2. 自分と白澤の仲は、年月と比例するように悪くなっていき、現在のような状態になった。私は反省も後悔もしていない。元々彼とはうまが合わなかったので、仲が悪くなるのは目に見えていたからだ。 スケジュールを確認しながらため息つく。会いたくない人物に、会いに行かなければいけない時の心情とは、何とも形容しがたい。スケジュールを何度も確認してみるが『薬受け取り』の文字はいっこうに消える気配はなかった。 仕方がないので、重い足を無理矢理動かして桃源郷へ向う。自分の顔はどうやら周りから不機嫌そうに見えるらしく、獄卒達が次々と自分に道を空けていく。その姿に頭を掻きながら苦笑した。 白澤は、よく分からない男である。まるで、波に流されるまま揺れる海藻のようで、掴み所がない。長い時間を生き、過ごした神獣だからだろうか、彼は時折、慈悲深い眼差しを見せる。それは誰に向けられているのか。多分白澤以外の全ての生き物に向けられたものに違いない。そういう、馬鹿そうで利口そうな、利口そうで馬鹿なのが白澤という男だった。 彼の姿を長年目にしてきたが、未だに思考が読めない。お互い相手の事をあまり知らないのだ。だのに、自分は白澤を思うことを止められない。止めるばかりか、それは日に日に膨らみ、もはや自分が自分でないように感じられる。 彼の事を考えると自分は弱くなった。自分は大木のような男でありたい。地に根をはり、天に伸び、多くの葉を茂らせる、そのような男でありたい。しかし、白澤の事を考えると、時々つる植物であることを望んでしまう。彼という大木に巻き付き支えにしたいと。何もかも投げ捨てて、全てを彼に投げ出して、身軽になりたいと願うのだ。 だが、そう願うのと同時に、自分はそれを嫌悪していた。自分の背負ったものを他人に委ね、甘える事を酷く薄汚いと思った。何より、人のように弱い自分は嫌いだ。 冷徹であれ、冷徹であれ。何者にも自分にも。自分はもう丁ではないのです。背負った鬼灯の赤さを思い出せ。血のように、炎のように、暁のように、赤い鬼灯を。 瞼を閉じて唱える。腑抜けそうになる自分を律する言葉。それは自分に力を与えてくれる。寄り添うことは悪いことではないと言うけれど、それでは手に入れられないものもある。それを彼は可哀想だと言うけれど。 気づけば自分は地獄の門をくぐっていた。正直、ここにはあまり良い思い出がない。早めに切り上げようと早足で先に進む。 「あらぁ、鬼灯様じゃないですか。」 「まぁ本当!」 名を呼ばれて足を止める。ため息が出そうになったが、すんでの所で耐える。後ろを振り返ると、そこには想像していた通りの人物?がいた。 地獄の門番の牛頭と馬頭である。彼女たちとは地獄の門が天国と地獄の狭間にある関係で、自分が天国に行く際よく顔を合わせる。まぁ、つまり、言い方を変えるならば、自分が白澤に会いに行く時に出会うということである。 「鬼灯様はこれから白澤様の所へ?」 「ええ、まぁ・・・そうですが。」 「うふふ、鬼灯様だからそんなに機嫌がよろしいのね。」 「・・・・・・別にそんなことは、」 「あら鬼灯様、嘘はいけませんわ。」 ねー。と言いながらお互いに手を足り合う彼女達を見て、肩を落とす。からかわないでくださいと言ったところで聞くような彼女たちではなかった。 彼女たちは、自分の白澤への恋心を知る数少ない者達であった。毎回顔を見ていればいやでも分かる、とは彼女たちの談だ。おかしい、私は感情が顔に出にくいことで有名だった筈である。 「ほら、鬼灯様こちらに来てください。御髪がみだれていますわ。」 「殿方に会いに行くのにそれではいけませんよ。」 「一応私も殿方なんですがねぇ。」 口には出してみるが、聞いていないに決まっていた。私は渋々彼女たちの元へ行き、大人しく頭を差し出した。蹄で髪を整えられる。堅そうな見た目とは違い、優しい手つきのそれだった。 「好きな人の前で見栄を張りたいのは女も男も変わりませんわ。」 