水分りの家で一人、私達の帰りを待ってくれていたセツさんに報告を済ませた私達は、そのままそこに他の女性達を集め、先程カンベエさんに言われた通りありったけの隠し米を焚いて沢山の握り飯をこしらえていた。そんな中、話しの途中で一人の女性が私の方を見る。
 
「にしてもナマエ様は、女だてらに刀さ扱えてすんげぇなぁ」
「え?」
「あん時はまともに礼も言えんかったけんど、オラのおっとうを助けてくれて、ほんに、有難う存じますだ」
「そ、そんな、私は何も…」
 
それを耳にしたシノさんも、改まって立ち上がると、こちらに向き直り深々と頭を下げた。私は手に米粒がついたままなのも忘れて、胸の前で両手を振りながら否定する。頭の中に甦るのは、忘れられないあの時の光景。初めて、自分が人斬りであると理解した夜の事。
 
「どうしたらナマエ様みてぇに戦えるようになるだか?」
「オラ達も努力さすれば出来るようになれんだろか?」
 
口々に尋ねる人々に、私はどう答えれば良いか解らず困惑する。そこへ、囲炉裏の方で鍋の様子を見ていたキララさんが、見兼ねたように口を挟む。
 
「ナマエ様は、まだご自分の記憶を思い出せずに居るのです。そう尋ねられてばかりというのは、少々酷ではないかと」
「あ…そうだったな…すまねぇ、ナマエ様。辛い思いさせちまって」
「いえ、良いんです。…ところで、先程からキクチヨさんがずっと子供達の面倒を見て下さってるみたいですね」
「ほんに、キクチヨ様は子供達の人気者だなぁ」
 
曖昧な笑みを返しながら、私はそれまでずっと外から聞こえて来ていたキクチヨさんと子供達の声に触れる。話題が他へと移ったところで気付かれぬようそっと溜息をついた後、顔を上げた際、目が合ったキララさんへお礼の意味で小さく頭を下げた。
都と言う言葉に違和感を覚えた時は、何か記憶が思い出せるのではないかと期待したものの、結局は何の進展も見られなかった。ただ漠然と、都と言う存在がこれからの自分にとって何か大きな意味を持つものであるような…そんな不思議な思いだけが、胸の内で燻っている。カンベエさん達と出会って、一緒に旅をして、共に村へとやって来て…当初の目的である野伏せりとの戦もいよいよ終わりが近づいて居るというのに、私の状況は好転するどころか、寧ろ次第に泥沼へと嵌っているような気さえしていた。後悔はしないと誓った。けれど押し寄せる不安ばかりはどうする事も出来ずに、私はもう一度深い溜息を零すのだった。
 
「おっかぁ!腹減ったー!」
 
突然、明るい声が家の中へと飛び込んでくる。それは先程までキクチヨさんと遊んでいた子供達の声だった。けれどそこにキクチヨさんや、一緒に遊んでいた筈のコマチちゃんとオカラちゃんの姿は無い。母親の一人が如何したのかと尋ねてみたものの、出来たての握り飯に飛び付いた子供達は食べるのに夢中で、全く聞こえてなどいないようだった。ふとそこへ、カンベエさんとシチロージさんが現れる。逸早く気付いたキララさんが声を掛けると、カンベエさんはそれに答える様に小さく頷いた。
 
「飯は出来たか?」
「はい、ここに」
「すまんが、手分けして男衆へ運んでくれんか」
 
カンベエさんの言葉に、シノさんが快く返事を返す。それを聞いたカンベエさんは家の中へと上がりながら、キララさんに向かって尋ねる。
 
「キララ殿、例の物は」
「はい、お待ちを」
 
その言葉に小さく返事をすると、キララさんは囲炉裏の火にかけていた鍋の蓋を開けて中身をお椀へとよそう。カンベエさんへそのお椀を差し出しながら、キララさんは不安げな表情で尋ねた。
 
「傷の具合は如何ですか?」
「心配無い。そなたらの迅速な処置が功を奏した様だ、礼を言う」
 
それを聞いて、私は先程キララさんと交した会話を思い出し、何とも言えない顔になる。それはキララさんの方も同じ気持ちだったらしく、私達は顔を見合わせて小さな苦笑を浮かべあった。尤もその間、カンベエさんとシチロージさんは受け取った椀の方に気を取られていたようだったが。
 
「ホタル飯ですか」
「うむ、どうしても食べて置きたくてな」
「そだのでええのか?お米ならいっぺぇあるだで」
「これで無ければいかんのだ、白い飯を疎かにせぬ為にもな」
 
