喫茶Spirit



《餡は水銀 イチゴは血潮
因果で君を包み込めるか?》

私自身、可愛いなど言う世界とは程遠い事をハッキリと認識している。
寧ろ私は不気味なのだ……

あの後私は、奇妙な店主の頼みでアルバイトとも居候とも付かない立場で、学園での仕事の時間以外をこの場で過ごす事が多くなって来た……

何を手伝う訳でも無く思い付きの会話を一日に二言三言店主と交わす程度で、仕入れと称して度々出掛ける彼女に代わって、店に現れる客を宥めたり透かしたりしながら間を繋ぐのが唯一仕事らしい行為だろう。

さて、私の誰も聞いていない様な近況報告は捨て置き。
現在は肝心の客も結界でも張ってるのかと思う程に現れないので、
店の器具を勝手に使いこなして淹れた緑茶と、家の近所で購入した和菓子職人の技術の粋を結集した兎型イチゴ大福(税込97円)を愉しみながら、冒頭の感情を抱いて空虚を噛み締めていたのだ……

『相も変わらず何処の時間なんだろうね、コレは。』

皿を持ち上げ、風雅な造形美を目に焼き付けるつもりが、同一直線上の壁に数多掛けられた変わり時計の数々が目に入ってしまった。

初めて見た時からこの店の中でも上位に入る謎の一つだったが、
私の様な未熟者は、先ずは時の読み方すら解らない仕掛け時計の解読法を知るべきであろう。

『夕陽が良い具合じゃないか、
これをバックに大福と緑茶の写真でも……』

自分のゼミの学生が使うデッサンテーマに丁度良いと思い立ち、私が180°回頭した時。
チラチラと光を発生する何かが見えた……
元来不得意としている眼のピント合わせに成功した時に見えたのは、
窓から数ミリの距離で此方を見詰める人物だった。

『口は堅そうな感じの男だな、
今の醜態を口外はしないだろう……
黙っていれば最低限の恥で済む筈さ。』

小さな声で自分に言い聞かせ、首と掌を用いたジェスチャーでその光源を迎え入れる……
客である保証なんて無かったと言うのに。

『いらっしゃいませ。で正解でしょうか?』

私は招き入れ、そして彼は応じたものの客かどうかの確認はせねばなるまい……

『えぇ、客と言う事で構いません。
待ち合わせに失敗して二週間程遅れて此処に来てしまいまして。』

私は男の不可解な言葉で大体の流れを把握した。

何故未だこの店の世界観をフォーミング(Forming)出来てない私が把握出来たかと言えば、
出入りの古美術商の女性がちょうど二週間程前に《待ち合わせが成功しない呪い》とか言うのに掛かってる男と待ち合わせをしてると言う話をしていたからな訳だが。

『二週間前なら、古美術店《レントゲン》の店主の方が待ち合わせのお相手ですね?』

少しでも《呪い》と言うカテゴリに対処する為の思考を組み上げながら虚ろに私が声を上げると、

奥の席に座った男が、満足気にまた何度か両掌の間に窓越しに見たのと同じ光を起こす。
影に入った男の髪は少し緑掛かっていて眼鏡の意匠も独特だった。

『思考回路が実に前衛的で、何と言うか代わり映えしている。

貴方は此処の新しい店主ですか?』

当然の問いだが前文との関連が不明だ、しかし不思議と不快感は感じない。

『店主と言うか、私は7割が客で3割が従業員と言う立場でして。

ところでさっきからのその光は……?』

会話をする度に生まれる快感に逆らう為に固い態度を取ってみるが、何故か砕けた問いを投げてしまう。

『これですか?手品でよく使われる技術の一つです。
大した事はなくて、手が柔らかければ誰でも出来ますよ。

ちなみに光源の正体は大した事はない普通のジッポーですが。』

薊色をしたベルベットのジャケットに身を包んだ男はジーンズの摩擦で金属から炎を起こして見せる。
単純に恰好良い、ライターであるコトも証明された……

『しかし、レントゲンの店主に気に入られるだなんて余程の論客か、何か常人離れしたセンスでもお持ちなのでしょう?』

口を噤んでいれば中々の美丈夫にして伊達男な彼は、少し表情を強張らせて謙遜する様子を見せる。

『僕自体は何時までも都会慣れしない、田舎者です。

論客かと言われると学生時代は法を学んでいたので少し自信がありますが。』

法曹の人間か。
ますます解らなくなってきたな……

考えていた矢先、ふと相手の正体を炙り出す様な質問を繰り返す自分に疑問を感じる。
自分の行動原理ながら、幾ら考えても予想が付かなかったが、あんな不気味でサイコな店主が経営する店の関係者なのだから知っておいて損は無いだろう。

となれば、そろそろこの辺りで自身の個人情報をエサとして撒いておくべきか?

