20000hit!!! | ナノ





――嫌いだ。

ぐしゃりと音をたてたのは何だろうか。紅に染まる両手を見て息をつく。ああまた喰べてしまったらしい、ヒトを。

いつの間にかやって来た廃墟の一画にも、雲の隙間から月明かりが射し込む。今さっき起こったと思われる惨状が砂絵の砂を払ったように浮かび上がるのから目を背けつつ、だらりとその場に座り込んだ。


自分が嫌いだ。雨漏りで出来た水溜りに自分の顔が映る。暗闇で良く映える緋と、己の絶望を凝縮したような墨。私は人間にも喰種にも成りきらない禁忌の象徴。何かの間違いで生産されてしまった化け物だ。

喰種という理由で人間社会から追い出され、隻眼という理由で喰種社会から遠巻きに眺められる。父親と母親の顔など知らないし、或いはこの手で殺めたのかもしれない。

"私"という不良品が生成されるにあたってどのような過程があったのか一ミリ程も分からないのであっては、責め所も見つからないという物。必然的にその怒りと失望と嘆きは自分に向かうしかないのだ。


他人と関わる事をとうの昔に放棄してしまった私は誰とも言葉を交わすことがない。だからたまに「あ」と呟き、声帯がきちんと機能しているかどうか確認するのだ。

いつもはただ虚空に溶けるだけ。だがこの日は違った。私の叩いた鍵盤に誰かが伴奏を添えた、そんな感じだった。



「Acid!何だいこれは?珍しい香りを辿ってホーンテッドハウスに入ってみれば…酷い酸臭だ。しかも残飯とお見受けする……君はこれを食したというのかい?レディ」


幾年ぶりかの自分ではない誰かの声。あまりに驚いて振り返ると、その人は私と同じように目を見開いて驚いて見せた。きっとこの人も"隻眼"を一目置くうちの一人なのだろう。私は再び外の方を向き、膝を抱えて目を閉じた。


「隻…眼……嗚呼、あぁ…!成程。この魅力的な匂いは…君のものなんだね…?marvelous!それも君のような美しいマドモアゼルとは。しかし食のセンスは些か変わっているようだ」

すぐに立ち去るだろうと思いきや、その人は近付いてきて私の周りをぐるぐると回り始める。一体なんだというのか。自分の頭を支えている腕から酸味がかった臭いがすると気付いたのもたった今の出来事。まるで停まっていた私の全ての感覚が蘇ってきたようだった。



「…好きで食べたんじゃないよ。いつもそうなの。それに臭いだって今まで分からなかった」

「そうなのかい。して、いつも、というと?」

「眠くて、喰べるの面倒臭くて。放っておいたら知らないうちに知らない場所にいて、手は血で濡れてるの」


男の人は、ふむ。と呟いて顎に手を当てて考える素振りを見せる。暫くすると、なにかを考えついたのか再び私と目を合わせた。


「野暮な事を聞くようだが許しておくれ、君の両親は?」

「たぶん…もういない」

「住む場所は?」

「…決まった所は、ない」


その人はそうかい。と言うと私の前に片膝をついて手を差し出した。
差し出された手は私のものよりふた回りもさん回りも大きい。これは何をするのが正解なのだろうと思いながら見比べていると、再び彼は口を開いた。


「僕の名前は月山習。身内も帰る所も無いと言うならうちに来ると良い。その代わり、僕の美食の探求に協力してはくれまいか?」

「……でも」

「No problem,大丈夫さ、住むスペースなら有り余っているものでね。勿論、毎日の食事の質も保障しよう」


先ほどこの人は"協力してくれないか"と言った。それは私にも出来ることなのだろうかと疑問だが、何かしらの考えがあって私に提案したのだろう。此処で断ればどうせ今までの虚無の生活に戻るか、葬られるだけ。いくら隻眼とはいえども、まともに喰べていない私は赫子を出すことも出来ない。

それならば、思い切って環境を変えてみるのも手なのではないか。この私が、何でも良い。誰かに必要とされているというのは思わず口許を覆って笑いたくなる程、珍妙で甘美な事だった。

こくり、と頷けば、月山と名乗った男の人はぱあっと嬉しそうな顔をした。


「すみません、あの、」

「なんだい?マドモアゼル。何でも言ってご覧」

「あの…この手はどういう意味、なの?」


そう問えば、月山さんは僅かに驚嘆の色を滲ませた後直ぐににこりと微笑んで、私の左手を取り、仰向けの手のひらに重ねて言った。


「これは同意、という事さ。誰かの誘いに乗る時、誰かと行動を共にする時…シチュエーションは多岐に渡るが……僕と一緒に来てくれるね?」

「…うん……!」


"誰かと一緒に"その言葉は私の頬を緩ませるのに十分だった。久しぶりに表情筋を使ったからか、少し突っ張ってぴりりと痛い。指先に少しだけ力を込めると、私の手を引いて歩き出す。

じゃり、とブロック塀の欠片が足に当たって自分が裸足だった事に気付く。思わず歩みを止めると月山さんが気付いて振り返り、私の視線を追って下へと目線を落とした。



「綺麗な足に傷がついてはいけないね」


そう言って膝裏に腕を差し入れ、私の身体を持ち上げた。こうしていると赫子で飛んでいる時みたいだ。ふわふわゆったりと風を切る。人にありがとうと伝える時はどうしたら良い物だっただろうか。

雲の流れる夜空に目を向けると、昔どこかで偶々見た絵本の一ページを思い出した。



「月山さん、ありがとう」

少し首を伸ばして唇を重ねれば月山さんはぴたりと足を止める。
雲だけが相変わらず流れていて、月光が私たちを包む。目をぱちくりとさせ驚きに口を開いた月山さんの顔は、とても綺麗だった。




無色


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -