色とりどりの花が咲き誇る庭、さああと一陣の風が吹く。
「なまえ、大きくなったら結婚しよう。必ず、迎えに行くよ」
―――…
「習くん…!!!」
はっと夢から覚める。スマートフォンの画面を点けて見れば、明け方の4時10分。その隣に表示される日付は私の誕生日――そして両親の命日でもある。今年は十三回忌。もうそんなに年月が流れたのかと信じられない思いだが、私ももう立派な成人女性。それもそうだなあと思いつつ、枕に頭を埋めて微睡む。
私には大事な人がいた。幼い頃家の近くで遊んでいる時に出会った男の子、名前は習くん。訳あってセカンドハウスに移って来ていたらしい彼と私はそれはもう頻繁に遊んでいた。遊び、と言っても大抵の子供がする様な鬼ごっこや隠れんぼ等ではなく、植物図鑑を眺めたりトランプをしたり絵本を読んだり、といった類の事だった。
当時は何も思わなかったが、その歳にしてはきっちりとしすぎた格好をしていたし口ぶりも大分大人びていたから、大凡裕福な家庭の子だったのだろう。誕生日に彼から貰った銀縁の写真立てには、一緒に笑顔で写った写真が今も入っている。
幸せだった誕生日。習くんと別れて家族でバースデーケーキを買って帰る途中の道で、両親は突然の死を遂げた。建物の隙間に潜んでいた喰種に一瞬にして、胴体を切り裂かれたのだ。その喰種は何故か私には手を出さず、私はというとショックで加害者の姿を確認する事も出来なかった。
実はあの時の事は今でもよく思い出すことが出来ない。人間は余りにも多大な衝撃を受けると、防衛本能として記憶を掘り返す事が難しくなるらしいがそれのせいなのだろうか。波に流されるまま流され、色々な事に揉まれる間に必然的に習くんと顔を合わせることはなくなってしまっていた。それっきりだ。
噂に聞くと、私が丁度事件に巻き込まれていた頃に急遽帰還が決まり、あの町を出ていたという―――…
ぴぴぴ、と予めセットしておいた目覚ましが鳴る。今の私は喰種対策局、通称CCGで喰種討伐に当たる一人の捜査官だ。誕生日だから命日だからといって一日を丸々潰してしまう訳にはいかないのだ。
しかも何の偶然か、今宵は現在捜査中の喰種の小グループの本拠地に突入する事となっている。今夜この作戦が成功すれば、自分の中で何かが変わるのではないか。そんな思いを抱いて私は家を出た。
バラララララとヘリコプターの音が鳴り響く。こんなに大きな音を立ててしまっては、奇襲の意味など無いに等しいと空を旋回する鉄の塊を睨みつけるが、喰種相手ではそんなこと関係ないのかもしれない。
突撃、という号令と共にまず射撃タイプのクインケを使う捜査官が特攻する。私の物は近遠戦の両方が可能な剣の形状をした羽赫のクインケ。第二部隊だ。
本来なら号令がかかるまでその場を動いてはいけないのだが、戦闘により建物の一画が崩れた事によって散り散りになる。
「第二隊、ポイント3cに集合しろ。繰り返す、3c地点に集合しろ」
「了解」
本部からの無線を切ったその時、目の端に怯えて動けない子供を発見した。"喰種捜査官は住民の安全を最優先に任にあたる"喰種対策法第13条1項が頭を過る。子供を安全な場所に送り届けてからすぐに戻ろうと走り出した瞬間、頭上で大きな爆発音がした。
反射的に見上げれば、コンクリート製の建物の破片が大量に降り注いでくる。いけない、と子供を片手で庇いながらクインケで相殺するも、間に合わない。
自分も両親の所へ行くのだろうかとぎゅっと目を瞑ると、先ほどまで近くでしていた崩壊音が横っ飛びに遠のいた。助かった、と息をついたのも束の間で、近くに誰かの気配を感じる。暗い路地からコツコツと響く靴音に注意を傾けながらクインケの柄をぎゅっと握り込む。
「Violent…当たらなかったから良いものを。Bonsoir なまえ,その子供を離したまえ」
