ユートピア


コンビニで何でも買えるような時代になってもう久しい。愛ですら、買える。そういう歌もある。愛はコンビニでも買えるけどもう少し探してみようか、みたいな歌だった。もう動かないipodに入ってる。第三世代。確かにコンビニに置いてあるものなんて、みんな安っぽく見えるしそれに愛も例外ではない。それでも、愛はあるのだ。愛に生理用品に下着に牛乳に今夜の晩御飯。冷凍されたチャーハンの味は当たりだと思う。冬には暖かいおでんもいいよね、なんて。タバコの銘柄を選びながら、13番、それと愛もください。愛ですね、と言って店員が差し出してきたそれは小さく相変わらず安っぽい。別に銀座の高級デパートに行って、愛をくださいと言って出てくるものと中身は対して変わりない。どちらも愛だ。ただその包装が豪華だったり、安っぽかったり、はたまた剥き出しだったりする。それだけだ。たばことサイダーとコンドームと愛に見合う代金を支払ってオレはコンビニを出た。行くあてなんてない。家は嫌いだった。家には愛があったけれど、それはオレが欲しい愛じゃなくて、そんな愛ならコンビニで安く売られている愛の方が何千倍も魅力的だった。安っぽい包み紙を剥がして愛を食べる。この前寝た女の子はコンビニの愛なんて美味しくないし、味もないから嫌いって言ってたけど、オレは別に不味くはないと思うんだよな。味は確かに無いけれど。舌で転がす。愛は無味無臭で、それでもオレは満足した。今日はどうしようか。コンビニの前で屯して、愛をひとり食べているオレ。なんて可哀想なんだろう。友達のところにでも行こうか。少しは気は晴れるだろうか。それともより惨めになるだけだろうか。舌の上の愛が小さくなる。ああ、無くなってしまう。名残惜しくて優しく優しく溶かしていく。消えてしまうその喪失感が嫌で、オレは一緒に買ったサイダーを仰いだ。



「ティーダ、お前さあ、いい加減家、帰んねーの?」

ずっとずっと昔から連載している漫画の単行本、その69巻を棚に戻して続きの70巻を手にした時、家主であるバッツはゲームする手をとめずに聞いてきた。

「なんで?」
「なんでって……親、心配してんじゃねーのかなって」

だってまだ漫画は20巻以上もあるのだ。読み終えてないし。

「大丈夫だって。ちゃんとバッツのところに世話になってるって言ってあるから」

これは嘘だけど、別にいいだろ。どうせ心配なんかしちゃいない、あいつは。現にオレの携帯電話機には着信すらないんだ。どうでもいいってことだ。

「まあ、いいけど」

バッツは優しい。オレを泊めてくれるし、漫画も読んでいいし、ゲームもしていいって言う。この前は高いアイスを奢ってくれた。でも、やっぱり嘘。バッツは優しくない。バッツは愛をくれないから。前に強請ったら、それはやだって怒られた。ケチ臭いよな。コンビニのでいいからって言ったらじゃあ自分で買えよってお金を渡された。そうじゃないんだよ。オレはさ、バッツから、これ言うと怒られちゃうだろうけれど、なんならバッツからじゃなくてもいいんだ。愛が欲しい。剥き出しの愛が。読んだ漫画の先が気になって続きの巻に手を伸ばしたのに、数ページ捲っただけで読む気はとうに失せてしまった。ポケットに突っ込んであった愛をまさぐって、引っ張り出して、口に含んで横になれば静かな幸福感がオレを満たしていく。ゆっくりと横たわれば、寝んの? って聞いてきた。その声にうん、と応えて、そのまま目を閉じた。

起きたら部屋には誰もいなくて、室内は真っ暗だった。オレの携帯電話だけが着信を知らせるライトを発していて、バッツからだった。友達に呼ばれたから飲みに行ってくる。鍵はいつもの郵便受けに投げておいてくれ。オレはさらさら帰る気なんてなくて、既読したまま無視した。どうせ相手も帰るだろうなんて思ってないだろうし、なんなら今夜はバッツは帰ってこないだろうなあとも思った。オレが欲しがるものを、バッツは簡単に、オレ以外に与えてるんだろう。それを考えると暗い部屋にひとり、またさらに惨めな気持ちになるのだ。バッツも分かっているのだろう。本当に俺が欲しいのはバッツから与えられるものじゃないことを。ポケットを弄る。出てきたのはくしゃくしゃになった包み紙だけだ。愛の匂いがほんのりして腹が立ってゴミ箱に投げ捨てた。軽い包装紙はゴミ箱に届く前に落ちる。そんなことにもイライラしながら、立ち上がって落ちた包み紙を拾って捨てた。腹が減ったな。ふらふらと台所に行き、冷蔵庫を開けて、何もなくて、何もねーのかよって笑って、泣いた。さっき食べた愛はとうに消化されていて、腹は減ってる。嫌がらせにバッツの家にまだ居座ってやろうかと思っていたけれど、お腹すいたし、カップ麺の買い置きとかも無さそうだし。……バッツって普段何食べてんの? オレはコンビニとかスーパーとかで食べ物買ってきて勝手に食べてるだけなんだけど。バッツはいつも外で食べているようで、そういえばあまり家で飯を食っているところを見た事がなかった。朝も昼も夜も、何を食べてるのだろう。そう思って、気がついた。愛だ。バッツは愛を食べている。幸福感のある愛を食べているからきっと冷蔵庫に食べ物がなくてもいいんだろう。実際にオレがバッツの家に転がり込んだのだって、そこに愛があったからだ(それが与えられるかは別として)。開けっ放しの冷蔵庫がぼんやりと光っている。ここに愛のひとつぐらい、置いておいてくれてもいいじゃないか。