「だから、別にそう言う訳では・・・」 「何が違うんですか?昔から貴方はちっとも変わらない。」 私は彼女達の瞳を見据える。変わらないとは、どういう事か。本当は分かっているくせに、自分の中で分からないふりをした。自分に嘘をついた。 恋の芽生えというのは唐突なもので、気づいた瞬間にはもう手の施しようがないほど己を浸食しているものである。恋の病とはよく言ったものだ。時が経つごとに心を蝕み、身体を侵し、生活に浸透する。 私は白澤に恋をしている。しかし、彼への恋愛感情を認めるその一方で、その感情を否定する自分がいる。 否定、というより拒否に近い。自分は冷徹な鬼でありたいと思っていた。今でもそうである。自分は昔、虐げられてきた。自分が孤児であったという、本人ではどうしようも出来ない理由からである。私はそんな自分を上塗りしたかった。誰にも馬鹿にされない自分になりたかった。だから自分に厳しく、他人にも厳しくあった。私には甘さなどいらないのである。だから恋もいらないのだ。 そんな私の思考を読み取ったのか、それを止めさせるかのように、突然馬頭は私に何かを振りかける。仄かに香るミント系の香り。香水を振りかけられたことに気がつく。ハッと彼女の手元を見ると、その手にはやはり小瓶が握られていた。小さい、ガラス瓶に入った代物である。 「何をしてるんですか。」 「お洒落ですわ。お洒落。」 「いりませんそんなもの。仕事で行くんですから。」 「その天の邪鬼なところ、大昔からチャーミングでしたけれど、やり過ぎないでくださいね。」 そう言われながら背を押され、先をせかされる。私は引き止めたくせにと心の中で小言を言いながら早足でその場を去った。後ろからクスクスと笑い声が聞こえるが無視する。顔が熱いなど気のせいに決まっている。 「うわっ、不機嫌そうな顔。」 扉を開けて、最初に目が合った人物に言われた言葉がそれである。しかもしかめ面で。私は問答無用で手に持っていた金棒を投げつける。それは彼の顔面にめり込み、頭に引っ張られるようにして身体が吹っ飛んでいった。 白澤にしては珍しく女性を口説いていないと感心していた矢先にこれである。まあ、女性もいなければ客もいないが。閑古鳥が鳴き始めているのかもしれない。ざまぁ。 白澤の顔面にぶち当たり、そのまま彼を壁にめり込ませた犯人である愛用の金棒が、鈍い音を立てて床へと落ちる。その音を合図に壁にめり込んだ白澤の腕が動き始めた。ノロノロとしたもどかしい動作で這い出てくる。 「お前〜、そうやって理由も無しに僕に暴力をふるうの止めろよ!」 「では理由があったら殴ってもよろしいと、分かりました少し待っていてください。」 「理由を考えようとしてるんじゃないよ!どうせ碌な理由じゃないくせに!てか理由があっても駄目に決まってるだろう!」 「まったく我が儘な人ですねぇ。それはそうと白豚、注文したモノはちゃんとできあがっているんでしょうね?」 「僕の名前は、は・く・た・く!何回言わせるんだよ!あと薬はできていませんすみません。」 「良かったですねぇ〜、殴る理由がちゃんとできましたよ。」 そう言いながらバキバキと手を鳴らすと、白澤は慌てて立ち上がり先ほどから煮詰めていた鍋の方へと駆けていった。その姿に呆れつつ、我が物顔で店の席に着く。 数分経つと避難していた桃太郎さんが盆でお茶を運んできた。 出された物をありがたく頂く。それは上品な苦みのあるお茶だった。 「白澤様がすみません。」 「いえ、桃太郎さんは何も悪くありません。悪いのはあの馬鹿ですから。」 一口お茶を口に含む。彼は尚も申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべていた。彼は一礼してから場を離れる。次に彼の姿を目にしたとき、彼の背には籠が背負われていた。どうやらこれから桃を摘みに行くようである。 