どれ程の時間が経っただろうか。朝靄は今や深い霧へと変わり、辺りは不気味な程の静けさに包まれている。時折ごく僅かな揺れを感じる他は、特に変わった様子も無い。最初に放った巨大ボウガンの一撃が強く印象付けられた為、シチロージさんが設置した張り子の矢を見た敵は迂闊には近付いて来れないのだろう。その時、不意にキララさんが小さな声で呟く。
 
「…後ろ」
「?、姉様…?」
 
それに気付いたコマチちゃんが、キララさんの名を呼ぶ。けれどキララさんはそれに答える事無く、振り子を顔の近くへと寄せてその動きを注視しながら、独り言に近い声を漏らした。
 
「霧の流れが、乱れています」
 
その言葉で、私は一瞬外の様子を気にかける。しかし距離が離れ過ぎているせいか、紅の力を持ってしても異変を察知する事は出来なかった。ふと、また小さな揺れが起こる。
 
「あ、また来た」
「大丈夫大丈夫、おっちゃまが居るから大丈夫です」
 
思わず顔を上げるオカラちゃんに、コマチちゃんが明るい声で言う。キララさんの表情は険しく、私は自分の気付けぬ所で何かただならぬ事が起きている様に感じた。途端、言い知れぬ不安が襲い、私は思わず立ち上がる。
 
「…少し、様子を見て来ます」
「私も行きます」
 
戸口へと向かい一歩足を踏み出したところで、キララさんが振り返る。慌ててコマチちゃんも立ち上がった。
 
「オラも行くです!」
「何が起きているのか、まだ解りません。キララさん達はどうかここに」
「いいえ、何が起きていようとも、私にはそれを見届ける義務があります。ですが…コマチ、貴女はここに残りなさい」
「姉様!」
 
キララさんの言葉に、コマチちゃんはすかさず抗議の声を上げる。しかし、キララさんの強い瞳に射竦められたかの様に、乗り出して居た身を僅かに引く。キララさんは目線を合わせるように腰を落とし、コマチちゃんの頭をそっと撫でる。
 
「良いですか、コマチ。貴女は次期水分りの巫女として、私の代わりにここで祈祷を続けなさい。大丈夫です、私にはナマエさんがついて居ますから」
「姉様…」
 
不安げな表情でキララさんを見詰め、コマチちゃんは私の方へと顔を上げる。その視線に、私は笑顔で答える。
 
「キララさんは、私が必ず守って見せるから。コマチちゃんは皆と一緒に、私達が無事に戻れるよう祈ってて?」
「…解ったです。絶対、絶対無事に帰って来てくれです」
「うん。…行きましょう」
 
その言葉にしっかりと頷いて見せてから、私はキララさんへと視線を移す。そして、二人で水分りの家から外へと出た。向かうべき方角に迷う私を、すかさずキララさんが先導する。その先は村の後ろ側。先程、キララさんが振り子の力で感じ取った、霧の乱れる場所だった。半ば駆ける様にして進む途中。木々の向こう側に、まるで二つの目玉を思わせる巨大な機械が立っているのが見える。
 
「あれは…」
「野伏せり達の要塞です、私達は本殿と呼んでいます。奪われた米や女の人達は、皆あそこへ連れて行かれるんです」
 
キララさんが辛そうな声で答える。本殿という言葉を耳にして、私はヒョーゴさんが息絶える前に言っていた事を思い出す。
 
『かかったな、サムライ共…このままでは済まさぬ…ソウベエ殿は今頃、本殿に向かっておるわ…』
 
ソウベエとは恐らく、ヒョーゴさんと共に居た黄色の雷電型と思われる野伏せりの事だろう。つまり、あの場所にはソウベエを始めとした野伏せりが来ているという事。私達はさらに足を早め、そして、辿り着いたその場の光景を目にし、咄嗟に草陰へと身を潜めた。そこには思った通り、左肩だけは普通の雷電とは違う形状をした赤い装甲を身に付けたソウベエと、見た事も無い機体が村の人達の前に立っており、その周りを鋼筒や梟(みみずく)と呼ばれる黒い装束を纏った人型の野伏せりが取り囲んでいた。
 
≪チッ、紅蜘蛛(べにぐも)か…厄介な奴が出て来やがったな≫
 
紅蜘蛛という言葉に思わず頭の中で疑問符を浮かべると、紅が続ける。
 
≪雷電と同じ主力兵だが、その機動力は雷電のそれを遥かに上回る。鉄砲も標準装備の筈だ、気をつけろ≫
 
私は初めて見る機体…紅蜘蛛と呼ばれる機体の野伏せりを見詰める。雷電型よりも優れているとう事は、恐らくあれがこの野伏せり達の頭目なのだろう。ふと、大型の野伏せり達の足元を見やると、縄で縛られたキュウゾウさん、ゴロベエさん、カツシロウさんの三人が、要塞の方へと連行されていた。その時、梟達がリキチさん達へと一斉に刀を突きつける。ソウベエの声が響く。
 
「お前達には他の村への見せしめになって貰う」
 
一際大きく心臓が跳ねる。今すぐにでも飛び出てしまいそうになる衝動を必死に堪え、私達は成り行きを見守る。リキチさん達は必死に命乞いをするが、野伏せり達は聞く耳を持たない。その話しの内容から、リキチさん達がカンベエさん達を裏切り、許しを乞う為に隠し米と生け捕りにした三人を差し出したという事を理解するも、その理由が解らない。今更どうして、カンベエさんや、他の皆は一体…そんな思いが錯綜する中で、不意にキララさんが身を潜めていた茂みから立ちあがる。その足が一歩を踏み出してしまう前に、私は慌ててその腕を掴む。
 
「キララさん!今出て行ったら…ッ」
「あのままではリキチさん達が殺されてしまいます。見過ごす訳には参りません」
「それなら私も一緒に…!」
「ナマエさんは敵にサムライの一人と思われて居る筈、共に出て行けば怪しまれます」
「…っ」
 
言葉を返せなくなった私の手に、キララさんがそっと手を重ねる。
 
「大丈夫です、これが水分りの巫女としての、私の役目。ナマエさんはどうか、コマチ達と共に、皆の無事を祈って待って居て下さい」
 
穏やかな声でそういうと、キララさんは私の掴む手をやんわりと解き、凛として野伏せり達の元へと向かって行く。どうしようも無い歯痒さを感じながら、それでも何か、何か出来る事は無いかと必死に周囲を見回す。その時、後ろ側にある道の方から荷車を引く音が聞こえて来る。振り向くと、それは数人の村人が米俵を運んでくる所だった。考えるよりも早く、私は駆け出す。
 
「待って下さい!」
 
立ちはだかる様にして荷車を止めると、私は一番近くに居た人へ詰め寄る。
 
「私をその米俵の中に入れて下さい!」
 
状況が理解出来ず困惑する人達に尚も強く頼み込み、私は何とか米俵の中へと身を潜めた。ガタゴトと荷車が道を進んで行き、やがて止まる。激しい揺れと浮遊感は、米俵が野伏せりの手によりあの要塞の中へと運ばれている為だろう。吐き気すら覚えそうになるのを必死に堪えながら、私は周囲が静かになるのをただひたすらに待った。
 
 
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