「……はは」

馬鹿らしい。腹が減ったから飯を食おう。誰かと食べれば少しぐらい気は紛れるだろう。
腹が立ったからバッツの鍵は空いたズボンの後ろのポケットに突っ込んだ。

「だからってさ、おれじゃなくてもいいじゃん」
「なんでだよ、いいじゃんか。オレはヴァンと飯が食いたいの」
「おれ、バイト終わるまでまだ一時間ぐらいあるけど」
「いいよ、待つから」

ため息ついたヴァンの目の前に缶コーヒーとキットカットを差し出す。ん、とヴァンは手際よくレジに通していく。ヴァンは夜遅くまでやってるスーパーでバイトをしていて、オレはいつも変わらないペースのヴァンに会いたくてわざわざ二駅も越えてやってきた。夜遅くのスーパーはそれなりに混んでいて、オレは邪魔にならないように車止めのガードレールに腰掛けて缶コーヒーを飲んだ。会社帰りのサラリーマンだとか、晩飯の材料を買い込むカップルとか、如何にもいまから呑みます! っていう大学生の集団とか。みんなどこか忙しなくて、それでもそこには愛が溢れていた。夜に光るスーパーの明かりが煩わしくなってオレは目を閉じて空を仰ぐ。星は見えない。今日は曇りだ。キットカットを食べ終えて、空になった缶コーヒーを地面に置いて灰皿代わりにしていたら私服に着替えたヴァンがお待たせ、と言って出てきた。

「どこ行く?」
「ハンバーグ食べたいから駅前のびくドン」
「おっけー。おれも肉食べたいし。あ、これってさ、ティーダの奢り?」
「いいよ、オレの奢りで」
「ん、やった」

ヴァンもわかっていてそういうことを言うんだろう。別に元から奢るつもりではあったし、気にしてない。寧ろ、やはりバレていたか、ぐらいだ。オレがバイトのあるヴァンをわざわざ誘ったこと。別に友達なら他にもいるし、暇なやつもいるだろうし、なんならバッツに連絡して呑み会に参加しても良かったんだ。それを敢えてしなかったこと。メニューを見ながら何にしようかなーと考えるヴァンの旋毛をオレは見透かされてたことが恥ずかしくて、軽く押した。

「なに?」
「メニュー、決まった?」
「まだ」

ヴァンはおろしそにしようかな〜とかでもチーズもな〜とかブツブツ言いながら考えている。オレはと言うとポテサラがいいと決めていたので特にメニューを見る必要は無い。

「決めた! このハンバーグ2個乗ってるやつ、チーズ付きの」
「遠慮とかねーのかよ」
「奢りだからな」

店員を呼んで注文をする。サイドメニューも頼もう。ポテトにドリンク。なんたってオレらは食べ盛り育ち盛りの10代だ。腹減ったーと言って携帯電話を触る。タバコ、吸っていい? いいよ。タバコを吸っても酒を飲んでもオレたちにはやめろと言う大人はいない。なんならバッツなんかは勧めてくる。大体そんな大人がいたらオレたちはバイトなんかしてないし、夜に出歩いたりなんかしてない。家に何日も帰らなかったりもしない。

「タバコ、やめたんじゃないんだ」
「やめようと思ったけど、もういいかなって」

ああ、そうだ。オレがタバコを吸うと嫌な顔するやつはいた。お前、スポーツ選手だろとか。体に悪いとか。優等生かよって思ったけど、実際そいつは優等生だ。ヴァンはふーん、と興味もなさげにオレのタバコの箱を弄ってる。避けたかった話題であるのに意図せずそいつの話になってオレのテンションは下がった。あいつの、そういうところが嫌いだったんだ。火をつけて一度吸っただけのタバコを灰皿に押し当てた。タバコはやめろとか、夜出歩くなとか。

「ガキかよ」

そう吐き捨ててヴァンからタバコの箱を奪った。それうまい? って聞いてきたから別に、って返した。あーもう、ほらそういう返事もあいつそっくりじゃないか。別に、っていうの、口癖だったから。
だんだんと不機嫌になるオレにヴァンは関心がない。オレはと言うとイライラし始めて早く注文した品が届かないかと首を長くしていた。こんな事なら缶コーヒーとキットカットを買った時、ついでに半額シールのついた愛でも買うべきだったと思う。

「フライドポテトとドリンクです」

たっぷりとケチャップを付けてフライドポテトを食べた。口の中をケチャップ塗れにしたかった。味のあるもので全てを流したかった。付いてるって笑ったヴァンの顔が憎たらしくて、オレは素手で口の周りのケチャップを拭った。

