中庭に面した廊下に腰掛けて団扇で風を送る。キララさんはホノカさんの妹であるミズキさん達と交代で、今日はサナエさんの傍について居るとの事で、部屋に戻っていた。私も手伝いを申し出たけれど、昨日の今日で疲れているだろうから休むようにと言われてしまい、渋々承諾する他無かった。かといって早々に布団へと潜り込む気にもなれず、こうして火照った身体を冷ましている訳である。以前にここを訪れた時は色々な事が立て続けに起こり、こうしてゆっくりと過ごす余裕もなかったが、改めて見ると宙を舞う蛍や風情ある庭が本当に美しい宿だと思う。思わず小さな溜め息を漏らした時、突然横から声をかけられた。
 
「眠れないのか」
「!、キュウゾウさん…」
 
何時からそこに居たのだろうか。驚いたと苦笑すれば、キュウゾウさんは怪訝そうな表情を浮かべた。
 
「いえ、少し涼んでいただけですよ」
「…夢は、もう見ないのか」
「あ…、はい。大丈夫、みたいです」
 
覚えててくれたのかと、思わず顔が綻ぶ。自分の斬った相手が、目の前で亡くなった人達が、私も同じ場所へと来るようにと誘う夢。ここ数日は、一度もあの悪夢を見る事はなかった。とはいえ、それは、
 
「キュウゾウさんが居てくれたから、かも知れませんけど」
 
なんて、困ったように首をかしげてみる。マサムネさんの工房に泊まった数日間の夜は、決まって夕食を終えたキュウゾウさんが外に出て行き、気になった私がそれを追って、隣に座って話しているうちにそのまま眠るという流れになっていたからだ。変に緊張していたせいか、夢を見る余裕も無かったのかも知れない。…そこまで考えて、ふと、一つの可能性が浮かぶ。キュウゾウさんは相変わらずの無表情だったが、私は思わず尋ねてみる。
 
「もしかして、それを心配して、一緒に居てくれたんですか…?」
 
考えてみれば、キュウゾウさんが寝る時も隣に居てくれるようになったのは、私が夢の話しをしたあの夜からだ。ただの成り行きかとも思っていたけれど、キュウゾウさんはその話しをちゃんと覚えてくれていて、こうして声も掛けてくれた。そして今、私の問い掛けに、キュウゾウさんが僅かに視線を逸らしたのを見て、予想は確信へと変わる。途端、気を遣わせて申し訳無かったという気持ちよりも、そんな風に思ってくれていたのかという嬉しさようなものが湧きあがって来て、私は自分の感情に戸惑う。赤くなる顔を隠す様に団扇を顔に寄せていると、頭上からキュウゾウさんの声が降って来た。
 
「…最初は、その筈だった」
 
珍しく歯切れの悪い言い方だったのと、その言葉の意味を問おうとした私が視線を上げかけた時、キュウゾウさんが隣に膝をつく。それに驚くよりも早く、伸びて来た腕に引き寄せられた私の身体は、キュウゾウさんの方へと倒れ込んだ。とすんと、頭の触れた先がキュウゾウさんの胸元であると気付き、私は目を見開く。視界にはキュウゾウさんの紅いコートが映り、ほんのりと鉄の匂いが香る。それは嫌でも鮮血を思い起こさせて、さっと血の気が引くのを感じた。一拍置いて、我へと返った私は慌てて身を引こうとしたのだが、頭の後ろへと回されたキュウゾウさんの手がそれを阻む。様々な思いが駆け巡る中、煩い程に高まる心臓の音に混じって、キュウゾウさんの静かな声が耳に響く。
 
「今は、自らそれを望んでいる」
 
それは何故かと問うているようにも聞こえたけれど、私がそれに答えられる筈も無い。痛いほどの静寂が辺りを包む中、私の心音だけが静まることを知らずにいる。一秒がまるで永遠のように感じられる程に時間の経つのが遅く感じられたが、実際は数分にも満たなかっただろう。やがて、キュウゾウさんはそっと身を離す。真っ直ぐに向けられる紅色の双眸を見詰め返す事が出来ず、逸らそうとした顔にキュウゾウさんの手が添えられる。一際冷たく感じたのは、きっと私の頬が熱を帯びているからだ。縮まる距離に堪えきれず、固く目を瞑った、その時。
 
「ややぁ!そんなところで何をしてるでござるかぁ?」
 
ニヤニヤという表現が似合うような程に明るい声が、廊下の角から響いてくる。逸早くそれに気付いていたらしいキュウゾウさんは既にその手を降ろしていたために、私は驚いて勢い良く振り向く。
 
「きききキクチヨさん…!」
「おっとぉ、邪魔しちまったかぁ?何だ、やっぱおめぇらそういう仲なんじゃねぇかー」
「そ、そういう仲…!?」
「村から黙って居なくなっちまった時も、俺ぁ怪しいと思ってたんだよなぁ。何も隠すこたぁねぇじゃねーかよぉ」
「ちち違います!別にそんなんじゃ…!」
 
照れるな照れるなと、一向に話しを聞いてくれないキクチヨさんと、どうにか事情を説明しようとする私。キュウゾウさんは暫く黙ってその様子を眺めていたようだったが、やがて静かに腰を上げると無言のままその場から去っていってしまった。慌ててその背を見やる私にキクチヨさんの更なる冷やかしが降ってきて、もう何が何だか解らなくなったまま、私は布団に飛び込むのだった。
 
 
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