慈悲深き手を請う

もしもの話:傷つき易く情愛深いあの子が10年後にイタリアへ住み着いたとして、そこで闇医者になったとして、ある日に暗殺が得意な目の黒い彼を拾ったとして。



『君の髪は蜜を垂らした月のようだ。その柔らかな輝きには女神すら恥じ入るだろう。私はその髪に焦がれてならない。髪一筋にすら触れる勇気のない私を、どうか笑ってくれ。嗚呼。告白しよう、私がどれだけ君を思い続けていたのか。君の指先に触れられるたびにどれほど鼓動が高鳴ったことか、あの早鐘のような音を君は聞いただろうか。』



長い金髪が美しい女だった。淑女よりも少女といった形容が相応しく、部屋着の上からおざなりに白衣を纏っているのが印象的な奴だった。瀕死で喘ぐ患者を掬い上げる華奢な指先は、いつも俺のそれとは違った意味で血に塗れている。反り血も恐れない彼女は自分の患者に容赦なかった。完治していない状態で暴れようものならば肉付きの薄い、色気とは程遠い脚で大の男を蹴り飛ばしてベッドへ叩き込むし、血走った目で殺すぞと脅されれば完治してから大口叩けと拳をぶちこむ。ぎゃあぎゃあと騒げば四肢を拘束し、麻酔無しで施行する。だというのに不思議と人から愛される女だった。

そして割りに合わない任務で重症を負った俺を拾うような、理解の及ばない医者だった。

彼女が持つ治癒スタンドと俺の暗殺スタンドの相性は思いの外悪く、何故か歴戦の戦士染みた勘を持つ女の前に当時の俺はなす術も無くベッドへ縫い付けられた。これは比喩でもなんでもなくスタンドの放ったメスによる武力行使だ。殺気立つ俺を前にしても、奴はルージュを引いた唇を吊り上げて歴史に名高き暴君の如く笑うだけ。

「ガタガタ言わずに大人しくしてな、そんなナリして注射が怖いっていうわけでも無いんだろう?」

華奢な姿とは裏腹に剛毅な物言いをするものだと、熱にぼやけた頭のなかで吐き捨てた。今思えば日々荒くれ共をいなす仕事…裏家業をしているのだからあの程度の荒事くらいは彼女にとって当然なのだろうが、当時の俺にそこまで思考を巡らせる余力など無く、無機質な瞳でこちらを見据える看護婦の姿をしたスタンドをただただ睨むだけだった。
しかしいくら重症であろうが意識が定かでなかろうが、彼女へ対して反撃、殺害、逃走のチャンスが全く無かった訳ではない。

しかしながらそういった行動を思い付くような「暗殺者として正常な俺」は、闇医者のダークピンクで飾られた唇に命令された時点で殺されてしまったのだろう。あの慈悲深い暴君に命じられた途端、俺の頭と心臓はまるで酒に酔ったかあるいは麻酔にかけられたように痺れて、腑抜けて、まともに動かなくなってしまったのだから。



『私は夜が来るたび空を見上げ、月を探す。そして月を見るたび君を思い、月の無い夜に胸を焦がす。どれだけ私が思いを募らせていたか、君はきっと知りはしないだろう。今までも、これからも。何故この胸に憎悪以外の炎が宿ってしまったのだろうと思い悩んでは、発作的に我が身を掻き毟りたくなる。この熱は私を醜く、惨めに貶める。なのにその一方でどうしようもなく幸福な、決して許されないような感覚まで与えてくる。君に灯された炎は私の心臓を飲み込み内側から私を焼く。苦痛と快楽を押し殺して君を慕い続ける私の姿は、さぞ滑稽だったことだろう。』



動ける程度に回復した俺に、女は本当に気持ちばかりの金銭を請求して帰そうとした。俺が所属しているチームの懐事情としては有り難いが、闇医者としてそれで良いのかとも疑問に思える。憮然と立ち尽くしながら華奢な闇医者を観察すると、彼女は少し照れたような屈託ない顔で笑ってみせた。それが、初めて目にした彼女の笑顔。未だに俺の脳裏に焼き付いている幻。

「懐かしの人を思い出させてくれたからね、割引料金にしておくよ」

あどけない表情とは対照的に諦めたような、悼むような眼差しで微笑んだ。そしてその奧に秘められているのだろう、見知らぬ誰かの面影に俺は確かに憎悪と焦燥を感じていた。話はこれきりだと言うように背を向けてひらひらと手を振る彼女をどうにかしてしまいたかった。俺は提示された金額を手持ちから支払い、彼女の部屋を後にする。どうにもならない苦々しさを感じながら。