『田舎者だなんて……
統一性のある良いセンスをお持ちではないですか。

と言うか申し訳ありませんね。
其方の個人的なお話ばかり聞いてしまって……
私は七葉 玲。街の西端の大学で創作論と民俗学を教えている、これでも准教授です。
学園祭の為に学生に研究室を取られてしまって、数週間ココで店番を対価に珈琲と書庫を借りている次第でして、何とも恥ずかしい。』

此処で意外な現象。

印象のマイナスを打開しようと二割程個人情報を開示しただけなのに、見方によっては次世代型カウボーイにも見える彼は、病的な目の輝きを私に向けて来る。

『准教授!?見た目で勝手に僕より歳下だと思ってました。

因みに僕は27ですが、流浪の身です。
差し支え無ければ玲さんの年齢なんかをお聞かせ頂きたい。』

上半身と下半身が4.5:5.5位の均整が取れた体型をしている彼が、何らかの知的欲求を抑えながら、
私の心の隙間を探して様子を見ている気が、何の根拠も無いが頭を過った。

『私は今年で25になりました。
あの大学、共学と言いながら殆どが女子なので中年の講師は雇われないんです。
だから助手からスピード出世は当たり前……

多分私もアラフォーとか呼ばれ出したら飛ばされるんでしょうね、
そして老年期に差し掛かった頃に呼び戻されるのでしょうよ。』

自分でも皮肉と愚痴の多重ロックの様な口振りだったと反省しながら、彼の様子を窺う。

被害妄想気味な自分の頭のバイアスを調整しながら観察してみるも、
相手の静かなのにギラギラした瞳と値踏みする様な仕草に、つい身を縮めてしまう。

これでは検事と被告人じゃないか……

『民俗学が専門との事でしたが、
少し面白い話をしましょう。

玲さんは預言と言う単語に関してはどんな認識をお持ちですか?』

予言だって?なんで此処に関わる人間は予言だ起源だと占い師染みたコトばかり言うのだろうか。

『すいません……
昔、ナマズの地震予知の可能性を整理してサンショウウオで応用可能か試したコトがある程度で、
本格的な予知なんかは少し専門外ですね。

シャーマンの研究者なら紹介しますが?』

『いえ、神託を預かる方の預言です。
僕の言い方も悪かったかな?』

気障な見た目なのに精一杯思い詰める姿。
予言と思い込んで危機回避の為にボケた自分が憎らしいと素直に感じた……

『ギリシア系の預言者なら幾人か興味のある人物が居ますが、
イスラムの預言者に関しては私の中ではサッパリです……。』

『では質問を変えましょうか、
どの様な内容が玲さんの研究対象なのでしょう?』

如何に歪んでいて被害妄想狂の私でも気が咎めたので、正直に答えたのだが。
誰の悪意も介在しない形で肩透かしを食らう……

世の中は残酷である、しかし決して神は残酷ではないのだが。

『かなり恥ずかしいですけど、表向きは近代文学。
寺山修司や桜庭一樹などを専門としていますが。
本当はカバラやルーン、仙道、錬金術などの魔法を研究してます……

存在しやしないモノの研究だと揶揄されながら、民俗学と言う柱の影に隠れてコソコソと研究を続けている感じですかね。』

六角形のセルフレーム眼鏡越しの瞳を細めながら彼は絶句している。
やはりさっき噛ませた下手なユーモアが響いていて、遂に怒らせてしまっただろうか?

『で、そのギリシアの預言者とやらに特別な思い入れなどはありますか?
あるのなら教えて頂きたい。』

抑えた慎重な低い口調。
私の方が慎重になるべきシチュエーションだと言うのにどうしたモノか……

滑稽だが、私は切り抜けた訳では無い。
今ほどあのダウナーで射抜く様な目の店主の帰りを待ち望んだコトは無いだろう。

『いえ、特には無いですよ?

