楽園(エデン)は空想の中にある
「なあ、スコール、どっか行こう」
そいつのあまりにも適当な発言に俺は眉を顰める。
「どこへ」
「遠くへ。遠く、遠く、誰もオレ達のことを知らないところへ」
ばかなやつだと心底思う。そんなこと出来るはずなんてないのに。彼の曇のない幼子のような目が少し細められて人懐っこい微笑みをする。
「……無理なことを言うな」
「無理じゃない」
「できるはずない」
「できるって。オレとスコールなら」
彼の目が俺を射抜く。グイグイとそのまま引きずられそうになる。
「スコールがオレをジャンクションして。そうしたらオレはスコールの中にいける。誰も知らない、スコールですら知らないところに。オレがアンタの記憶を消して、そうしたらスコールはスコールじゃなくなる。誰も知らないスコールになれる。どうっスか?」
そいつの手を思いっきり叩いてしまいたかった。ばかな絵空事だと、何を言っているのだと。そう出来ない理由が俺の中にあることに少なからず自分自身で驚いた。結局は同じ穴の狢なのだ。彼がこの世界に絶望しているように、俺もまたこの世界に辟易していた。
「……」
「なあ、スコール」
猫なで声で俺を呼ぶ。やめろ、やめてくれと叫びたかった。俺の頬にそいつの手が触れる。彼の手はびっくりするほど冷たかった。俺の目と彼の目が搗ち合う。青い彼の海に沈む俺の姿が見える。そして彼は彼自身が俺の青灰に消えるのを見ているんだろう。彼はそのまま大きな海から静かに涙を零す。だんだんと歪められていくその顔も強ばる指先も押し殺そうとする嗚咽も。抑えきれない彼の感情がちりちりと彼が触れる指から伝わってくる。
「ああ、あああ、ああ……」
そのまま彼はずるずると崩れ落ちた。俺の足にすがりついて彼はみっともなく泣いた。
「スコール、スコール……なあ、頼むよ」
スコール、と俺の足にその声を押し付けた。
「っ、……俺は、もう、子供じゃない……!」
絞り出した声に彼ははっとしたように俺を見た。彼の水源は枯れることなく水滴を生み出す。その雫が垂れた時、彼は静かにそうだよなと呟いた。
「そうだよな……スコールは、もう、子供じゃない」
ぐっと俺の足に皺を寄せると彼の手はゆっくりと離れていった。彼は力なく立ち上がると俺を諦めたように見た。ふっと顔を背けてそいつはごめんと謝った。
彼が言いたいことも、彼の気持ちも、みんなみんな、痛いほど分かった。抗えない運命からどうにかして逃げ出そうとしたかった。そんなこと許されないのに。任務を放り出すことなどしてはならないのに。彼がその存在を認め俺の中に消えようとしたことも、俺が彼を受け入れ俺自身を消し去ってしまうことも。すべてに対する裏切り行為だ。それでも、それでもと思ってしまう。彼の手を取り、彼と共にいけたなら。その先はおそらくエデンだろう。誰もいない、誰も知らない。過去も未来も現在も。存在も記憶も。何もかもがまっさらで、何もかもが新しい。神々もいない。魔女もいない。そこにあるのは、だだの楽園なのだ。
2017.4.17
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