緑のコル・レオニス

────小さいころから、時折見る夢があった。

私は真っ暗な海の中、上へ上へと泳いでいる。
上に何があるのかは知らないけれど、とにかく上へと行きたくて、大して上手くもない泳ぎで精一杯上を目指すのだ。
息が苦しいからだとか、そう言う理由からじゃあない。
私はイルカのように息を止めているわけでも、魚のようにエラがあるわけでもないが、夢の中では呼吸の心配なんてしたことはなかった。
もしかすると水の中ではなく、宇宙にいるように無重力を泳いでいるのかもしれない。
そうして泳いでいる内に、私はいつも、とある空間に辿り着く。
ゆらゆら。
ふわふわ。
きらきらと。
降り注ぐは、見渡す限り一面のマリンスノー。
本当はもっともっと、あの水面(みなも)に浮かぶ月に手が届くまで、昇らなくちゃあいけないってわかっているのに、私はいつもそこで泳ぐのを休んでしまう。

揺れる光は淡い緑。

それはまるで星のように遠く、仄かな光。
だけれども、緑の星だなんて見たことも聞いたこともない。
それでも、無重力の深海に降り注ぐ緑色は、私が知るどんな星よりも美しいのだ。



 ★  ★  ★



「────…」
「おはよう、名前」


久々にそんな夢を見たものだから、小さく囁くように自分を呼ぶ声が聞こえても、咄嗟に何も返せなかった。
まだ夢の中にいるのではないかと思ったのだ。
寝袋から見上げた空が、あまりに多くの星屑で埋め尽くされていたから。
日本を旅立って、もう何日が過ぎただろう。
砂漠での野宿にも、もうすっかり慣れてしまったものだが、何回見てもこの星空だけは圧倒されてしまう。
東京ではスモッグやネオンの光で掻き消されている六等星も、砂漠のド真ん中では主役級の輝きを放っている。
まだ寝ぼけていると思ったのだろう。
先に見張り番を務めていた花京院典明が、もう一度私の名を呼んだ。

「起きているよ、花京院」
「だったら返事をしてくれよ」

いきなり無言でむくりと起き上がったら怖いじゃあないか、と苦笑する。
それも確かに、と思いながらいそいそと寝袋から這い出た。
以前、寝込み(あぁ、本当に本当の。夢の中まで追いかけられての寝込み、だ)をDIOの刺客に襲われて以来、こうして承太郎含め高校生三人で、三時間ごとに交代しながら野宿をしている。
主に昼間ハンドルを握る役目を担っているジョースターさんとポルナレフは、安全運転確保のために見張りは免除だ。
アヴドゥルさんが戻ってきたら、もう少し見張りの時間が短くなるのだろうけど、ゆっくり養生してもらいたくもある。

「はい」
「うん…。ありがとう」

砂漠の夜は日中の暑さが嘘のように冷える。
寝袋の中で使っていたタオルケットを肩に羽織り、花京院の隣に座ってコーヒーを受け取った。
彼はいつも、目覚めたばかりの私のために、コーヒーを淹れて待っていてくれる。
シンガポールでコピを飲んだ時のことを覚えているのか。
渡されるコーヒーは、常に砂糖が一匙溶け込んでいる。
本当に、本当に細やかなところまで気付く男だ。
そのフェミニストぶりが気恥ずかしくもあり、絶対に真正面からは言えないが────うれしくもあった。
それを素直に言えないのが、私の悪い癖。
今だって、『いつもわざわざありがとう』っていうのが素直に言えなくて、『コーヒーありがとう』の一言でまとめてしまっている。
熱を失いつつある両指をあたためながら、だけど悲しいくらいの猫舌に苦戦しながら、誤魔化すように甘くて苦いコーヒーに口付けた。
カップの中に星明かりが映り込む。
まるで星を飲むような心地。