この研究を咎められて放逐されそうになった際に備えて、学会の御機嫌取りの為に用意したテーマですから…。』

出来るだけ腹の中を見せる演出を解答に織り交ぜる……
すると答え終えるが早いか、憂いの表情にも静かな怒りにも見える表情の要因であった首の角度を、突如斜め下から上へと変え、
先程より一層輝いた眼で、彼は破顔一笑した。

『貴方になら、僕の理論が理解出来るかもしれない。

いや、明かすべきだ。
魔法が悪いなんて僕はちっとも思わないし、
著名な神託預言者を冷めた眼で見る貴方の思考回路なら及第点でしょう。

魔法や魔術は自然哲学や数式では表し切れない結果を表す為の立派な学問だし、
著名な預言者の言葉なんて神託である以上は僕の因果律には数段劣る。』

高揚した様子で立ち上がった彼は、店内で一際目を引くディープパープルの液体を湛えた水時計の前で指から火を灯し、煙草に火を付ける。

私の中でなんとなく言動に整合性が取れているのは理解出来るが、
全く情報の整理が追い付かない状態で、
唯一理解出来たのはあのジッポーが手品専用と言う点位だった……

『話に追い付けてなかったら申し訳ない。
簡単に言うと今から無神預言の存在を証明します。

共鳴して頂けるかは解りませんが。』

陽も八割方堕ちた暗い店内に、煙草の灯りに照らされた彼の顔が浮かぶ。
その表情は精悍にして理知と狂気の狭間……

真っ先に私の中に浮かんだ印象を不躾ながら言葉に表せば
『コレの何処が田舎者なんだ。』
と言う感じだった。

私は恐る恐る薄笑いを浮かべて其れに応える。

『良いですね。
自分が講義を受けるなんて久方ぶりだ……
此方こそお聞かせ願いたい。』

『では宜しくお願いします。
先ずは僕の独自理論である因果律の話から。
これは何か例がないと表現し難いのですが、
現状、僕の中で真っ先に思い浮かぶイチゴ大福の話をしましょう。』

彼が大真面目な顔であるのに対して、意外さと恥ずかしさで私の眼は無意味に見開かれていたコトだろう。

この様子を見て、興味を惹かれていると彼は解釈した様子で結果的に気取られずには済んだ……

『まず、イチゴ大福を食べながら何をイメージしましたか?
これは別に何故買ったかと言う問いに対する答えでも構いません。』

また心理テスト的だ、この店には心理テスト倶楽部があるのだろうか、寧ろ店が心理テストをさせているのだろうか?

などと連想ゲームをしながら、購入時の理由を思い出す……。

『私の中では精神防壁、命乞い、生命の核なんて嫌なイメージしかありませんね。

ホントに何で購入したのでしょうか?』

苦笑いして本音を答える。

『え、その3つが苺大福と結び付けられるのですか?』

意外なコトに惚けた表情の彼。

『餅は皮膚の如き精神防壁、餡は狂気的で、どれも豆の様な大して形の変わらない甘い甘い命乞いの様で、
苺は、噛むと擬似的な麻痺と思える酸味が殺人の感覚と似ていますからね……』

自信のある証明、本質を見え隠れさせる。

『僕と全然違うじゃないですか、その発想展開は、常人の軸からは適度にずれている。いかに常人の軸からずらすか、常人がデフォか否かで変わってきますね。

此処で敢えて僕の意見ではなく、普遍的なキーワードを展開してみると

熱い緑茶が欲しくなるとか、スーパーの餡子はくどいものがあるとか、大福よりおはぎが好きとか、餡子にはコーヒーが結構合うとか、無性に時々和菓子を食べたくなるときがあるとか、餡子で苺のジューシィさや酸味が際立つとか、こういうのは全部ボツだ。