シチロージさんがカンベエさんの持つ椀を覗き込んで呟くと、カンベエさんは視線だけをそちらに向けて淡々と言う。慌てたようなシノさんの言葉にもそう答えると、躊躇無くそれを啜った。そして、キララさんに私とシチロージさんの分もよそってくれるようにと頼む。私は少しばかり驚いた。それは決してホタル飯と呼ばれる物を食べたく無いと思った訳では無く、共に来たシチロージさんはともかく、私にもそれを勧めるとは思わなかったからだ。そもそも私は、ホタル飯がどういう物なのかも知らない。間も無く渡された椀を見ると、それは飯というより汁に近いものだった。まじまじと眺める私に気付いたのか、キララさんが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 
「やはりこんな物より、お米の方が良いですよね…」
「あ、そ、そうじゃ無いんです。ホタル飯を見るのは、これが初めてなので…あの、どうしてホタル飯という名前なんですか?」
「漂うお米が、まるでホタルの様に見えるからその名が付いたのだと、私は聞いています」
「そう、なんですか…」
 
尋ねた事を、少しばかり後悔する。恐らく野伏せり達によって米を奪われた村の人達は、これを主食として日々を過ごしてきたのだろう。飯とは名ばかりで、米など数える程も入ってはいないそれは、味付けも極薄い為に、殆どお湯に近いものを飲んでいる気分だった。私と同じようにホタル飯を口にしたシチロージさんなどは、露骨に不味そうな顔を浮かべている。流石にそれはどうだろうかと苦笑しながら、私も決して美味しいとは言い難いそれを、息を吹きかけて冷ましながら少しずつ口にしていった。そんな私達の様子を見ると、カンベエさんは目を伏せながら、静かに…けれどはっきりとした声音で告げた。
 
「農民は皆、これを食って土と戦ってきた。儂らが戦で荒らした土地に命を与えたのだ。その気概を思えばこそ、この一杯を持ってサムライは水杯とする。どうだ?」
「…相変わらずお優しい」
「故に、負け戦ばかりだ」
 
カンベエさんとシチロージさんのやり取りを黙って聞いて居た私は、そこで堪らずカンベエさんの名を呼ぶ。キララさんとシチロージさんは声に釣られてこちらを見たが、カンベエさんだけは、私が言わんとしている事を察して居るかの様に、ゆっくりと視線だけをこちらに向ける。
 
「それは…このホタル飯は、私もサムライであると認めて下さったと…そういう事ですか?」
 
私のその言葉で、キララさんとシチロージさんも気付いたようだった。何故カンベエさんが私にもこれを食べさせたのか、それが何を意味して居るのかを。だが、
 
「…勘違いするな。此処に居る以上、村人達にとってはお主もサムライの一人。…ただそれだけだ」
 
カンベエさんの答えは、とても冷たいものだった。戸惑うキララさんとシチロージさんに対し、何故か私の心は穏やかだった。何となく、その答えを予想して居たからかも知れない。それでも敢えて尋ねたのは、ほんの僅かでも期待に胸を膨らませてしまったが故だろうか。自嘲気味にそんな事を考えながら、ただ一言「そうですか」とだけ呟いて、私は残ったホタル飯を一思いに飲み込んだ。舌が軽い火傷を起こすのも気にせずに。
 
「それじゃあ私、他の皆さんにもこの事を伝えて来ますね」
 
そう言って、食べ終わった椀を返して立ち上がると、足早に水分りの家を出る。極力いつも通りを装ってはみたけれど、三人にはさぞ不快な思いをさせてしまった事だろう。少しばかりの罪悪感が胸を痛めたが、気付かぬ振りをして歩き続けた。
 
 
 
 
 
「…お前ら、美味いか?」
 
場の雰囲気を和ませるかの様に、シチロージが握り飯を頬張る子供達に向かって問い掛けた。子供達は先程までの険悪な雰囲気を肌で感じ取っては居たものの、そこに込められた意味までは流石に解らなかったのか、すぐに明るい声で答える。
 
「美味え!」
「オラ白い飯大好きだ!」
 
その様子を見て、シチロージは笑みを浮かべながら言葉を続けた。
 
「そうか、たらふく食えよ!腹いっぱい食って、大きくなれ!」
「おぉ!そんでおっきくなったら、オラおサムライになるだ!」
「オラも!」
「オラもだ!」
 
子供達は無邪気な笑みを浮かべながら口々に言う。キララやシチロージを始め、その場に居た村の女達もそれを微笑ましいと思い眺めていたが、ただ一人…カンベエだけは冷たい色をその眼に宿したまま、静かな声で問い掛ける。
 
「どうしておサムライになりたいんだ」
「だっておサムライは強ぇんだ!」
「悪い野伏せり、やっつけてくれるだ!」
「おじさんみたいになっても良いのか」
 
カンベエのその言葉に、それまでは威勢の良かった子供達も戸惑う様な表情を浮かべた。キララとシチロージも、思わずカンベエの方を見る。けれどカンベエはそれ以上何も言う事は無く、険しい表情で囲炉裏の炎を見詰めていた。その時、カンベエの瞳が炎では無い何かを映していた事に気付けたのは、古女房のシチロージだけだったろう。何故カンベエが頑ななまでにナマエを認めようとしないのか、カツシロウに突き放す様な道の説き方をするのか、その答えの全ては、そこにあった様に思う。けれどその想いが、今やこの場を後にしたナマエの元まで届く事は、無かった。

 
 
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