無題
神様はとうの昔に消え去った。オレ達にクリスタルという希望を残して。それが希望かどうかは分からないけれど。だってさ、突然異世界にきて、クリスタルを探せ〜ってさ。探さないと元いた世界は滅ぶって言うし。まあ、オレの元いた世界ってスピラなのか夢のザナルカンドなのか分からないけど。とにかく、オレは例外としても他のみんなには少なくとも"還るべき世界"というものがあるから。女神様の言う通り、希望だというクリスタルを探しました。クリスタルを探し出して、あとはカオスを倒すだけ。カオスを倒して元の世界に還るだけ。至極簡単なこった。女神様からしたらさ、オレ以外のみんなは希望だったのかもしれない。オレ? オレ、オレは……。時たま思うんだ。オレってなんで秩序軍なんだろうなって。なんでって多分親父があっちにいるからだろうけど。オレはみんなみたいに還るべき世界がない。肉体がない。還ったところでオレの存在は? どうせシヴァの夢に抱かれてねむるだけだ。はは、笑っちゃうよな。ホント。オレはみんなみたく人じゃない。人じゃないやつなんてオレの他にもいるけどさ。セシルとかティナとかジタンとか。ああ、クラウドも人造人間みたいなものだって言ってたっけ? とにかくだ。オレはそれでも彼らとは違う。存在がないんだ。夢なんだ。夢。夢はいつか覚める。この世界が無くなればきっとオレはまた消える。それを思い出してしまった。悟ってしまった。だからかな? どうでも良くなったって言うとみんな怒るだろうけど。なんだかもう、やる気がないんだ。そんなんじゃダメだって分かってるのに。フリオニールがオレを呼んでる。もう行かなきゃと重い腰を上げた。
疲れた。イミテーションとの戦闘は嫌いだった。ただでさえイミテーションは人の形をしていて、違っていると知っていても見た目は味方と同じ姿をしているんだ。質感も声も全然違うのに。見た目がそっくりのガラス細工。頭で違うとわかっていても剣を振るのは嫌な気持ちになる。戦慄。振り下ろされた剣はオレのよく知るそれ。オレのやつみたいに透き通って水も湧かないけれど。カキンと跳ね返す。ガラス細工の自分の顔を見つめてはっとした。オレも、このガラス細工のひとつじゃないんだろうかって。怖くなった。イミテーションの存在は偽物だ。彼らはただの模造品だ。わかっていても、それならオレは……? そう考えてしまったんだ。オレの存在は消えた。夢として。希望として。スピラの空に、海に、消えた。溶けた。この世界のオレの存在って……?
「ティーダ!」
セシルの怒号。クラウドの腕が伸びる。オレはそのまま庇われて地面に尻餅をついた。目の前には崩れゆくオレ。違う、アイツはイミテーションだ。違う。オレはそのままひしゃげた声を上げて光の粒子になる。違う! いい加減にしろ! オレは、オレはここにいる。ここにいるんだ……。手を見つめて怖くなって自らを抱きしめた。伏せた視界に白いブーツが入り込む。はっと顔をあげると怒った顔のセシルが立っていた。
「ティーダ、君は死にたいのかい?」
彼の声に怒りはあるけれど、それはオレを心配してのことで。ごめん……と呟けば、彼の手が頭に降りてきた。
「今回は大丈夫だったけど、次はそうとは限らないだろうから。しっかりして。君はひとりじゃない」
彼の目を見つめるとその中の優しさに溶けてしまいたくなって、しまいには涙が溢れてきた。頭から手を離した彼が戻ろう、と告げても涙は引っ込みそうになかった。
そんなこともあって、オレは夕食も取らずに早々に寝床に潜り込んだ。フリオニールに飯は? と聞かれたけれど、いらないとぐずるように告げた。フリオニールのとおざかる足音が聞こえた気がした。
