翌日。折原先輩に言われた通り、私は平和島先輩の下駄箱へと手紙を入れた。所詮ラブレターなどと言うものを書いたのは生まれてこのかた初めてだったので、一枚の便箋を埋めるのに昨夜は大変な苦労をしたものである。平和島先輩が手紙を読んだ時、悪戯だと一蹴されてしまわないように、私の持つ数少ない平和島先輩の情報を元に、嘘偽りで固められた言葉の数々を並べ立てた手紙。それは、事情を知る者にとっては酷く滑稽に、知らぬ者にとってはまるでそれが真実かのように映るのだろうか。少なくとも、書き上がった手紙を読む折原先輩は、とても愉快そうではあった。
 
「よくもまぁここまで思っても居ない事を書けたもんだよねぇ。そう言えば苗字さんは文系の教科が得意だったっけ」
 
口元に弧を描いたまま、折原先輩がそんな事を言って居た気もする。どんな手段を使ってかは知らないが、私の個人情報は殆ど先輩に筒抜けらしいので、今更何を言われようとさして気にもならなかった。手紙の末尾は、放課後に屋上で待っている、と結ばれている。そこで直接想いを伝える事で、平和島先輩に私が本気であると信じさせるというのが、折原先輩の考えた策の仕上げだった。勿論、私は本気でも無ければ、これは終わりなどでは無く始まりに過ぎないのだが。
 
 
 
 
 
放課後の屋上。昼休み等は、持参した弁当や購買で買った昼食を持ちより食事をする生徒達で多少の賑わいを見せるこの場所も、この時間は誰も居ない。閑散とした空気がそう感じさせるのか、それともこの後に控える出来事に緊張しているのか、足元を通り抜ける風が少しばかり肌寒く感じられる。暫く辺りを見回した後、近くのベンチに腰掛け、手にして居た本を開く。気を落ち着かせようと先程図書室で借りた物だったが、何度同じ文字列を追った所でそれが頭へと入る事は無かった。このまま平和島先輩が来なければ良いのにとも思ったが、だとしても折原先輩は他の手段を考えるのだから、そんな事は願うだけ無駄だと、微かな希望を振り払うように無理矢理思考を中断させた時、扉が控え目な音を立てた。  
一瞬にして強張る身体、手にはじわりと汗が滲む。ゆっくりと音のした方へと顔を上げると、そこにはあの手紙を片手に佇む平和島先輩の姿があった。驚いた様な、戸惑った様な、そんな表情を浮かべていた先輩が、奇妙な沈黙に居たたまれなくなったかのようにそっと視線を逸らす。私はからからに乾いていく喉を潤す様に生唾を飲み込んで、微かに震える手で本を閉じ、鞄の中へと仕舞い込んだ。腰掛けていたベンチから立ち上がる頃には、平和島先輩は私のすぐ傍まで来ていて、その身長差から私は見下ろされる形になる。けれどその顔を真っ直ぐに見る事が出来ずに、一度か二度程ちらりと視線を向けた後は、思わず俯いてしまっていた。平和島先輩もまた、気まずそうに話しを切り出す為の言葉を探しているようだったが、やがて、意を決したように口を開く。
 
「…これ、書いたのはお前か?」
 
例の手紙を差し出しながら、平和島先輩が問う。私は小さく頷く事で、肯定の意を示す。
 
「来て下さって、有難う御座います。私、二年の、苗字名前です」
 
折原先輩の指示により、手紙には差出人である私の名前を書いていなかった為、まずは名前と学年を告げる。それから手紙にも書いたように、ずっと前から平和島先輩が気になっていた事、学校の内外で不良を相手に暴れているという話しも聞いているが、そんなところも強くて格好良いと憧れているという事などを私の口から直接伝えた後、付き合って欲しいと言う。その段取りは昨日から何度も何度も頭の中で復唱してきた。それなのに今、私の頭は空っぽで、二の句が全く継げずにいる。その間にも平和島先輩の視線が突き刺さる様にこちらへと向けられているのはひしひしと感じられ、逸る心と積る恐怖から、ぐっしょりと濡れた掌に気付かれぬよう固く握りしめる。漸く口を開く事が出来た時、あのリップグロスを塗って来た筈なのに、唇はかさかさに乾き切っている様にすら感じられた。
 
「好き、です。…私と、付き合って下さい」
 
たったそれだけの言葉を発するのが精一杯で、唯々早くこの場から立ち去りたいと願わずに居られなかった。けれど平和島先輩からの答えはすぐに返って来る事は無く、痛い程の静けさが辺りを包み込む。最早耐え切れず、俯いていた顔を上げた時に見えたのは、怒った様な、けれど何処か悲しそうにも見える、苦しげに歪んだ先輩の顔だった。
 
「…虐めにでもあってんのか」
「え…」
「誰かに言われて、無理矢理やらされてんだろ」
 
思わず目を見開いてしまったのがいけなかった。それを見た平和島先輩が、やっぱりそうかと言わんばかりに苦々しく舌打ちをする。顔から血の気が引くのを感じながら、私は慌てて否定する。
 
「ち、違います、私は本当に…」
「いくら俺でも、相手が自分をどう想ってるのかくらい大体解る。好きな相手に、そんな怯えた顔はしねぇだろ、普通。…誰に言われた?俺がぶっ殺してやるからよ」
 
徐々に先輩の怒りが高まっている事は、その声音は勿論、纏う空気からも容易に察する事が出来る程だった。一瞬にして、私の脳裏にはこれまで目にした平和島先輩によるものだという惨状の跡や、自分がこれからそうなるのではないかという想像が過る。けれど同時に、本当の事を言ってしまえば折原先輩に万引きの事を暴露されてしまうという恐怖も浮かび上がる。結局、どちらを選ぶ事も出来ずに言葉を失った私を見て、平和島先輩は痺れを切らしたかのように先程よりも大きな舌打ちをした。その時、何かが潰れる様なくしゃりという音がする。それは私が書いた手紙が、先輩の手によって握り潰された音だった。同じくそれに気付いたらしい先輩から、何故か僅かながらも怒りの色がひいていく。緩やかに開かれた先輩の掌で、ぐしゃぐしゃになった手紙が転がる。
 
「…けど、嘘でも俺を好きだっつってくれんのは、嬉しかった。…ありがとな」
 
そう言うと、平和島先輩は手紙をその場に投げ捨て、私に背を向けた。呆然と立ち尽くしたまま、離れて行くその背中を見詰める。最後に見た表情が、目蓋に焼き付き離れない。ちくりと胸が痛むのは、良心の呵責だろうか。

 
 

 

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