ジャンプになっていない当たり前の着想と言えるものが、常にではないにせよ、僕の言う因果律の発生を妨げているのです。』

前述の言葉からお分かりだろうが、
私、七葉 玲は破綻者と言える位には狂っている。

しかし、目の前の彼も紛れも無い毛色の違う狂気だ。

其れも私と全面的に波長の合う。

だから私は、彼の術式とも言える言の葉の先を見る為、大空の様な彼の思考テリトリーへと更に足を踏み入れる。

『次は私が察するに、因果律の概要説明でしょうか?』

『良い慧眼です。
正にその通りなんですよ。

僕の言う因果律は、僕の頭の中から抜き出して説明し辛いのが難点なんですけど。
幸い、概要を理解するだけなら十分に意味のある仏教用語が二つあります。』

『仏教?確かに無神預言を成立させるには面白いファクターですね……。

私は預言の《ある時突然、天から舞い降りる》ってのが堪らなく嫌いだったので、面白くなって来ました。』

『神託が嫌いだなんて、意外と攻撃的なんですか玲さん?
まぁそれは兎も角、玲さんにはまず阿頼耶識と末那識と言う言葉の概要についてお話しましょう。

阿頼耶識とは大乗仏教八識の内、最後の識であり、
蔵している種子から対象世界の諸現象<現行法>を生じ、
其処から生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ相続する。

そして、第七識たる末那識を「意」と訳する。
「意」は思量の意味であり、この識は常に第八識の見分を縁じて、我である、法である、と思量するから末那と言われ。
また、末那識とは末那即識(意それ自体が第七識)のことで、第六意識(意に依る識)と区別する為に、manas マナスのまま音写する。
つまり第六識も「意識」というので、その違いは、意識は意によって生じる識であるから意識という。依主釈。この様に末那識とは持業釈の意である。

と言うのが普遍的な二つの識の解釈です。』

難解な仏教用語が乱立する解説だったが、文脈から彼の言いたいコトの根幹は十分理解出来た。

私は散乱する理解を再編して応じる……。

『行動には必ず現象が伴い、その現象が人の根幹に影響を与え積み重ねられて行く。

そのカラクリの基点は人間の意識そのものであり、
従って世に言う偶然以上の結果を人間のみが理解し操るコトが可能で、
人間個人個人の繋がりを核とする故にあらゆる点に於いて汎用性を発揮する……。』


『数百年前、言葉で因果律を操る事に特化した才人が居た。
フランソワーズ・フォン・ジェルミナール……

玲には初対面の時に話したな。』

革のトランクを両手に提げ、
肩にも何本かの筒を携えた店の若き主が、整った蝋の様な顔で此方を見つめていた……。
今日は紺碧のレンズをしたグラスに、葬式の時のアリスと言えば通じそうな意匠の衣服を纏っている。

様子から見て何かを買い付けに行ってたらしく、
憔悴しているのか、サイコな雰囲気が少し影を潜めていて本当に美人だ。

『あぁ、彩綾さんお帰りなさい。
玲さんと議論が弾んで、
奇しくも僕まで留守番していました。』

『なんだよ絃誓、勝手に始めてくれて良かったのに。
ってか、君ってそんなに面白い事言えたの?知らなかった……。』

彼の反応に荷を降ろすコトも無く、
彼女は口許だけの薄い笑みを浮かべつつ、首を傾げて私がよく解らない内容の話をし始める。

と言うか何故か聞き忘れていた、彼の名前は絃誓と言うのか……

『やはりオーナーの目の前で作らないと僕の気が済まないんで。

では早速、作業に取り掛かります。』

『忠義立てする理由も無いのに無駄に生真面目だな、弁護士って皆こうなの?』

彩綾は不思議そうな顔で奥のキッチンへと足音も立てずに消えて行く……。

『絃誓さん?って名前なんですね。』

『あぁ、申し訳ない。
夢中になると必要な事も忘れてしまう悪い癖なんです。

僕は葉山 絃誓。
一応、表向きは弁護士ですが
それは名ばかりで本業はこれなんですよ。』

そう言って彼は何も無い掌から、マカロンを出現させて私の口の中に放り込む……。

『一応、此処の洋るのですが、
個人的にならイチゴ大福もお作りしますよ?

これ、僕の住所です。
近くですから何時でも来て下さい。』

貴方の私見、なかなか良い筋でしたよ?
と言い残し彩綾の後を追って絃誓も立ち上がり、私に背を向ける。

手渡されたメモには几帳面な書体の住所。
詳しく読んでみると此処の二階だった。

『何が、客と言うコトで構いませんだよ……。』

私は小さく毒付いて、緑茶を啜る。

『流石、機械も茶葉も良ければ冷えても美味いじゃないか。』






written by Shiki
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