彼女の言葉と横顔がいつまでも頭の影でちらついていた。あの女は言った。俺の面差しが尊敬している人に似ていたのだと。特徴的な瞳の色や髪の長さだとか、そういったものがどことなく思い出の相手に似ていたから捨て置けなかっただけなのだと。そして付け足すように、しかし性格はまるきり似ていない、とも言った。忌々しいことに俺には何故か、その言葉の裏側が透けて読めてしまった。とても中性的とは言えない俺に似ているといったのだから、懐かしの相手は男だろう。俺に似ていたという思い出の男は恐らく生きていない、彼女の目の前で息絶えたのだ。そして認めたくもないが、知りたくも無かったが、今すぐにでも忘れてしまいたいのだが、ああしかし…俺にどうしろというのだろうか。

思い出の相手に、昔の彼女は慕情を抱いていたのだろう。もしかするならばその感情は自覚のないまま、未だ彼女の胸に根付いているのかもしれない。自覚するよりも早く、想い人の命と共にはじけて消えた淡い恋の欠片が、今もなお。



『夢のなかで何度も君を殺した。絶望と安堵に満ちたそれを現実にしようと、幾度も君の後ろ姿に手を伸ばした。けれどこの手を君の血で染めるよりも早く、生きた君の声が君の目が君の何気ない仕草が私を支配する。そして甘い痛みに悶えながら私の殺意は呆気なく屈するのだ。やがて君に救われた私は、もう二度と君が誰も救わないことを望んでいる。誰か知らぬ面影を見るのも慈悲を与えるのも、私で最後にして欲しい。情けない話だが、君にあのような顔をさせる相手が妬ましい。そして私の手の届かない過去の代わりに、私が君の最後の男になりたいと浅ましく渇望するばかりなのだ。』




「今月分の返済金だ」

「…君も律儀だねえ」

思案した結果、割引かれた分の治療費の返済を言い訳に闇医者の住処へ出入りするようになった俺を前にして、奴はとても分かりやすく渋面でもって出迎えた。まるで我が物顔で居着いてしまった野良猫を見たような、退かしても無駄だと悟ってしまったようなそんな顔。実に人間味に溢れた対応に何故だか俺は、普段無表情が張り付いた顔に笑みすら浮かべていた。返納出来ているのは微々たる額で、それも月によってまちまちだが着実に受け取られていく。この医者は他人の敵意を丸め込むのは得意だが、誠意を無下にすることは滅法苦手なのだと気付けたのはごくごく最近の話になる。

一人暮らしの住まいにしては狭く無いが、診療所としては広く無い部屋へ踏みいり、空いているベッドへ腰掛ける。俺の勝手知ったる振る舞いに息を吐いた彼女はマグカップ2つを手にして片方を俺に手渡し、もう片方を診察用の机に置いてお決まりの台詞を言う。

「ほら。ミルク飲んだら帰りな、ネエロ」

マグカップの中身はいつも蜂蜜入りのホットミルクだ。カフェオレでもカルアミルクでもない、幼い子供が寝入りばなに飲むような甘ったるい白。彼女は俺の事を子供か、でなければ猫か何かと勘違いしているのではないのだろうか。そんな愛嬌のあるものとは程遠い性格であると自負しているのだが。ちなみに俺は闇医者に対して名乗ってはいない。ネエロ、というのは彼女が勝手に付けた渾名だ。最初に呼ばれた時は身元がバレたのかと思いひやりとしたが、どうということはない。黒猫をクロと呼ぶように、瞳の黒い俺をネエロ(黒)と呼んでいるだけなのだとすぐに分かった。

しかし俺が訪れる度に必ず彼女が手渡してくる厚意を突き返す理由も無い。温かなそれを口にしながら、同じようにマグカップへ口をつける彼女と暫し時間を共にする。これも何時ものことだ。彼女の年齢は知らないが、立ち居振舞いからして成人はしているのだろう。成人男女が部屋に二人きり。で、ただホットミルクを飲んでいる。なんとも奇妙な光景であろうが、俺はこの時間と空間が嫌いではない。たまに闇医者が、それこそ飼っている猫にでも話すようにとりとめの無い事を語り、俺はそれにSiやNoだのと相槌を返す。お互いに公にも私にも立ち入らない、入られないように線引きされた会話ではあるが、これはこれで良いものだ。ミルクは一杯まで、茶菓子は無い。飲み終えるまでの短い時間ではあっ たが、この月に一度のひと時は俺にとってささやかな楽しみになっていた。