ぱっと目が覚めた。頬に触れるとどこか湿っぽくて、ああ、まだ人みたいな感情があったんだなって安心した。横ではフリオニールとクラウドが静かに寝息を立てて寝ている。そっと起こさないように抜け出すと、外は満天の星空だった。
「……スコール」
後ろ姿に声をかけると彼が振り返る。じっとこちらを警戒して見つめて、まるでそれはオレが誰かを探っているようだった。
「……ティーダ?」
そうッスよ、と頷けば彼の顔は少し和らいだように見える。
「隣、いい?」
「……ああ」
スコールとオレはあんまり話したことがない。よくバッツとジタンが彼をからかって遊んでいるのは知ってるけれど。なんだか前とは雰囲気が違うように思えて。
スコールって同い歳なのにオレよりもクールで大人で、そいでいて戦闘も長けててさ。オレ、一緒にいると自信無くすんだよなあ。そんなことをぼんやり考えていたせいで。
「眠れなかったのか?」
そう聞いてきた彼に反応するのが遅れた。
「へ、ああ、うん」
そんな返事しか出来なかった。じっとこちらと見た彼はオレの頬に手を伸ばす。
「……泣いたのか」
ちょっとびっくり。スコールってさ、なんかオレのこと面倒くさいって思っててあんまり近寄らないイメージだからさ。彼の手がオレの頬をなぞる。びっくりしたのと擽ったいのでオレは身動きが取れなかった。
「……別に、大したことないッス」
へにゃりと笑ってオレはスコールから視線を外した。スコールはそうかと言ってそれ以上は何も言わなかった。
焚き火の燃える音と、時折鳴く獣の声。揺らめく赤と降ってくる群青に隣にいるスコールの息遣いと鼓動が聞こえてくるように思えて、オレはまたひとり勝手に憂鬱な気持ちになった。
ググゥ〜とマヌケな音が腹からなる。スコールがびっくりしたようにこちらを見て、オレは恥ずかしくて笑った。
「腹、減ったッス」
じっとこちらを見て、彼は納得したように立ち上がる。何か残ってないか見てくると言って食糧をまとめてあるテントに歩いていった。そこまでしなくていいッスよと言いながらも鳴る腹の虫に彼は笑ってしばらく待ってろ、と告げた。
腹が減るなんて。なんだかなあ。存在の無いものが、存在の有るものを咀嚼して、消化して。違和感しかない。そんなことを考えてオレの視界はユラユラと揺れた。こんなこと、ウジウジ考えてる方が馬鹿だってえの。泣き虫という声が闇の中から聞こえてくるようでオレはどうしようもなくイライラとして、それでいて泣きたい気持ちが溢れて、膝の間に顔を埋めた。
「おい」
低い声に驚いて声をあげれば、スコールが干し肉を持ってそばに立っていた。
「あ、ありがとうッス」
彼が寄越したのはいつかフリオニールが仕留めてバッツが処理したウサギの肉だった。憐れなウサギ。罠に引っかかるなんて。そのせいでオレの腹におさまることになるなんてな。干し肉は美味しくはないけれども、おいしかった。間抜けなコメントだって笑うな。なんというか、肉自体は美味しくないんだ。そりゃ保存食だからさ。オレが毎日ザナルカンドで食べてた飯に比べたらマズイに決まってんじゃん? スピラでも野宿はしてたし、大した食べ物は食べてなかったけれど。こことは違ってちゃんとした街もあった。お布施を貰うこともあった。だからいまよりいい飯は食ってたんだ。……まあ、これはオレが食いっぱぐれたのが悪いんだけどさ。とにかく、肉の味は美味しくない、まずい! そうなんだけど、フリオニールが仕留めたり、バッツが処理したり、スコールが持ってきてくれたり。なんかそういうことが優しくて、美味しいんだ。引っ込んだはずの涙が溢れそうになる。なんだか今日は変だ。この干し肉を食べ終わったらささっと寝床に戻って寝よう。
ガツガツと干し肉を貪るオレの横でスコールはクールにそれを咀嚼する。様になってるな、と思いながらオレは食べることに集中しようとした。
「……ティーダ」
「なんスか」
スコールのほうを見ると彼はとっくに食べ終えたようで、それでいてオレに声を掛けたのにまた何か考えているような顔をしていた。オレが不審そうな顔をしていると、
「あんたは」
「なに?」
「……あんたは、何が不安なんだ?」
……とてつもなくオレは間抜けな顔を晒したと思う。こんな顔、多分フリオニールも見たことないんじゃないんだろうか。びっくりした。スコールにそんなことを聞かれたこと。セシルやフリオニール、クラウドに聞かれるならまだしも(いつも行動を共にしている彼らだ。彼らは大人だから、オレの不安に気がついていてもそれを口にはしなかっただけなのかもしれないけれど)。まあ、これだけ泣いていたらなあとも思うけど。ほら、さっきも言ったけど、スコールってそういうこと、面倒くさいから避けたがりそうだから。
「……なんで?」
なんとなく、意地悪したくなった。こんなスコール見たことないし。彼は少し困ったように口を開いては閉じた。
「なんか、」
夜の雰囲気は嫌いだ。かたい干し肉を飲み込む。
「オレって」
喉を通る。ゆらめく炎がスコールの頬を撫でた。
「どこに帰るのかな」
普段青白い彼の顔が赤く照らされる。変な感じ。
「って」
ガッと思いっきりオレの腕を彼は見たことのないような顔をして掴んでいた。いたい。クールで無口で、でも子供っぽいところがある彼の、オレが見たことのないような、大人の憤怒を見せた顔だった。オレはどうして彼がそんな顔をするのかわからなくて、痛い、痛いと訴えた。
「……フリオニールから聞いたぞ。あんた、昼間に死にかけたそうだな」
「……ちょっと油断しただけっスよ。怪我もしてない」
スコールがオレを見つめる。オレも見つめ返す。怖くなって逸らす。それでも彼はじっとオレを見ているのがわかった。
「……もう、なんスか」
干し肉はもうない。オレはもうこの話をやめにしたくて、身をよじった。
案外あっさりとスコールはオレの腕を離した。
「悪かった……」
彼はふっとバツの悪そうな顔をして、目をそらす。
「本当に、大したことはないんスよ。油断して、怪我しかけたのは悪かったけれど」
彼の探るような青い目から逃げ出したくなって、立ち上がる。
「なんか、眠たくなったッス。ごめん、スコール、ありがとな。あ、次の哨戒って、フリオ? だっけ? 起こそうか?」
「いや、いい。まだ早い」
「そうッスか。じゃあ、あとお願いな」
そう言ってオレは足早にスコールから立ち去った。彼の名残惜しそうな視線が背中に突き刺さる。その視線から逃げたくて、オレは天幕の中に滑り込んだ。
スコールに不安をぶちまけてもよかったんだ。でも、それってちょっとずるいかなって思った。あまりオレのことを知らない、それでも同い年のスコールに縋るなんて。また涙が溢れてくる。泣き虫って罵られるのも納得できる。オレはずるずると寝床に張って、胎児のように身体を丸めて泣いた。
夢を見た。これまたおかしな話。夢が夢を見るなんて! ひたすらに荒れた荒野を歩く夢。歩けども歩けどもその先に広がるのは暗く濁った空と死んだ大地。まるで今オレたちがいる世界のようで。行き止まりにきて、後ろを振り返れば、あれだけあった大地の一つもなくて。オレはとうとうその場から動けなくなる、そんな夢。もう、みんなと会えないんじゃないか。みんな? みんなって誰だろう……オレ、オレは……。オレの存在は……。
稲妻のような衝撃でオレは現実に引き戻された。
「いつまで寝てんの! ほら、起きて起きて!」
思いっきり毛布を剥がされて床を転がったオレを見下ろしていたのは小さな赤い兜のオニオンナイトだった。フリオニールもクラウドも、ティーダに甘すぎるよと言いながらオレの毛布を畳んでいく。ティーダ、君、今日は水汲みでしょ。と年下の騎士に言われてはっとした。
