「ヘイハチさん」
「!、ナマエさん、どうして此処に」
 
滝の近くまでやって来ると、ヘイハチさんの姿はすぐに見つかった。いつもは上げているゴーグルを降ろし、雨避けにしている為その表情を伺う事は出来なかったが、声には驚きの色が含まれていた。
 
「ヘイハチさんの補佐として、私もここの守りにつく様にと、カンベエさんが」
「カンベエ殿が?…そうですか」
 
一瞬、信じられないというようにヘイハチさんは私をじっと見詰めていたようだったが、それでも何も言わないまま、納得してくれたらしかった。その事に、心の中で小さくお礼を言う。
 
「…見えねぇだよ、全然」
 
その時、滝を見下ろしていた見張りの一人がそう言った。普段から流れの激しい滝はこの雨によってさらに水嵩を増し、周囲に大きな音を響かせながら谷底深くへと落ちて行く。隣に居た見張りの人が、ヘイハチさんの方へと振り向いて問い掛ける。
 
「おサムライ様、ほんとに居ただか?野伏せり」
「目で見ちゃ駄目ですよ。…確かに聞こえます、機械のサムライです」
 
二人のやり取りを聞き、私は身を固くする。既に野伏せりは近くまでやって来ているらしい。私には雨と滝に掻き消され、ヘイハチさんの言う音は全くと言って良い程聞こえては居なかったが、紅は確かに周囲に満ちた殺気を伝えて来ていた。
 
「良いですか、私の言う通りに動いて下さい。そうすれば野伏せりに勝てます。今不安に思う事は、逆に奴らの思うつぼです」
 
ヘイハチさんの言葉に、見張りの人達は互いに見合わせる。その内の何人かが、いつの間に来ていたのだろうという様な目で私の方を見ている事に気がつき、私は取り敢えずそれに笑顔で答えた。
 
「心配しなくても大丈夫です。ヘイハチさんの考案したあの巨大なボウガンが野伏せりの要塞を貫いた所を、皆さんは実際に見て居たんですよね?あんなのを作っちゃう人が言うんですから、間違いありませんよ」
 
私は実際にこの目で見た訳では無かったが、あの時の事は野伏せり達だけでなく、味方にも大きな印象を与えた筈。思った通り、それを思い出した村の人達は少しずつ自信を取り戻してくれたらしく、面持ちも新たに崖下へと再び意識を集中させ始めた。ふと視線を感じて顔を横へと向けると、ヘイハチさんがじっとこちらを見ている。瞳が見えない為に、私は一瞬余計な事を言ってしまったかと不安になったものの、不意にヘイハチさんが口元に笑みが浮かぶ。
 
「全く、貴女と言う人は…」
 
その言葉の意味を問うべく、「え?」という声が私の口から洩れるのとほぼ同じくして、どこからか大きな爆発音が聞こえたかと思うと、南の空に敵の物と思われるのろしがあがった。
 
「あそこは、ゴロベエさん達の…」
「いよいよ始まりましたね」
 
私の呟きに、ヘイハチさんが小さな声で頷く。その時、不意に背中の方でざわりとした気配が走った。反射的に振り返るも、そこには一段上の崖と、その先に森があるだけで、敵の姿など無い。気のせいだったのだろうか…。敵の殺気に紅が気付いた時とは違った、何かとても嫌な感覚。私は不安に押し潰されぬよう、ぎゅっと胸元を握った。
 
「…来ましたね。落石用意!」
 
ヘイハチさんの声で、私は慌てて意識を滝の方へと戻す。この頃になると、私もはっきりと近付いて来る野伏せりの気配を感じられるようになっていた。恐らく、かなりのスピードで登って来ているのは兎跳兎だ。滝の傍に設置してあった巨大な岩を、ヘイハチさんの指示により二人がかりで滝へと落とす。それは落ちていく途中で突き出た岩にぶつかって砕け、無数の落石となって敵へとふりかかるも、二機の人型に分れた兎跳兎は難なくそれを避けてしまった。だが間髪入れず、縄で留めていた何本もの丸太を一気に落としていく。兎跳兎の一体がそれに巻き込まれて落ちて行った。続いて数体の梟も崖を駆け上がって来たが、柵を飛び越えようとした所を農民達が弓矢で迎え撃つ。それでも突破して来た分は、私とヘイハチさんが刀によって応戦した。
全ての罠を放ち終えた所で徐々に後退し、一段上の崖へと前線を下げる。そこには予め投石機が準備してあり、次はそれを使っての迎撃だった。ここまでの作戦は全て順調に進んでいるかに見える。けれど私は森に近付いた事で、さらに胸のざわめきが酷くなっている事に戸惑いを隠せずに居た。前へと集中すればするほど、どうしても背後の森が気になる。何度振り返ってみても、そこに敵の気配は感じられないのに。そんな私の様子に気付いたのか、ヘイハチさんが声を掛けて来る。
 
