幼い頃の記憶はあまり無い。ただ一つだけ、今も鮮明に思い出せる事がある。
 
早くに戦で親を無くした俺は、山奥にある古寺で育った。そこには自分の他にも同じような境遇の謂わば孤児達が何人か居て、寺の手伝いや自分達で食べるための作物を作る畑仕事をしながら、何とか暮らしていた。そこでは幼い子供達に剣術を教え、戦場へと送り出すこともしていた。今にして思えば、争いを醜い事とし俗世との交わりを断ち、仏門へと入るための寺で何故そのようなことが行われていたのかと疑問に思わざるを得ないが、そういう時代だったのだとしか言いようがないのだろう。とかく、そこでは必ず剣術の稽古をするよう決められており、中でも俺とナマエは他の奴等とは一線を画す才を持っていたように思う。
 
「はっ!」
 
短い呼気に乗せた鋭い突きが繰り出される。それを何度かかわした所で跳躍し、体重を乗せた一撃を降り下ろす。しかしそれはナマエをとらえることなく地面を叩きつけるに終わった。瞬時にナマエの姿を目で追うのと同時に視界の端から横薙ぎにするような木刀が迫る。咄嗟に頭を低くしそれを間一髪でかわしたところで、こちらも同じく木刀を水平に振るう。当て推量な攻撃ではあったが、腕には軽い衝撃が残る。遅れてそちらへと目を向ければ、距離を取った先でナマエが僅かに顔を歪めながら脇腹を押さえていた。
 
「あいたた…」
「おれの勝ち、だ」
「…ちぇっ、わかったよぉ」
 
口を尖らせながら、ナマエがごそごそと腰の巾着を漁る。中から出てきたのは、赤い色をした木の実。このあたりでたまに見かけるそれは、俺達にとって数少ない甘味だった。渋々といった様子でそれを手に乗せこちらへと差し出すナマエ。俺達はいつも、この木の実を巡って争いを起こしては、そのたびに木刀を交えていた。ナマエの手からそれを受け取り、自分の巾着へとしまいこむ。
 
「もー、なんでキューゾーはいつも食べずにしまっちゃうの?」
「ナマエの居ないところで食う」
「どうして?」
「またよこせと言うだろう」
「…そんなこと言わないもん」
「言う」
「キューゾーのいじわる!」
 
小さな舌を突きだしたかとおもうと、突然ナマエは踵を返して走り出す。俺もその後を追う。
 
「ついてこないで!」
「どこに行く」
「もっかいさがしに行くの!」
「もうすぐ日がくれる」
 
すばしっこいナマエを捕まえるのは少しばかり苦労する。けれど最後には追い付いて、その細い腕をつかんだ。振り向いたナマエはその目いっぱいに涙を溜めて、今にも泣き出しそうだ。然し俺の前では意地でも泣かないとでも決めているのか知らないが、それがこぼれ落ちたところはこれまでに見たことがなかった。
 
「…帰るぞ」
「やだ!はなして!」
「またおこられる」
 
そういうと、ナマエはぐっと黙り混む。それでも根が生えたかのように頑なにその場を動こうとしない様子を見て、俺は俯いてしまったその頭をそっと撫でてやる。
 
「あとで木の実をわけてやる」
「…ほんとに?」
「だから帰るぞ」
 
それを聞いたナマエはぱっと顔を上げて、それまでの涙はどこへいったんだと尋ねたくなるような、屈託の無い笑みを浮かべるのだ。
 
「…うんっ!えへへ、キューゾーだいすき!」
 
体当たりするくらいの勢いで飛び付いてくるナマエを受け止めて、その背を軽く叩く。程無くして離れたナマエは、俺の手を引いてぐんぐん帰り道を歩いていく。鼻歌すら歌いだしそうなその雰囲気に、何となく心がほっこりと暖かくなるような気がした。実のところ、俺はあまりこの木の実が好きではなかった。けれどナマエと剣を交えるのは楽しかったし、ナマエが怒ったり笑ったりする顔を見るのは面白かった。何よりもこの心が満たされていくかのような感覚が心地好くて、俺はわざとナマエに木の実を寄越せとつっかかっていたのだ。勿論、ナマエはその事を知らない。他の奴に同じ事をしても何も感じないのに、どうしてナマエと一緒に居るときだけは幸せな気持ちになるのか、その時は解らなかった。ただ、自分にとってナマエは特別で、とても大切な存在であることだけは確かだった。
 
 
 
 
 
幾度目かの季節が巡り、年月が経っても、俺とナマエの関係が変わることはなかった。ただ、昔は俺と同じ様な身体をしていたナマエが段々と丸みを帯びた柔らかな体躯になって行くのに複雑な思いは抱いていた。今までのように木刀を打ち込んだら、それは果実のように弾けてしまうような気がして、無意識に力を押さえる俺に対してナマエは不満げな様子だった。
 