「もういいよ、僕がやっちゃったから。……今日だけだよ、こんなこと。もう許さないからね。ご飯できてるから、食べてきて」
なんとなく昨日のこと、夜のことまでも彼にバレているようで。気まずくなりながら謝罪と感謝を述べた。そう思うならこんなこと、もうやめてよね。と、生意気そうな声が返ってきた。
朝食はみんなそれなりに済ましていて、オレはどうやら最後だったらしい。早朝に出ていったのはWOLとクラウド、セシル、それにジタンで、バッツとフリオニールとティナが片付けをしながらお茶を飲んでいた。
「よう、ティーダ、おはよう」
「おはよーッス」
「よく眠れた?」
「ん……まあ」
はい、とティナがバッツが焼いたパンとサラダにミルクを持ってきてくれた。ありがとう。ふふっ、そのパンとても美味しいのよ。胡桃が入っているの。今日はどこにも移動しないからゆっくり食うといいぞ。ん。そうするっス。
フリオニールのほうをちらりと見ると彼はん? という顔をしただけで何も言わなかった。昨日、テントを抜け出したのも、泣きながら寝たのも、バレてない。そういえば気分はどうだ? ティーダ。良くなったか? ああ、平気っス。もう大丈夫ッスよ。ほんと、昨日はごめんな、フリオ。ならいいんだ、よかった。
スコールはまだ寝ているらしい。そうだよな、昨日哨戒していたのは彼だし。フリオニールは寝なくていいのか、と聞けば俺が代わったのは明け方だから大丈夫だ、と返ってきた。
オニオンナイトとティナ、それに寝ているスコールを置いて、オレとフリオニール、バッツは食料調達に出かけた。仕掛けた罠を覗いて、食べれそうな木の実を拾って。途中に湖があったから駄々をこねて泳がせてもらった。まあ魚がいたら捕まえてやろうと思った程度だ。水の中は澄んでいたけれど、魚の姿は確認出来なかった。もっと深いところなのかも、と思えば遠くからオレを呼ぶ声がして、オレは水から抜け出した。
フリオニールでも、バッツでも、オレを呼んでくれる。セシルだって、クラウドだって。WOLもオニオンナイトもティナもジタンも。そして、スコールも。そう思うと水に溶けていた身体のパーツがひとつひとつ合わさって、オレを形作るように思えた。水から顔を出して、呼ぶ声に魚、いなかったー! と叫べば、そうかー、もうそろそろ帰ろうぜー! とバッツの声が聞こえる。スイスイと水を越えて仲間の元へとオレは進む。朝起きた時、夢を見た時の、あの不安はとうに薄れていた。
帰ってきたらスコールが起きていて、愛剣の手入れをしていた。ティナはおかえりなさいと微笑んで、何を取ってきたの? とバッツから袋を受け取る。バッツがティナに捕まえた動物とか木の実とかの話をして、フリオニールはオニオンナイトに誘導されて持ち帰った食材を倉庫にしている天幕に運びに行った。オレもそれに倣う。持っている麻袋から赤く、熟れた林檎を取り出してスコールのもとに寄ってから。
「スコール、これ、昨日のお返し」
そう言って差し出せば、彼はありがとうと受け取った。
「今日は大丈夫だったのか?」
「? なにが?」
彼が言葉を選んでいる最中、思い当たる節があって、オレは、ああ、大丈夫と答えた。
「大丈夫、今日は戦闘になってないから、怪我もしてないッスよ。ちょっと途中で泳いできたら、なんだか気分良くなったッス」
そうか。と彼がほっとした顔をした。心配してくれて、ありがとな、スコール。そういえば彼はまた静かに愛剣へと意識を傾けた。
フリオニールのところに荷物を持っていくのは後からでもいいだろう。天幕はそこまで大きくはないし、きっとふたりで荷物を広げて仕分けしているはずだから。バッツとティナはあっちで今日食べるものを分けている。まだ時間がかかりそうだ。スコールの横にオレも腰を下ろして、熟れたリンゴを手に取った。
