めて会った男に、
 
「初めて貴女を見た時、死んでいるようだと思ったのは、この斬艦刀が棺桶に見えたから……だったのかも知れません」
 
見抜かれるだなん、て。
 
「死ぬつもりだったんですか?」
 
林田が、小さな部品を持つ手を開く。脱出装置の部品。私が外して置いたものだ。
 
「……よく気が付いたわね」
「生憎夜目が利く方で」
「もしそうだとしたら、何?止めるつもり?……今日の戦は今までとは違う。仮にそんなものがあったって、どうせ生き残れやしないわ」
「そうだとしても、操縦士の安全を守る事が私の仕事ですから。これはきちんと修理させてもらいますよ」
「死地に送り出すのが、の間違いじゃない?」
「ははっ、そうかも知れませんね」
 
軽口を叩きながらも林田は手早く正確に部品を取り付けて行く。程無く、機体は万全と言えるまでの状態に整えられてしまった。一瞬でもその事に感心してしまった自分が酷く悔やまれる。せめてもの思いで「お待たせしました」と言って操縦席から這い出る林田を横目で睨み付けてやる。
 
「態々有難う、工兵さん」
「お粗末様です」
 
再び操縦席に潜り込んだ所で、「ああ」とわざとらしい声が聞こえて来る。まだ何か用かとそちらを見やれば、目覚めた時と同じく、林田が両手を縁についてこちらを覗き込みながら言う。
 
「私はね、自分が手入れした武器を扱う人達には、常に大いに戦果を挙げた上で無事に生きて戻って欲しいと、そう願ってるんですよ。でなければ工兵の功績なぞ、認めては貰えぬでしょう?これは私達なりの戦いなんです」
「だから、なに?」
「私が立ち去った後で、さっきの装置を再び外したりしないで下さいね」
 
これ程までに笑顔という物を苦々しく思ったのは初めてだ。何もかも見透かされている様で無性に腹が立つ。
 
「しないわよ、そんな事」
 
そう吐き捨てると、林田は満足気な様子で「それは良かった」と口にして、漸くこの場を後にするかに思われた。けれど最後に、これまでに無く真剣な声で「ナマエさん」と私の名を呼ぶものだから、思わず閉じ掛けていた瞳をもう一度だけ開き、林田を見やった。
 
「生きて、帰って来て下さい」
 
私は、真っ直ぐに向けられた林田の視線に耐えられず、無言のままガラスを閉じた。
 
 
 
 
 
結局、私はその後の大戦に於いてもしぶとく生き残った。けれど林田の言ったように、帰る事は叶わなかった。何の因果か、林田の手によって修理された脱出装置によって辛うじて命を繋ぎ止めた私が次に気が付いた時には、既に大戦そのものが終わりを迎えていたのだ。私の所属していた、北軍の敗北という形を以て。されど、寄る辺を無くし、サムライとしての生を断たれて漸く、私は己の望む道へと歩み出す事が出来た。今は虹雅渓という谷底の街で小さな機械屋を営んでいる。時折空を恋しく思う事はあるが、然して戻りたいとは思わない。やがて当時の記憶も徐々に薄れて行った頃、不意に見覚えのある姿をした客が訪れた。その人物が身に纏って居たのは、紛れも無く北軍の工兵が身に付けていた作業服であり、頭巾の下から僅かに覗く橙色の髪に一人の男の姿を重ねた時、ゴーグルの下から変わらぬあの笑顔が現れる。
 
「ご無事だったんですね、ナマエさん」
 
その言葉に酷く安堵してしまった自分が、矢張り如何にも情けなく思えてならなかった。
 
 

140329
title by ヨルグのために
 
 
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