後ろから足音が聞こえ、私は振り返る。虚ろな表情を浮かべたカツシロウさんが、そこに立っていた。横へと身をずらし道を開けると、それすらも視界に入ってはいないかのように、カツシロウさんはカンベエさんの方へと歩いて行き、その背に向かって控え目な声を掛けた。けれどカンベエさんは答えない。苦しげな表情を浮かべ、カツシロウさんがその場に膝をつく。それはまるで、許しを請うているようにも見えた。いつの間にか、キララさんもすぐ傍に来ている。重い沈黙が流れる中、カンベエさんが私達の刀を研ぐ音だけが聞こえていた。そして、それらが再び本来の輝きを取り戻した頃の事だった。
 
「…手入れを怠るな。斬れ味を、良くしておいた」
 
カンベエさんが言う。サムライとは、何か。
 
「人を殺めてこそのサムライだ」
 
その問いの答えは、あまりにも重過ぎた。言葉を発する事の出来ない私達に、カンベエさんが問い掛ける。
 
「カツシロウ。お主、ここに何をしに来た」
「…村を、救いに」
「ならば仕事を果たしたまで」
 
カンベエさんが刀を手に立ち上がる。振り返ったその瞳は、暗い静けさを湛えていた。そこには私達とは違う何かがあった。それはきっとカンベエさんだけでなく、サムライと呼ばれる人、皆にあるもの。カツシロウさんの刀を、そして私の刀を、カンベエさんは私達の目の前で床へと突き立てる。
 
「サムライで在りたいのなら、人斬りの罪過を背負う覚悟を固めよ」
 
そう言って、カンベエさんは土間へと降り立つ。そして、自身の刀の鐺(こじり)でカツシロウさんの右太腿を強く押す。
 
「さもなくば、この傷が泣く」
 
カツシロウさんが痛みに顔を歪める。そこは、式杜人の里でボウガンの矢を受けた場所だった。同じ矢により傷を負った位置を、私はぎゅっと掴む。そこにはもう傷は無く、痕も無く。在るのは人体を模した機械の腕だけだった。虚しさだけが募る。
 
「農民達には野伏せりを斬る覚悟が無い。故に儂等に斬らせているに過ぎん。儂等は、稲穂に群がる野伏せりを払うカカシだ」
 
それは、戸口に立つキララさんに対しても向けられている言葉の様だった。それでもキララさんは目を背ける事無く、真っ直ぐにカンベエさんを見詰めている。カンベエさんは肩越しに私とカツシロウさんの方へと向き直る。
 
「刀を取れ。そして米を食え。…まだ、斬らねばならんぞ」
 
そしてそのまま、二度と振り向く事無く家から出て行く。私は、拳を固く握ったまま動けずに居るカツシロウさんを見てから、目の前に突き刺さる紅を見た。カンベエさんの手により元の光沢を取り戻した刀身は、囲炉裏で燃える炎の明かりに揺らめいている。その柄に手を掛け引き抜いた時、カツシロウさんが小さく息を飲む音が聞こえた気がした。
 
「ナマエさん…」
 
キララさんの控え目な声が響く。私は紅を鞘に納めながら、それに笑みを浮かべる事で応える。そして何も言わぬまま、言われる前にと、その横をすり抜け外へ出る。けれど林の中をいくらか歩いた所で、とうとう私の両脚は、その場に崩れ落ちてしまった。張り詰めていた何かが音を立てて壊れてしまったかのように、両の目から止めど無く溢れる涙は止まる事を知らず。様々な思いが錯綜する中、ひたすらに嗚咽を殺し泣き続ける。帰りたい。記憶にすらない故郷を想い、ただただ願う。どうしてこんな所に来てしまったのだろう、どうしてこんな事になってしまったのだろう。私が何をしたと言うのか。
 
≪ この世界に来たいと願ったのは、紛れも無くお前自身だ ≫
 
紅の言葉に、驚きのあまり息が詰まる。
 
「どういう、事…?」
≪言葉の通り、最初にここへ来たいと願ったのはお前だ。それがどうして叶ったのかまでは知らねぇがな≫
「な、んで…どうして、私、こんな…!」
≪知るかよ、俺に聞くな。ただ一つ言えんのは、今ここで何もかも投げ出せば、お前は必ず後悔する事になる。それだけだ≫
 
後悔。こんな世界に来てしまった事以上に、後悔する事なんて何があるんだろう。
そう思い掛けた時、ふと何かが頭を過る。冷たい雨、大きな爆発、銃声と硝煙の臭い、真っ赤な炎。そして、涙。この世界で出会った人達の笑顔が、浮かんでは消え、浮かんではまた消えていく。これは無くした記憶の一部なのか、それともただ思い出が入り混じっているだけなのだろうか。…ただ、これだけは断言出来る。ここで皆と出会えた事は、決して後悔なんかじゃない。皆の力になりたいという私の想いは嘘なんかじゃ無い。ならばこの世界に来た事は…後悔になどなり得ない。それよりもきっと、ここで皆と離れ離れになってしまう方が辛い。
 
『お主を連れて来たのは間違いだった』
 
あの言葉を思い出すだけで、激しく胸が痛む。共に居たい、私も仲間と認めて欲しい。そう願うのならば、戦うしかない。人殺しの罪過を背負い、皆と、同じ場所へ―…。
私は涙を拭い、震える足で立ち上がる。怖い。人を殺したいだなんて思わない、まだあの時の光景が目に焼き付いている。この手にはすっかり乾き切った血さえ残ってる。それでもこの道しか無いのなら、皆の為…私自身の為に、歩いて行く。例えどれだけ蔑まされようと、今の私には、それだけがこの世界で生きる術。私がここに居る理由。血の付いた手を握り締め、先程の男を、荒野で斬った鋼筒を、ヒョーゴさんを、今までに目にした沢山の死を思い浮かべて静かに祈る。そして、私はしっかりと前を向いて歩き始めた。
 
 
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