シャクリと甘く、みずみずしい味がした。スコールは相変わらず愛剣に熱をあげていて、オレはそれを見ながらリンゴを食べ続けた。
「帰る場所は、」
ぼーっとスコールの手元を見ていたから、彼がオレに話しかけたことに気付くのが遅れた。
「俺も分からない」
「えっ?」
「思い出すのは、何も無い荒野だ。灰色の空と死んだ大地。歩き続けて、その先には何も無いんだ……」
それって。夢で見た? あの世界はスコールの? あの世界に帰ったところで彼が生きていけるのだろうか。恐らくできないだろう。ふうっと、彼の手がガンブレードから離れる。そして少し遠くの、バッツとティナを目を細めながら見つめて、彼は言った。
「俺は、元の世界で死んでいるのかもしれない。それを思うとどうしようもなく怖くなる」
スコールがこんなことを言うなんて。リンゴは甘く喉を通る。彼がそんなことを言うのも、もしかしたら生きていないかもと不安を口にするのも。自分だけが抱える、不安の熱だと思っていた。ずっと、ずっと燻って燻って、焼け付いて、真っ黒になって、どうしようもないものだと思っていた。オレも、オレも、そうなんだ。分からない。オレという存在は夢で、海に消えたんだ。叫びたかった。普段、クールな彼が弱みを見せてくれたその代わりじゃないけれど。傷の舐め合いみたいなものを。子供の慰め合いみたいなものを。
オレはただ、そう。とだけ呟いた。まるまるひとつ、リンゴを食べたというのに喉はカラカラで、もう一つ手に取ってかぶりついた。スコールはそれから何も言わない。彼と、オレとがリンゴを咀嚼する音だけが周りに響いていた。
「あっちのほうにさ、ひずみがあったんだよ」
帰ってきたジタンたちは比較的元気そうに戻ってきた。ティナの作ったシチューを頬張りながらジタンがいう。
「あれを越えたら新しいところに繋がってたんだ」
この拠点は今日までで、明日からはまた進軍するとWOLは告げた。なんとなく、あの湖にはもう行けないんだなあと思った。そう思うと少し寂しい。
火を囲んで、他愛のない会話をして。昼間のスコールの話がリフレインする。みんな、勝手に帰る場所があると思っていた。そうじゃないのかも。たまに感じていたみんなとの距離が、ぐっと近くなったようになって、また少し遠く感じた。スコールのほうを見る。彼は酒を飲んだらしいバッツに絡まれ困ったようにフリオニールに目線を迷わせていた。フリオニールはそれを見て笑いながら干し肉を齧る。バッツ、スコールが困っているぞ。まあまあ、スコールも満更でもない顔してんじゃん〜! そんなわけないだろう! ……変なの。オレはクラウドとセシルが飲んでいるお酒をひったくってぐびぐびと飲んだ。スコールと目が合った気がした。なんだか、ざわざわする。スコールが、あんな気持ちを吐露したのは、多分オレだけだろう。そんな気持ちがした。お酒は、あんまり好きじゃない。ふたりがびっくりしているところ、ちょっと用足し! と言ってオレはその場から逃げ出した。
あほらしい。ガキじゃあるまいし。酒と熱とイライラとで火照った頭を冷やすために少し歩く。用足しって出てきたからそんなに遠くに行くつもりも、長い時間もかけるつもりもないけれど、どうにもこうにも戻る気持ちになれなかった。あの湖、あの湖に行きたいな、と漠然と思った。近くはないが遠くもない。ただこのまま歩みを進めるのは後ろ髪が引かれる。うろうろと、ゆるゆると、足は止まらないがスピードは遅くなる。帰りたくない。あの空間には。何だかとても、変な気分だ。子供みたいだ。昔、アーロンと喧嘩して家を飛び出したことがある。家には帰りたくないのに、どうしようもなく帰りたい気持ちもあるのだ。誰かに見つけてほしい。そんな気持ち。
「ティーダ」
突然呼ばれた名前に驚いて振り返るとスコールがいた。なんで……? そうつぶやく声は彼が掻き分ける草の音に消えた。
