何となく、こうなる予感はしていた。それは私からしか電話を掛けなくなった事だったり、メールの返事がいつまで待っても返って来ない事だったりと、本当に何となく程度の些細な積み重ねだったけれど、気のせいだと思い込むのは限界だった。だから彼からのメールに「他に好きな人が出来た」と書いてあるのを見ても、やっぱり、としか思わなかったのだと思う。そのメールにはただそれだけしか書かれていなかったけれど、彼が何を言おうとしているかなど、聞かなくても流石に解る。別れよう。その文章の後に続くだろう一言は、もはや明白だった。所詮遠距離恋愛など長続きするはずが無かったのだ、そんな事初めから解っていたじゃないか。だけど、それでも、彼とならもしかしてなんて、メルヘンチックな考えを起こしてしまった私が愚かだったのだ。しかし、それにしたって、これで終わりにしようだなんてあまりにも酷過ぎやしないだろうか。夢見る乙女と嘲笑われようと、それなりの理由があったから信じたのだ。それは共に過ごした年月だったり、共に作り上げた思い出の数々だったり、私にとってはどれも掛け替えの無く貴重で重要な事柄だった。それら全てを、たったこれだけの、しかもメールで、全て無かった事にしようと言うのだろうか。それはあまりに酷というものだろう。現に私はこれだけの事を頭では理解しながらも、携帯を固く握りしめたまま、気付けばぼろぼろと涙を零していたのだ。薄々気付いていながらも、彼がこれを送って来るその瞬間まで、その事実に向き合う事が出来なかった。そしてそれがはっきりとした今もなお、彼の事が好きだという気持ちに変わりは無かったのだから。
 
「…あ、」
 
場違いとしか言いようが無いほど間の抜けた声が聞こえたのは、まさにそんな時だった。いや、本来場違いなのは放課後の教室に一人残って携帯を手に突っ立ったまま泣いているという今の私の方なのだろうが、委員会も部活動も終わって殆どの生徒が帰っただろうこの時間に、よもや自分以外の生徒が教室に来るなんて思いもよらなかったので、やはり場違いなのは相手の方なのだと思う。因みに私は委員会の後に運悪く顧問の先生に捕まって先程まで片付けの手伝いをさせられていた。声のした方へ顔を向けると、そこに立っていたのはクラス一の問題児、平和島君だった。所々に殴られた様な痕や擦り傷があるのを見ると、恐らく今日もそこらの不良相手に盛大な喧嘩を繰り広げて来たのだろう。何とも運の悪いタイミングで運の悪い相手に遭遇してしまったものである。変に絡まれてしまう前にさっさとこの場を後にすべく、私はそそくさと荷物を鞄に詰め込んで、平和島君の横をすり抜けようとした。した、のだが。
 
「おい」
 
驚いた様な声と同時に腕を掴まれ、その目論見は叶わなかった。というか、驚いたのはこっちの方だ。クラスメイト、とはいえ一度もまともに話した事の無い不良相手に何故引き留められなければならないのだろうか。私が何かしたというのか。ただ教室でほんの少しばかり泣いてしまっただけじゃないか、それがいけなかったのだろうか、それが不幸にもこの不良の興味を惹いてしまったのだろうか。だとしても頼むから今はこれ以上打ちのめさないでくれ、立ち直れなくなってしまう。そうした様々な考えを巡らせるのにどれ程の時間を要したのかは解らなかったが、その間、平和島君の方も何も言わぬまま黙っていた。ただ、掴まれた腕は一向に離してくれる気配が無かったので、私はその場から動く事も出来ないまま、暫し奇妙な沈黙が流れる事になった。
 
「な、な、にか、ごようです、か」
 
やっとの思いで発する事の出来た言葉は自分でも呆れるほどぎこちないもので、平和島君の手がぴくりと震えたのが解った。とはいえただでさえショックを受けている時に、訳の解らないのと怖いのとがこうも重なっては、仕方が無いとしか言いようが無い。もうどうにでもなれとすら思い掛けた時、漸く平和島君が口を開く。
 