「ちゃんと寝ないと。明日、つらいよ?」
「うん。でももう少しだけ」

一向に寝袋へ入る気配のない花京院に声を掛けるが、彼は穏やかな笑みを湛えたまま、ただ隣に座っていた。
珍しいこともあるもんだ、とコーヒーを両手で抱えながら横目で見る。
フェミニストではあるが、彼は決して私を甘やかしたりはしない。
戦いも見張りも、ちゃんと一人で任せてくれるし、背中を預けてくれる。
それはきっと、誰よりも私の力を過不足なく認めてくれているからだ。
女だからと遠慮しない承太郎とも、女だからと気遣うジョースターさんたちとも違う。
だからこそ、何気ない日常では誰よりも『女の子』として扱う彼が、どうしようもなく苦手なのだ。
苦手と言うと些か言葉が乱暴だが、私の中ではこの感情をそれ以外に表しようがない。
彼に『女の子』として扱われると、ワイルド・ハーツにライドオンしてでも猛然と逃げ出したくなるし、後で自己嫌悪に陥ってでも悪態を吐かずにはいられなくなる。
たとえば、彼から髪留めをもらったり。
たとえば、彼から花束をもらったり。
たとえば、彼から鏡をもらったり。
────と、そこまで考えて、何だかやたらと花京院からもらってばかりだと気付く。
この間のコピもだが、つい先日だってカラチで買ったお守りをもらったばかりだ。
お守り自体はまぁ、敵と味方の目を逸らすための『入れ物』なのだが、事が一段落ついてからも、何となくお守りを首から下げたままだった。
返したほうがいいのだろうか。
だが、あれから数日経って今更……?

「さっきさ」
「!……うん」
「名前が寝ている間、流れ星を見たんだ」

一度にたくさん、まるで雨みたいに流れて、とてもきれいだったよ。
そう、はにかんだ顔は子供みたいに、はしゃいだ色を隠せずにいた。
眠れないのは、それが原因なんだろう。
きっと、誰かに話したくて仕方がなかったんだと思う。
落ち着いているようで、案外と少年のようなところもあるのだ。

「そんなにきれいだったんだ」
「うん。今までで一番」
「そんなに何度も見てるのか」
「というか、日本を出てからほとんど毎日流れ星を見ている気がするなあ」
「────獅子座流星群」
「え?」
「ああ、今の時期は双子座流星群か…」

日本を経ったのは11月の終わり。
そして今は12月。
丁度、獅子座流星群から双子座流星群の観測時期であるのを思い出した。
花京院はきょとりとした顔で、こちらを見ている。

「獅子座って、夏の星座だと思ってた」
「逆。夏に獅子座は見えない」
「そうなのかい?」
「地学で習ったじゃあないか」
「僕、物理なんだ」

数学や科学ですら頭がショートしそうな私には、物理を選択する気が起きるだけ羨ましい限りである。

「星占いの星座は黄道────太陽の動く道筋にある星座だから、誕生日の間は太陽と一緒に空を回ってて見えないよ」
「へぇ、星占いってそういう仕組みなんだ」
「獅子座流星群も双子座流星群も観測しやすい流星群だし、花京院が見張りしてた時間帯は流星雨だったのかも」
「くわしいね」
「……」
「星が好きなのかい?」
「………………嫌い、じゃない。けど」

別に、天体観測が好きだとか、そんな高尚な趣味があるわけじゃあない。
元々ギリシャ神話だとかそういう物語が好きで、その流れで色々と調べて行くうちに、星座もくわしくなってしまっただけだ。
かと言って、嫌いなわけでもないが。
そんな、こちらの真意などお見通しだとばかりに、花京院は訳知り顔で頷いている。
素直じゃないなぁ、なんて声が今にも聞こえてきそうで、居心地が悪い。
意地を張ってるこっちが馬鹿みたいだ。

「……笑いたければ笑っていい」
「どうして?」
「ガラじゃない…」

星が好きだとか、神話が好きだとか。
そういうメルヘンな匂いのするものは、もっとかわいい女の子のほうがお似合いだ。
少なくとも、こんな砂まみれで戦いばっかりがうまくなっていくような、かわいくない女よりも、ずっと。
ずずっ、と啜ったコーヒーは随分と冷めてしまっていて、苦みが一層増した気がする。

「僕、獅子座なんだ」

星が好きだとかそういうキャラじゃないって言ったそばから、それでも花京院は星の話を振ってくる。
気遣いなのか意地悪なのか微妙なラインだが、それが却って彼らしいとも思った。
夏生まれなんだ、と呟くと、少し笑みを含ませて、意外かい?と返ってくる。
何となく春生まれだと思ってた。
そう言うと、『春は花の季節だけど、夏は緑の季節だよ』と花京院は言う。
理屈は何だかよくわからないけど、悔しいことに少しだけ納得してしまった。


