犬も喰わない

『犬も喰わない』という言葉が人間の世界にはある。

何でも食べる犬ですら食欲を失うほど、馬鹿馬鹿しくって相手にする気も起きないことの喩えらしいが、お犬様の俺から言わせてもらえば、失礼極まりないこった。
犬にだって好き嫌いはある。
現に俺はクソマズイったらありゃしないドッグフードなんてもんは大嫌いだし、どうせ食べるなら腹に溜まらなくてもコーヒー味のチューイングガムのほうが何百倍もいい。
だがまあ、確かにこりゃあ『犬も喰わない』と言いたくなるってもんだな、とベッドでイモムシになってるヤツを見てしみじみ思った。

「うぅ〜〜〜…。もうやだあ…ッ」

一体何があったのかは知らねーし、知りたいとも思わねー。
でもホテルに戻ってきてからというものの、ずっとこんな調子だ。
またいつもの発作か、と俺は呆れるしかない。
コイツがこんな風に布団を被って団子になるのを、俺がジョースターの一行に無理矢理加えられてから、もう何度も見ている。

「イギー、どうしよう…。ねえ、イギー」

だから、何でしゃべれねーのに話しかけてくんだよ、なんてツッコミを入れるのも飽きたくらい、もう何度もだ。
布団の奥から聞こえる声は、毎度毎度のとおり情けないったらありゃあしねえぜ。
これが、あのDIOの手下共を文字通りドッカンドッカンぶっ飛ばしてきた猛者と同一人物だなんて、一体誰が思うだろうか。
でも、そんなヤツがどうしようもなく敵わない強敵が、この世にたった一つある。


恐ろしいことになんとそれは────恋だ。


コイツは今、恋をしているのだ。
そいつはもう尻尾まくって逃げちまうくらい、お手上げなほどに。

「もう駄目だ…ッ。今度こそ、もう嫌われた」

よっぽど萎びた安宿の大部屋にでも泊まらない限り、ジョースターは必ず二人一組で部屋を取るから、メンバーで紅一点のコイツは、いつも俺と同じ部屋にさせられた。
さすがにDIOが居を構えるカイロに入ったのに、わざわざホテルにまで奇襲をかけに来るとは思わねえが、それでも万が一ということもある。
おかげで俺は、この命がけのエジプトツアーに参加してからというものの、コイツが謎の羞恥心に苛まれ、自分の恋心に気付き、そんな場合じゃねーだろと自己嫌悪に陥った挙句、もうどうしようもないと自暴自棄になったり、男の一挙一動に喜んだり、下らない嫉妬にもがき苦しんだり、シナの一つもうまく作れず空回りするテメェにヘコんだり…と、コイツの恋の一幕を余すことなくほとんど見てきた。
俺が人間の言葉を話せないからって油断して、俺にだけは女々しく弱みを見せてきやがるんだぜ、この女は。
犬も喰わないどころか、ほしいとも言ってねーのにこのフルコースは、我ながらとんでもなくヘビーなモンを味わってる。
最初のうちは胸焼けがして、ポルナレフ辺りに八つ当たりもしていたが、今じゃそんなことも面倒くせえ。
やれやれだぜ、なんてどっかのとっぽい野郎の口癖を呟きながら、ヤツがダンゴムシになってるベッドへと飛び乗った。

「イギーぃ…」

軽く弾んだスプリングの感触で俺が近くに来たのに気付いたヤツは、布団のトンネルの奥から顔を覗かせる。
さすがに泣いちゃいねーが、いつ泣きだしてもおかしくないほど情けねーツラだった。


「イギー、やっぱりダメだった。やっぱり言えなかったよ」


だろーな、と伝わりゃしねーが鼻で笑った。
話しかけようとすりゃあ几帳面にイチイチ真っ赤っかになって、話しかけられればキョドキョド視線も合わせられない。
どんなに凶悪で気味の悪い敵が襲って来ようとも、問答無用で波動砲をぶっ放す女が、好きな男の前じゃあ声まで震えるんだから、おかしいったらありゃしねえぜ。
それでも、コイツは今までの挙動不審極まりない言動にも関わらず、果敢にも想い人へ告白をしようとしたのだ。
勇気は讃えられるものかもしれねーが、それはちょいと無謀ってモンだろう。
意識しすぎてろくすっぽ会話もできねーヤツが、いきなり愛の告白だなんてハードルが高いにもほどがある。
まあ、気持ちはわからなくもない。

なんてったって、明日はDIOの館に突入するんだから。

お互い無事に生きて帰れるなんて楽観的なことを考えられるほど、そんな生っちょろい敵じゃあないことくらい、嫌ってほどわかってる。
こんな想いを残して死んだんじゃあ死んでも死にきれねーし、ましてや相手に死なれちまったら、それこそやり切れないにもほどがある。
だからこその一念発起だったんだろうが、生憎とその猪突猛進っぷりをもってしても、コイツの恋愛音痴は筋金入りだった。
今時ハナの垂れたガキんちょだって、もうちょっとマシな態度を取るだろうに。
初恋恐るべしと言うか何と言うか。
それでも、ひょっとするとこれが最後のイモムシかとも思えば、少しは名残惜しい。
だからと言ってもっと味わいたいかと言えば、全力でお断りだが。

「!」
「…イギー?」

すくりと立ち上がった俺を見て、ヤツは不思議そうに気の抜ける声を出す。
まったく、どっかの国の小説家が言うことにゃあ、恋をすりゃあ足音だけで好きな男がわかるもんなんだろ?
オマエもまだまだだな、とノックの音が転がり込む前に『愚者(ザ・フール)』に砂の手を作らせて、ドアを開けてやる。
独りでにドアが開いたように見えたせいか、目の前の男はマヌケたツラして突っ立っていた。

「イギー?どうした、の……ッ!!?」

まさか惚れた男がこんな時間に部屋を訪ねて来るなんざ、一欠片も想像してなかったに違いない。
ヤツは悲鳴も出ないほどびっくりして、ユデダコみたいに真っ赤になった。
時間はあるかと訊かれて、壊れたオモチャかってくらい頭を縦に振る。

「いっ、イギー!どこ行くのッ!?」

バーカ。
こんな時に居座るほど、俺は野暮じゃねえぜ。
まあ、精々明日に響かねーようにな。
そんな風に笑ってやりながら、男とすれ違う。
すがるように俺を呼ぶ声が聞こえたが、あとは知ったこっちゃねえ。
後ろでドアの閉まる音を聞きながら、あの野郎、今日どこで誰と相部屋だったかな?と記憶を探った。

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