「その…大丈夫、か?」
 
何処をどう見たらそう思えるんだと問いたい、小一時間問い詰めたい。勿論そんな事を言う度胸など微塵も無いので、私の答えは一つに決まっている。寧ろそれ以外の答えがあるというのだろうか。慣れ親しんだ友人相手ならばともかく、あの平和島静雄相手にだ。私は振り返り、平和島君を見る。そして初めて、その顔が不安げな表情を浮かべている事に気が付いた。思わず目を見開く。全く意味が解らない。こうして引き留められた事も、気遣われる意味も、平和島君がそんな表情を浮かべる訳も、何一つ私には理解出来ない。震える唇を開き、私は言った。
 
「だ、だい…だいじょ…だいじょばない…っ!」
 
そうして再び溢れ出した涙が止まるまで、よく知りもしない平和島君の前でわんわん泣いた。そんな私など放って帰ってしまえば良いのに、自分が泣かせたと勘違いをしてしまったのかどうかは知らないが、平和島君は私が泣きやむまで待っていてくれたどころか、自分の鞄から路上で配っているようなポケットティッシュを探し出して私に差し出してくれた。そこは普通ハンカチとかじゃないのだろうかと思いながらも、涙と共にずるずると溢れ出してくる鼻水をかむ為にはこちらの方が良いだろうとこの人なりに考えての事だったのかも知れない。泣き止んだ頃には幾分気分も晴れて、化粧が崩れて酷い顔になってるだろうな、程度の下らない事を考えられるほどには回復していた。
 
「ごめん、ありがとう…」
「あぁ…」
 
平和島君に貰ったポケットティッシュはすっかり空になってしまったので、私が持っている分を返すべきだろうかと悩む。でも今持っているのは使い掛けのやつだから、後日まだ封を切っていない新しい物を持ってくるべきだろうか。でも所詮はポケットティッシュだし、そこまで深く考えなくても…なんて事ばかり考えてしまうのは多分、平和島君と二人きりという非常に居心地の悪いこの状況において少しでも気を紛らわせたいからだと思う。何話せば良いか解んないし。こんな時間まで何してたの?って聞いて喧嘩してたって言われたらあぁうんそっかとしか答えようが無い。怖い。かといってじゃあ帰りますとも言えないので、取り敢えずみっとも無いティッシュの残骸だけゴミ箱に捨てて置く。盛大に鼻をかんでいる場面をたった今まで散々見られていたので、物凄く今更としか言えなかったが。
 
「何か、あったのか?」
 
それにしてもこれからどうしようこの状況どうしようと私が尚も悶々としている最中、平和島君が唐突に口を開いた。え、それ、聞いちゃいますか、今ここで。何とも言えない気分になりながらもそれに答える気になったのは、平和島君がただの好奇心から聞いている訳では無いような気がしたからだろうか。何の根拠も無いけれど。
 
「遠距離恋愛中の彼氏が居たのですが、さっきメールで他に好きな人が出来たと言われてしまいまして。ようは振られて惨めに泣いていた訳です、はい」
 
極力いつも通りの自分を意識しつつ答えてみたのだが、平和島君は「そっか」と呟いただけでまた辛そうな表情に戻ってしまった。だから何で平和島君がそんな顔をするんですかと。
 
「平和島君が気にする事じゃ無いよ、うん」
 
思わず口にしてしまったところで、顔を上げた平和島君と目が合う。
 
「泣く程好きだったんだろ。いや、まだ好きだから泣いてた、のか?」
「まぁそうだけども」
「だったら、気にする」
 
うん、…うん?言ってる意味が良く解らないぞ。私が彼を好きで居る事と平和島君がそれを気にする理由が結び付かない。いや、一瞬とある可能性を思い浮かべたけれど、無い無い、あり得ない。だって、え、可笑しいだろう。まさかまさかとあまりに下らない事を考えてしまった自分に呆れ笑いすら浮かんで来そうだもの。いや、実際ちょっと口元が引き攣ってたかも知れない。幸い平和島君は再びそっぽを向いていたので、私がどんな顔をしていようが恐らく気付かれはしなかったが。
 