「何をそんなに気にして居るんです?」
「私にも、解りません…解らないんですけど、どうしても森の方が気になってしまって…」
 
どう説明すれば良いだろうかと口籠る私に、ヘイハチさんは「ふむ…」と呟くと、一度前方を見やってから再び私へと視線を戻した。
 
「そう言う事でしたら、ナマエさんは森の方を見張って居て下さい」
「え?でも…」
「今の状態なら、暫くは私一人で何とかなります。注意力が散漫な状態で前線に立たれるのも、危険ですので」
 
さぁ、と言うヘイハチさんに促され、私は小さく謝罪の言葉を述べてから、森の方へと向かった。とはいえ、実際に敵の姿を見た訳でもない為に、途中まで足を踏み入れた所でどうすれば良いか解らなくなってしまう。それでも何故か、此処から離れてはいけないという思いだけが、強く胸の中で渦巻いている。徐々に高まる不安を押さえこむように、紅を鞘から抜いて身構える。投石機の動く音と、雨や風の音…そこに不穏な足音が混ざった、次の瞬間。
 
「ッ!」
 
木々の間から突如姿を現したのは、早亀(はやがめ)に乗った梟だった。手にした弓には通常の矢とは違い、先端に黒く丸い金属の様な固まりの付いた矢が番えられている。それを確認するよりも早く、紅はその梟の胴部を一刀両断していた。早亀から滑り落ちるようにして倒れる梟の手から、矢が放たれる。その矢が近くの木に突き刺さった瞬間、"伏せろッ!!"という紅の鋭い声と共に身体が急激に前へと倒れ込んだ。直後、金属が一瞬の閃光を放ったかと思うと、大きな爆発を起こした。爆風と飛び散る木片から必死に顔を庇いながら、これが今まで響いていた爆発音の正体だったのだと理解する。
 
≪矢榴弾たぁ随分懐かしい物を使いやがる≫
 
紅が吐き捨てる様に言う。手榴弾が手で投げる小型の爆弾だとするなら、それを矢に備え付けた先程の物を矢榴弾と呼ぶのだろう。泥まみれになりながら身を起こし、私は一瞬だけ見た先程の矢を思い出していた。
 
「ナマエさんッ!大丈夫ですか!?返事をして下さい!!」
 
徐々に煙が晴れて行く中で、ヘイハチさんの声が聞こえて来る。急いでそれに返事をして、声のする方へと向かう。先程の爆発に驚いた村の人達とヘイハチさんが、焦りに満ちた表情でこちらを見ている。投石機による攻撃の手が止まっている事に気付き、私は咄嗟に前方を見やる。攻撃を掻い潜って来た梟が、農民の一人に斬りかからんとすぐ近くまで迫って居た。
 
「ッ、危ない!」
 
考えるよりも早く、紅を梟に向かって投げつける。真っ直ぐに飛んだ刃はそのまま梟の胸元へと突き刺さり、梟はそのまま崩れ落ちた。一瞬の出来事に恐怖した農民達が、慌ててその場から逃げ始める。ヘイハチさんの制止も聞かず、崖の持ち場は総崩れとなってしまった。急いで先程の梟の元へと駆け寄り、紅を抜き取った途端、頭の中へ怒気に満ちた紅の声が響く。
 
≪馬鹿野郎ッ!俺を手放してる間に何かあったらどうする気だったッ!≫
 
確かに、紅を投げるという判断は一か八かの賭けに近かった。狙い通りに敵に当たるかも解らない上、紅を手放している間はほぼ無防備の状態になってしまう。もしもそのような時に襲われていれば、確実に命は無かっただろう。ただ、この時はすぐ後ろにヘイハチさんが居てくれた為、もしもの可能性までは端から考えて居なかった。崖から来る敵の数がもう殆ど居なくなっていたのも幸いだと言える。そうこうしている間に、傍らまで来たヘイハチさんが苦笑交じりの声で言う。
 
「…雨は参りますね、思う様に動けません。ナマエさんが居なければ、今頃どうなって居た事やら」
「いえ、私は…」
「森に注意を払っていたのが功を奏しましたね」
 
そう言えば、と、ヘイハチさんの言葉で思い出す。あれほどまでにざわついて居た不気味な感覚が、いつの間にかすっかり消え失せている。あれは森から敵が来る事を予知していたのだろうか。一瞬、これも紅の力なのかと思ったが、それはすぐさま紅自身によって否定される。
 
≪あれは俺が感知した訳じゃねェ≫
 
だとしたら何故…。思考に浸りかけた意識は、ヘイハチさんの声によって現実へと引き戻される。
 
「ここはもう良いでしょう、一度カンベエ殿の元へ戻りましょう」
「あ…は、はいっ」
 
一拍置いて駆け出すヘイハチさんの後に続き、私もカンベエさん達の居る広場へと向かう。鉄砲と思われる銃声が空へと響いたのは、それからすぐの事だった。
 
 
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