やっぱり肉だよな、肉。ハンバーグを食べて満足した。けど、まだちょっと入りそう。オレもヴァンと一緒の、ハンバーグがふたつあるやつにしたらよかったかな。食べる前に間食したし、とか思わないでさ。

「今日どーすんの? うちくる?」
「うん」
「ん」

そういうヴァンは携帯電話を横にしてゲームをしてる。オレはと言うと空になったグラスの、氷が溶けて水になったやつをちびちび飲んでる。何があったとか聞かないこいつのこういうところが好きだ。例えそれがバレていようと。
オレは、ヴァンもだけど、親から愛の与えられない可哀想な子供、ではあったけど、別に愛を貰ったことが無いわけじゃない。例えばそれこそ、ヴァンにだって貰ったし、ひとつ年下のジタンにだって、家が近所のセシルにだって貰った(バッツはくれなかった)。そしてオレもあげた。オレの愛を(バッツには意地であげた)。でもオレが一番貰って、あげた相手はヴァンでもジタンでもセシルでも無い。顔に傷がある、無愛想で無口で、ブサイクなやつだ。

(かっこいいだなんて、ぜってえ言ってやんねー)

こんなやつに惚れてたとか、馬鹿らしくて笑っちゃう。オレがあげた愛、返せよ。175センチの身体から精一杯創り出した愛なんだぞ。その辺のコンビニだとか、スーパーで半額シールが付いてる愛なんかより、そんなものより、ずっとずっと、オレの気持ちが籠った愛なんだぞ。
……あいつはさ、未練とかねーのかな。オレはこんなに、こんなに飢えて、バッツのところ行ったり、ヴァンのところ行ったり、アプリで知り合った女の子と遊んだり、そういうことしてるのにさ。

「もう行く? おれんち」
「ん、そーする」

ゲームが一区切り付いたのだろうか、いつの間にか携帯電話を縦にして文字を打つヴァンが聞いてきた。お腹がいっぱいになって、時間とかもう深夜だし、そういう弱い気持ちになったのかな。伝票を持って会計を済ませ、ありがとうございましたというテンプレートを聞いて。夜歩いた道は誰もいなくてオレは酔ってもないのに大声で(ヴァンがうるさいなあって笑ったけど、それも無視して)少し前に、だいぶ前に流行った歌を歌った。でもさ、スコールはオレの運命の人だと思ったんだよ、あの時。背伸びして大人になったフリをしていた。狭いワンルームの部屋でふたりで夢をふくらませた。コンビニの愛なんて買わなくても良かった。大声でわあわあ泣きながらオレは歌って、それでもヴァンは手を握って離さなかった。

自力で見つけようとしたんだ、神様ってやつを。オレたちは若くて、なんでも出来て。たとえば世界の果てまで行っても、横を向けばアイツがいるって信じてた。
アイニージュー、アイニージュー。アイツがいればそこはユートピアで。いないからここはきっと地獄だ。

勝手に離れていった相手のことをただのひと時も恨めない愚かな自分が嫌いだった。中身のない、愛を求めて彷徨う獣になったオレをみんなは見捨てないでいてくれる。甘いラヴソングなのに、幸せを歌う歌なのに、気がつけばオレから出るのは嗚咽だった。ヴァンがオレを抱き締めてくれたけど、そんなヴァンの好意も無駄にしていることにとうに気がついていて、やるよと言われた愛を拒絶した。

起きたら携帯電話が通知を知らせていて、バッツから怒ったメールが沢山届いていた。家に入れないんだけど、なあ。今どこ? 鍵は? どうせバッツは女の子と寝てたんだし、そのままお世話になればいいのにな。どうしようかなって思っていたらバッツから着信がきて、出たら開口一番怒られた。ヴァンんちにいる、って言ったら取りに来るって言うし、じゃあジュースとアイスとお菓子買ってきてってお願いした。怒られたけど結局買ってきてくれるって。ちゃんとお金も払うからさって。
そうやって結局ヴァンの家でヴァンとバッツとお菓子食べてゲームして、だらだら過ごして。時間を、愛を、浪費させて、オレは生きている。オレは多分これからもこうやってしばらく生きていくし、コンビニで愛を買うし、バッツの家で漫画を読むし、ヴァンと深夜にチェーン店でだらだらと晩飯を食う。コンビニで愛が買える時代でよかった。スーパーの半額シールがついていようと、愛は愛だ。運命の人なんか、居なくなっていいんだ。ここは地獄でも、オレはきっと自力で神様を見つけてやる。ふたりでできなかったからといってひとりでできない、なんて保証はないんだ。愛を消費して、生きて、生きて。ユートピアも、地獄も宇宙の果ても汚れた靴で駆け抜けて。

なあ、叱ってくれよ。お前、スポーツ選手なんだろって。タバコ、やめろよ、って。夜出歩くなって。そばにいろって。
アイニージュー、アイニージュー。動かなくなったオレの手を引いてくれよ。隣にいて、笑ってくれよ。スコールとなら、どんな世界もユートピアなんだよ。
BGM運命の人

2021.4.3

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