「な、なんで平和島君が気にするんですか。平和島君には関係無い……無い、よね?」
「お前にとっては関係ねぇかも知れねーけど…俺にとってはある」
「それはつまり、えぇと…ど、どういう意味ですか」
 
段々と平和島君の表情が固くなってきたというか、怒ってるような不機嫌そうなものになってきたように見えるのは気のせいだろうか。眉間には薄らと皺が寄っている。今の会話の中に平和島君の機嫌を損ねる様な内容の話しがあっただろうか、それとも私の態度の問題なのだろうか。この人の沸点が全く解らない。解らないけどいざ怒り出したら確実に怖いという事は解ってるので迂闊に行動が取れない。もうどうしたら良いんだ、何でこんな目にあってるんだ私は。一向に視線すら合わせようとしてくれない平和島君。その顔は夕日に照らされて赤く染まって見える。…いや、これ、夕日のせい、か…?あり得ない、あり得ない想像が再び甦ったまさにその時、平和島君が睨みつける様な真っ直ぐな目で私を見る。
 
「手前が好きだからに決まってんだろうが、気付け馬鹿」
 
いや無理だろ。咄嗟に口から飛び出そうになった言葉を何とか飲み込んだ。いや、いやいや、無理だって。そんなの気付く筈ないって。だって今の今までろくに話した事も無いしいきなり目の前でずるべちゃになるまで泣いたしっていうか今もまさに酷過ぎるとしか言い様の無いだろう顔を見られてるわけだし何よりコンクリートの校舎とかを拳で叩き割るような平和島君がこれといって取り柄も無ければ目立つ事もないような平凡としか言い様の無い私みたいな女を好きになるだなんて誰が想像出来るっていうんだ。だけど目の前の平和島君は耳まで真っ赤にしながら真剣な表情でじっと私の返事を待っているものだから、下手な冗談やめてよーとか、そんなふざけた事を言える雰囲気じゃ全く無くて。でも、それにしたって、
 
「それ、今、言う事かなぁ…」
 
思わず俯いてしまう。ついさっきまでありったけ泣いて一応はすっきり出来た筈だったのに、また思い出してしまったじゃないか。まだ未練たらたらだってこと、平和島君も気付いてた癖に、何でこんな時にそんな事を言うんだ。平和島君が本当に私の事を好きにしても、実はやっぱり冗談か何かだったにしても、タイミングが悪過ぎるとしか言い様が無い。平和島君の事は嫌いじゃない、というかよく知らない。恐ろしいとしか言い様の無い噂の数々を聞いて話し通り怖い人かと思っていたが、泣き止むまで待っててくれたし、ティッシュくれたし、なんでか知らないけど私の事好きらしいし、そこまで悪い人じゃないのかもとは思い始めてたけど、それだけだし。
 
…それだけ、の筈だったのに、こんな風に言われたら嫌でも気になっちゃうじゃないか。平和島君に弱みに付け込むだなんて真似が出来るとは思わなかった、なんて事は口が裂けても言えないけれど、これもある意味新たな発見だ。私は平和島君について知らない事が多過ぎる。なので。
 
「…ま、まずはお友達からで、お願いします…」
「……おう」
 
そうは言ってみたものの、嬉しそうに笑った平和島君に不覚にもきゅんとしちゃった私が新たな恋に落ちるのは、思っていたよりも遙かに早そうだ。ざまあみろ、私だって幸せになってやる。未だに消えない元彼の笑顔に、脳内で思いっきり舌を出してやった。
 
 

120201
 
 
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