「────プレゼント」
「…え?」
「次の誕生日、何がほしい?」


そう問うと、彼の切れ長の瞳がこれ以上はないってくらい、まあるく見開かれた。
人よりちょっぴり大き目の口が、ぽっかり空いている。
ひゅ、と息を飲む音さえ聞こえてきた。

「く、くれるのかい…?」
「いらないなら────」
「いる!!ほしい!!」
「しーッ」
「!」

ジョースターさんたち起きちゃう!と、咄嗟に人差し指を口に当てると、みっともないくらい大慌てて花京院は口を塞いだ。
二人でそおっと、後ろを振り返る。
ポルナレフは寝袋から腕がはみ出ていたり、ジョースターさんはそっぽを向いたりしていたけれど、相変わらず承太郎は身じろぎ一つしないで眠っている。
静寂の帳が落ちた空間には、三人のかすかな寝息しか聞こえない。
思わず顔を見合わせて、ほっと息を吐く。

「本当に、くれるの…?」

さっきよりもひそひそと、いつもよりもそわそわと。
花京院は大切な相談事でもあるように言う。
薪の明かりでもわかるくらい、頬が紅潮していた。
こくりと私は頷き返す。
いつも花京院にはもらってばかりだから、私が用意できるものなら、何でもあげる。
そう告げると、彼は落ち着きなく視線を彷徨わせながら逡巡しているようだった。
あー…とか、うぅ…とか、言おうか言うまいか悩んでいる様子。
そんなに用意するのが大変なものを頼むつもりなんだろうか。
お小遣い足りなかったらどうしよう、と思わず日本に残してきた貯金額を思い返す。

「じゃあ、さ……」
「う、うん」
「来年も、名前とこうして星が観たいなあ…」

なーんて…、と目を泳がせながら、花京院は自信がなさそうに呟く。
パチパチ、と。
聞き間違いじゃあないのかと、私は目を瞬(しばたた)かせた。

「いいの?そんなことで」
「そんなこと、って…」
「花京院がほしいなら、私なんて、いくらでもあげるのに」

何をそんなにあれこれ悩んでいたのか、さっぱりわからない。
そもそも一緒に星が観たいとか、そんなのプレゼントになるのか。
『来年も僕と一緒にいるってことだよ?』なんて、何やらごにょごにょ言っているが、そんなの当たり前だろうに。
そう言うと、彼は耐えきれないとばかりに、膝に顔を突っ伏して縮こまってしまった。

「〜〜〜〜〜ッ!!!……名前」
「何?」
「君って人はッ、時々、本当に…!!」
「だから、何さ」

いいよもう、と花京院は何故か顔を膝に埋めたまま動かない。
何なんだ一体。


「夏生まれ、か…」


獅子座ということは、誕生日は夏真っ盛り。
時期的には、きっとペルセウス座流星群が見頃だろう。
何てったって、夏休みの自由研究御用達の流星群だ。
たとえ星が降らなくたって、その季節なら夏の大三角形や天の川だっていい。

「名前…」
「ん?」
「ありがとう」

まだプレゼントを渡してもいないのに、花京院は顔をくしゃくしゃにして笑ってた。
あまりにも。
あまりにもうれしそうなその笑顔は、何の含みもなく、ただひたすらに美しいと思う。
まるで夢に見る、あの緑の星々を前にした時と同じような衝動。
不思議だ。
やっぱりまだ、私は夢の中にいるのかもしれない。
これは夢だ。
そう、きっと。
そんな風に言い聞かせながら、彼へと腕を伸ばした。

「…?」
「約束。来年の花京院の誕生日は、絶対祝う」

差し出された小指を見て、彼は呆気に取られていた。
私だって、普段だったらこんなことはまずしない。
私たちは今、命がけで戦っているのだ。
その日その日を生きるのに精一杯で、遠い未来のことなんて考えてはいられない。
約束なんて重たいもの、背負ってはいられない。
だけど、夜のせいだろうか。
こんなに星がきれいなせいだろうか。
心のままに、彼と約束したいと思ったのだ。

「あぁ…。約束だ」

花京院は眦(まなじり)を下げて、今にも泣き出しそうな笑顔で小指を絡める。
────来年の彼の誕生日が、晴天でありますように。
夢の中で瞬く緑の星に、そう願った。

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