暗闇から紫陽花色の剣を手にして現れた男は、慣れた口調で私の名前を呼んだ。マスクを着けていたら分からなかったかもしれない。細く華奢で人形のようだったあの頃から、すっかり逞しく男性の体つきに成長してしまっていた。知的な語り口は当時と変わらず、葡萄色の髪はきらりと夜光を照り返していた。
「どう、して……習くん…」
「Oui,君と甘いメモリーを語らいたい気持ちは僕も同じさ…しかし今はそうも言っていられない。さあ、そのリトルボーイをこちらへ」
「それは…出来ないよ」
「しょうがない子だ、なまえ。だがその我儘を紡ぐ口でさえもチャーミング」
ならば、と呟いた瞬間、彼の姿が目の前から消える。気付いた時には腕の中の男の子は壁に叩きつけられて血達磨になっていた。余りに惨忍な行動に手先が震える。隣に並べば更に浮き彫りになる身長差。
なんて皮肉な事だろう。ずっと会いたかった大切な人が自分と敵対する立場だとは。立場どころか基本的な種族すら違えていたとは。
「なんで…、こんな事………」
「よく見てご覧なまえ、その少年は喰種さ。君を喰すべく芝居を打っていたという所かな」
確かにもう一度見てみれば、開かれたままの瞳に赤と黒を見止めた。仮面をつけていない事からして、今日この時間私の前に現れるつもりだったことは明らかだ。
「習くん、一体此処に何をしに来たの…?」
「決まっているじゃないか。僕は君を迎えに来たのさ、princess. 君の両親が死んだ、君の誕生日のこの日に。それに勿論僕はこの組織を何の関わりも無いよ」
その時突然、遠くの方から今までとは違った質の喧騒が起こる。
「どうやら此処の頭がやられたようだね。指導者を失くした組織は崩れるのみ、残党狩りも程なく終わるだろうね」
「…ちょっと待って、習くん。どうして…どうして私のお父さんとお母さんが死んだ事を…知ってるの…?」
最悪の可能性に背筋がぞくりと凍る。
「君は――…喰種を前にして自分だけが生き残った事を疑問に感じたことはないかい?それに、食い千切られた痕跡の無い死体。その喰種が喰う為ではなく、最初から殺す事だけを考えていたとしたら?」
「何の…ため…に…?」
「欲しい物を確実に手に入れる為さ。和やかなファミリーの日常を崩す事に僕の心は痛んだが、君とのマリッジライフを謳歌するには邪魔な芽は摘んでおいた方が身の為だろう?」
呼吸が出来なかった。無線から、遠くから、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。確かに目を開けて其処に立っている筈なのに真っ暗で何も見えない。ぐらぐらと揺らぐ足を踏みしめ直す事も出来ない。「また3日後の夜に」と聞こえたのを最後に、意識が完全に途切れた。
…―――
「なまえ、大きくなったら結婚しよう。必ず、迎えに行くよ」
―――…
はっと目が覚めた。時計を見れば午後23時47分。辺りは暗く、薄いカーテン越しに真っ白な部屋内に月明かりが射し込んでいる。
「(ここは…病院…?)」
全て夢だったのだろうか。習くんが喰種で、自分の前に現れて。挙句の果てには私の両親を殺したのは自分だと。でもそれは全て私の為だと。喰種の彼と結ばれるには両親の存在は邪魔になるだろうと。
「私が…」私が殺した?
「そう、なまえ。僕と共に生きねば」
音もなく窓が開いて、風が流れ込む。その影はするりと滑り込むと私の輪郭を撫でた。
「君は捜査官の立場にいながら…喰種と関わりを持ってしまった。あまつさえ結婚の約束などと……しかし君は僕を愛さずにはいられない。…そうだろう?」
「私……は…、」
「それとも僕を殺すかい?君のクインケになるというのもまあ、悪くない」
喰種と知りながら隠匿する事は重罪。両親を殺されたと知った今も、この美しい人に焦がれてやまない。もう後戻りは出来ない。罪を背負ってでも共に在りたいと思ってしまったその瞬間から、私も罪人だ。
腰にそっと手を回すと、彼によって全身が外気に触れる。
世界が崩れる音がした。
三日目のラグナロク
(嗚呼やっとやっとやっと捕まえた)