「今、また手加減したでしょ」
「していない」
「嘘。だってあんまり痛くなかったもん」
 
俺の放った一撃を受けた腕を擦りながら、ナマエがむくれる。こういう時どうすれば良いのかこれまでの経験から十分に理解していた俺は、差し出された木の実を受け取ってそのままナマエの口元へと突きだした。物言いたげな目で俺と、目の前の木の実へとを視線をさ迷わせた後、結局はそれを口にする。
 
「…なんかすっかりキュウゾウに餌付けされちゃってるみたい」
「負ける方が悪い」
「次は私が勝つもんねー、だ」
 
すぐに舌を出す癖はまだ直っていないらしい。
 
 
 
 
 
俺が戦に出ることになったのは、それからまもなくの事だった。ナマエよりも一つか二つほど上なので、俺だけが先にここから出ていくことになる。それは幼い頃から解っていることだった。けれどいざその時がやってくると、もう二度とナマエに会えなくなるかも知れないという不安が押し寄せる。それはナマエも同じ気持ちだったのだろうか、その話を耳にしたときからずっと沈んだ様子だった。その日の夕方、俺達はいつものように二人で稽古をした。だが使うのは木刀ではなく、真剣。無論、互いに怪我を負わせぬように寸でのところで止めることになってはいたが、木刀の時以上に、ナマエを傷付けてしまうかもしれないと言う恐怖に駆られた俺は、気付けばナマエに組み伏せられ、首筋に刃を宛がわれていた。
 
「へへ、私の勝ちー」
 
ナマエが、その場に似合わぬような気の抜けた笑みを浮かべる。いつもならば決着がついた途端手放しで喜び、すぐに木の実をせがむような奴だというのに今は俺の上から降りようともしない。その事を疑問に思った時、ナマエの髪がはらりとその肩から滑り落ちた。それはナマエが身体を丸めるようにしながら顔を伏せた為だと気付くが、それが何を意味するかまでは解らない。どうした、とナマエの名を口にしかけた所で、ナマエの方が幾分早くに言葉を発していた。
 
「…キュウゾウ、行っちゃやだ…」
 
その声が震えているのに気付く。片腕を抜き出してナマエの顔に掛かる髪を除けながらその頬へと手を添えたとき、熱い水が指先に触れた。ぽとりと、反対側の頬からも小さな滴がこぼれ落ちる。涙するナマエを見るのはこれが初めてだった。驚き、言葉を失う俺に構わずナマエは続ける。
 
「私にだって負けちゃうんだよ…戦に行ったら、きっとキュウゾウなんかすぐに斬られちゃうよ」
「…そんな事は、無い」
「嘘。キュウゾウは優しいから、人を斬る事なんて出来っこないもん」
「出来る」
 
今や大粒の涙は止めどなく流れ、俺の手まで濡らしていた。程無く、ナマエがすがり付くように俺の胸へと顔を埋めてきた事でその手は頬から離れてしまったが、まるでそこだけが熱を持ったかのように熱い。啜り泣くナマエの背を出来るだけそっと撫でてやる。いくら木刀を叩き込んでも壊れる事のなかったナマエは、今や触れただけでも崩れてしまうのではないかと思うほど心許ない。俺の胸に今まで経験したことの無い痛みが生じる。それはまるでナマエの哀しみが染み込んでしまったかの様で、これが切ないという気持ちなのだと思った。
 
「…ナマエ、重い」
 
徐々に胸へとかかる重みが増して来た為、呼吸が苦しくなってきた俺は控え目に声を掛ける。ナマエは小さく肩を震わせ、渋々といった様子で漸く俺の上から降りた。ただ、離せば逃げるだろうと言わんばかりに俺の袖をしっかりと握りしめている。
 
「行っちゃ、やだよ…」
 
それが出来ぬ相談である事はナマエも理解している。だからこそ俺は身を起こし、袖を掴むナマエの手を解いて、代わりに握り締めてやった。丸い瞳を大きく見開いて俺を見詰めるナマエは、こんなにも美しかっただろうか。頬を伝う真珠のような涙がそう思わせているのかも知れない。何があっても涙を流す事は無かった、弱音を吐く事は無かった、そんなナマエが今こうしているのは、少なからず俺と同じ想いを抱いているからなのだろうか。そう思うと、胸の内が熱くなった。いっそこのままこの手を引いて、何処か遠くへ駆け出してしまいたくなる衝動に駆られた。けれど幼い俺達は、それが叶わぬ事であるとも知っていた。
 
「泣くな」
「やだ、やだ…キュウゾウが行かないって言うまで、ここに居るって言うまで、泣き止まない…」
「それは出来ない」
「…ばか、キュウゾウのばか…っ」
「ナマエ」
 
俯きかけたナマエの顎を掬いあげて、その唇に自分のそれを重ね合わせる。それが何を意味するのかは解らなかったが、そうするべきだと思った。そうしたいと思った。
 
「戦場で待っている」
 
その時に見たナマエの顔を、俺は一生忘れる事は無かった。
 
 

110805
title by 虚言
 
 
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