『君と時間を共有するたび、その指先に飼い慣らされていくような錯覚を感じている。そしてその錯覚から目覚めてしまうのを惜しむ私は、形ばかりの言い訳を探しては束の間の逢瀬に身を投じるのだ。君の唇を飾るダークピンク、嫉妬深い私にとってはそれすらも憎らしくてならない。君のルージュがカップの縁に色を残した時だとか、唇を舌で舐める仕草なんかを目にした時に私が感じた熱を、君は知らないだろう。私の唇で、君の唇からその色を拭い去ってしまいたいのだと叫ぶ衝動を、懸命に噛み殺していたことも。』



まったく不思議なことではあるが、無意識に否定し続けていた感情にようやっと向き合えた今となって初めて、思い返す日々の全てが本当の意味で得難いものであったのだと理解できる。これまで同僚に朴念仁、石頭めなどと言われてきた理由も把握できた。他人の色恋どころか自身の感情にさえ気付けなかった俺なのだから。

差し当たり問題があるとするならば、感情に気付けた切っ掛けだろうか。俺はどうにも間の悪いことに、ボスへの復讐を決意したと同時に彼女への想いを自覚してしまった。

死と隣り合わせの毎日を繰り返していた。そしてより確実な死の可能性へと手を伸ばした時にふと思った。今月はまだ、彼女へ返済金を渡していなかったな、と。復讐の機会を狙うならば他者との余計な接触は今まで以上に避けるべきである。ならば闇医者との交流も絶つのが当然であり、これまでの俺であればなんの躊躇いもなく切り捨てていただろう。目的を果たすためならば、持ち得る全てを切り捨てでも尽力しなければいけないからだ。だというのに俺が思い描くのは輝かしい未来でも血反吐に塗れた惨劇でもなく、あの温かなマグカップだった。2つ用意されたカップのうち、俺が使っていた片方を彼女はどうするのだろうか。棄てるのか、使わずに置いておくのか。はたまた別の誰かのためにホット ミルクを入れて渡すのか。

最後の事態へ思い至ると、ぐらりと頭が揺れたような腹の奥底を掴まれたような不快感に襲われ、咄嗟に喉元を押さえた。そして一瞬の目眩が消えたときには、既に自身の抱いていた熱を飲み込み、受け入れてしまった後だったのだ。なんて単純な事だろうか。俺の身体は無自覚のまま闇医者を切り捨てるくらいならば、激しいショックで強制的に自覚させるほど彼女中毒症状が出ているらしい。

だからと言って、俺が彼女だけを選べるようになる筈もない。復讐の為に必要な犠牲をなあなあで済ませるような男に、奴は見向きもしないだろう。仲間の為にお前を切り捨てるのだと言ったところで、あの女であれば「上出来だ」と笑うくらいしか思い付かない。人情に基づいた行動を彼女は評価するから。ああ、だが、しかし。チームへ報いないままに彼女だけを選ぶことはできない、できないが、もしも許されるならば。

犠牲と血と憎悪を重ねた先に未来を掴めたのなら、ボスへの復讐を終えて磐石な地位を築けたのなら。そんな夢物語ような事が実現できたのならば、俺は彼女を選ぼう。俺だけの女としてあの闇医者を手に入れてしまおう。あの金髪によく似合う髪飾りを手土産にして、その時こそはこの思いの丈を全てぶつけてやるのだ。


そして手始めに、こう言うのだ。


「俺の名はリゾット・ネエロと言う。闇医者。今からお前に告白をしたいのだが、そのためにまずは名前を教えてくれないか、俺の愛しい人。」






『ここに綴った告白を私の唇で君に伝えられたのならば、その時は一切の躊躇いを棄てて君を浚っていくと約束しよう。何もかもから君を奪い去り、君から何もかもを取り上げてしまおう。そうして私だけの愛しい人にして二度と解放してはやらないと、君の唇へ誓おう。 Amore mio,どうか宛名の記されていないこれが、君へ届くことなき手紙にならないことを祈っている。 』




もしもの話:傷つき易く情愛深いあの子が香港で用心棒の彼に出会ったとして、シンガポールでゾンビになっても僅かに残った自我で危険を伝えようとする彼をその手で殺したとして、10年後にイタリアへ住み着いたとして、彼を救えなかった自責から闇医者として暗躍するようになったとして、ある日に見掛けた怪我人に自分の手で殺した彼の面影を見付けてしまったとして。

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