そういえばここ最近、私がこの極楽蜻・・・ならぬ極楽満月に来た際、毎回籠を背にしているような気がする。そしてそのまま彼は外へと出て行き、毎度自分と白澤は二人きりになるのだ。他の客は私の姿を見たとたんそそくさと退散するので、店内からはいなくなる。 もしや・・・彼にも気づかれているのだろうか。いや、そんな筈はない。自分は、自慢ではないが感情が顔に出にくいのだ。何を考えているのか分からないことで有名なのだ。そんなにポンポン自分の汚点が周囲に知れ渡るわけが無い。 チラリと白澤の姿を盗み見る。奴は出来るだけ私の顔を見ないようにしながら、鍋をかき混ぜる。鼻歌を歌いながらのそれはなんとも滑稽だ。馬鹿っぽい。 「フン、まさか・・・。」 一瞬頭によぎった事柄を鼻で笑う。桃太郎さんはただ私たちの喧嘩に巻き込まれたくないだけだ。私ではなく白澤に気を使っているだなんて、まるで白澤が私と一緒にいたがっているようなことを考えるなんて。思考回路が少女漫画だ。多分牛頭馬頭にあてられたに違いない。 頬杖をついて、テーブルに置いた湯飲みの縁をなぞり遊ぶ。話し相手のいない時間は酷く退屈だ。だが相手もこちらも言葉を発しようとしない。不自然な沈黙が部屋を支配した。 鍋のコトコトグツグツと煮える音だけが響く。私は視線を湯飲みに固定させた。顔を上げてしまったら最後、気の済むまで彼を見つめ続ける自信が私にはあったからである。気まずい空気が流れ始める。 長い沈黙が続く。こうなってくると、自分が話しかけたら良いのでは?とか、ウサギと戯れてやり過ごせば?といった案が次々と出てくるのだが、そんな事を考え始めると、自分だけが気にしているのではないかと言った羞恥心が、胸の内からわき上がってきて気恥ずかしくなる。ただの無音に何をここまで焦っているのか。二人きりの空間に心がざわつくなど、そんな年でもないだろうに。 「・・・そう言えばさ、」 「何ですか。」 私が脳内会議を開いていると、それをぶち壊すタイミングで白澤がやっと話し始めた。それに今までの焦りを悟られないよう、何でもないように答える。 「お前今日、なんか匂うよね。」 「"あぁ?」 「いやだから、今日のお前なんかにおっ、て・・・ちょっと何で立ち上がるんだよ!近づいて来るんだよ!こわっ」 「そのできの良い頭で考えたらどうです?」 「えっ・・・あ!違っ違うよ!別に臭いとかそう言うんじゃなグェェェェ・・・」 「どうせ私は風呂にも入らず徹夜3日目ですよ。」 白澤の首を絞めながら答える。白澤は私の手をバンバン叩きながらギブを伝えてくるが、憎しみがこみ上げ続ける今の私には、それに答える良心はなかった。許さん、絶対に。 だんだん私を叩く力が弱まっていく。どうやら絞められすぎて落ちる寸前らしい。しょうがないので一発殴ってから、手を離した。数秒痙攣を起こした後に、白澤は荒く息を吸い始めた。ぜぇぜぇと仰向けになって呼吸する。呼吸が整うと、咳をしながら立ち上がった。 「ゲホっゴホっ・・・、人の話は最期まできけよ・・・死ぬかと思っただろ。」 「死ねば良かったのに。」 「こいつ・・・」 恨めしそうに白澤が見つめてくる。だが恨めしいのはこちらの方だ。舌打ちしたい気持ちを抑える。着物の袖を掴んで口元にそれを持っていく。匂いを一応嗅いでみるが、ミントのような香りしかしない。そして、そういえばと、牛頭と馬頭に香水を振りかけられた事を思い出した。白澤も犬のようにスンスン辺りの匂いを嗅いでいる。そして私を指さす。 「やっぱりお前からだ。」 「犬ですか貴方。ほら、香水ですよ。先ほど門番の二人にお会いしたんですが、かけられてきました。」 「ふーん。いや、お前が戸を開けたとき、風にのって匂ってきたんだけど、へー・・・香水か。」 珍しい。そう言って私の方に顔を近づけ、スンスンと鼻を鳴らした後、彼は背を向ける。最終的に何がしたかったのか、分かりかねる行動だった。ただ私の繊細な(笑うところですよ)ハートが傷つけられただけだった。