「……用を足そうとしたら、セシルにあんたが戻ってこないと言われたから」
探してこいと。ごめん。そういうと彼は少し肩を落として、もういいのか? と問うた。
「うん、もう、いい」
「そうか」
じゃあ戻るぞという彼の背中をただ見つめていた。オレが付いてこないのがわかると彼はどうしたんだ? と視線を投げかけてくる。
「スコール、ちょっと、付き合ってくれない?」
そう言ってオレは湖を目指す。スコールの戸惑いの声とオレを呼び止める声がなんとなく嬉しくてそのまま速度を上げた。そのまま湖にダイブして岸から離れていく。スコールの声が聞こえる。顔を出す。
思いっきり息を吸って、
「スコール!! オレも、生きてないんだ!!」
岸に立つ、あの、スコールの間抜け顔! それを見たら、いままでのモヤモヤもイライラもみんな吹っ飛んだ。
「オレはさー、存在が夢で、帰る場所もないんスよ!! だから、きっと、スコールと、一緒!!」
そう叫んで潜る。彼のあんな顔、オレしか知らない。今日だけでスコールとぐっと、誰より近くなった気がした。また水面に浮かぶ。プカプカ。たゆたう。穏やかな気持ちで浮かんでいたら、ドボン、という音が聞こえた。スコールが泳いでくる。近づいてくる。彼の手がオレをつかむ。その目は鋭くて、くもりがなくてちょっと怯む。彼はそのままゆっくりと顔を近づけ、唇に感触。キスされたと気が付くのに少し時間がかかった。男同士で、何してるんだとかそんなこと頭をよぎったけれど、いま大切なのはそんなことじゃない気がした。一度離れる熱。次はオレから。交わる熱はふたりの身体を貫いて割いた。ふたりとも生きてないかもしれないのに、熱があって、それを分け合って、いまだけは生きていることを感じている。生きてる、生きているんだ。オレも、スコールも。ボロボロと涙が溢れた。恥ずかしいな、と思ったけれど、もう濡れて分かりもしない。スコールも泣きそうな顔をしていて、結局ふたり、似たもの同士なんだと悟った。
岸に上がって、これからふたり怒られるんだなあと思うとなんだかおかしくて笑ってしまった。スコールも笑っている。クールで無口な彼は、これからのことの不安に駆られて、悪い事をした自覚をもって、怒られることに困って、それに笑える、オレと同じ17歳なんだ。もう心は穏やかで、これから説教がくるとしてもそれを笑えるような(笑ったら申し訳ない、彼らは真剣だ)、余裕ができた。笑って、それから、歩き出した。スコールとオレの秘密。もう、この湖には来ない。来れない。だからきっと、スコールとこんなふうになるのももう最後だ。
濡れたオレ達をみてセシルはとても怒っていて、それからよかったと声をかけてくれた。心配してくれるその優しさがつらくてごめんと謝れば、はやく暖かくしておいで、話はそれからだからと焚き火の前に連れていかれた。何してたんだよ? とバッツに聞かれたら、泳ぎにと笑った。危ないじゃないか、とフリオニールに怒られれば、スコールがいたからと告げた。スコールもびしょびしょじゃない、どうせティーダが無理やり連れてったんでしょ? とオニオンナイトが言えば、そうっスよと応えた。オニオンナイトのため息。それに笑ってオレは炎を見つめる。横のスコールは悪かった……とセシルに謝罪している。オレが無理やり連れ出したと言ったからセシルもため息をついているけれど、それからオレにこんなことはもうやめてくれないか、心臓が持たないんだと告げた。
不安をさらけ出して、体温を共有して。ふわふわとした気持ちでオレは眠りにつく。変なの。もう、存在に怯えることはないように思えた。
2017.3.10
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