私はその煮え切らない態度に若干腹を立てたが、顔を顰めるだけに留めておいた。 だからいいと言ったのに。視線を落とし、手をギュッと握る。牛頭馬頭はお洒落だと言ったけれど、私みたいなものがそんな事をしても意味はないのだ。白澤にとってはただの珍しい事で終わるようなものなのだから。 顔に掛かる髪を耳にかける。それと同時にため息に近い形で息を吐き出した。何だか虚しい。そう思って初めて自分が白澤に期待を抱いていたのだと気づいた。つくづく馬鹿だと思う。自分と彼は、お世辞でも似合うなんて言葉を言い合う仲ではないのに。 このままずっと立っているのも無駄なので、テーブルの方へ戻ろうとする。下へ向けていた顔を、首だけ動かしてテーブルへと動かした。それに遅れて身体がそちらへ向く。一歩、足を踏み出す。 「そんなの使わなくてもいい匂いなのに。」 ピタリと動きが止まる。振り返って彼を見てみるが、以前として背を私に向けたままだ。一瞬呼吸をするのを忘れた。喉を振るわせながら息を吐く。平静を装うことが出来ず、その背に、弱々しく白澤さんと呼びかけた。それのおかげか何なのか、自分が何を口走ったのかやっと気づいた彼が、ヘァっと間抜けな声を上げる。 後から後から顔中に熱が集まってくる。音を付けるなら多分ボボボッだ。彼にいたっても同様で、首まで赤い。男二人が顔を湯でダコのように赤くしていた。 私は混乱する頭でこの空気をどうしたら良いのか考える。だが、頭の中ではお花が咲いていて、まともな思考が出来なかった。 「いやほら、僕的にそのあのえぇっとフォローをだな、しようとしただけで別に深い意味は、」 「・・・・・・。」 「つまりだな、お前が気にしてるんじゃないかと思って、フォーローを入れただけだから、大丈夫だから、何が大丈夫かわかんないけど大丈夫だから、本当大丈夫だから。」 「・・・・・・。」 「別に普段から嗅いでる訳じゃないんだからな!いつも良い匂いとか思ってる訳じゃないからああ!勘違いなんかすんなよ!本当だよ!」 私が何も話しかけられない中、白澤はまくし立てるように喋った。正直、先の発言が衝撃的すぎて、話の内容を理解することは出来なかった。 背中に汗がつたう。それは冷や汗に似ていたが、身体は冷えるばかりか熱くなる一方だ。手を握ったり開いたり動かして、胸の内からこみ上げてくる何かに耐えようとする。その何かが何なのか、自分は理解することが出来ない。ただ何となくこの状況は恥ずかしいということだけは分かった。 私が一人、白澤の話も聞かずに動揺していると、白澤はまくし立てたその勢いのまま、私の方をバッと振り返る。彼の視界に私が映った。脳がそう把握するまで数秒の時間を有した。そして、それを認識して自分の失敗に気づく。ああ、映ってしまった!私の彼の比ではないほどに赤く熟れた顔が! 「・・・・・・帰ります。」 「えっ?」 「帰るんですよ!今日はお邪魔いたしました!」 「えぇ!ちょっ何でこのタイミングで帰るんだよ!」 「知りませんよ!自分の心に聞いてみなさい、このアンポンタン!」 「ぐぼぉっ!」 白澤の顔面にストレートを決めて、店の外へ出る。そこから全速力で地獄へと向かう。薬を取りに来たのにも関わらず、もらわずに帰っているが、そんなこと気にしていられなかった。 常春である桃源郷は緑色の草が道に所々生えている。それを踏み荒らしながら、息が上がるほどのスピードで走った。身体が熱い。久々の全速力だからだ。そうに違いない。 春の道を駆けた後、天国と地獄の狭間へたどり着いた。その道を足音をたてながら進む。着物が乱れる。しかし、そんな事に意識を向ける暇はなかった。 目の前にまた、来たときと同じように牛頭馬頭の姿が見える。彼女たちはこちらを見て可笑しそうに笑う。 「あらぁ鬼灯様、何時ぞやと同じようにお顔が真っ赤!」 「やかましい!」 キッと二人を睨み付けながら怒鳴った。 |