別にこれといって特別な日ではなかった。気まぐれ、と言っては贈る相手には失礼かもしれないが、「夏未さんに花をあげたいな」という思いつきだけで、春奈は道を引き返して花屋に入りヒマワリを二、三本束ねてもらった。自分で種から育てた方が安上がりなのは分かっていたが、もうどこを見てもヒマワリは咲いていない。思い立っての行動だったから財布にも優しくなかった。花屋の花は金のない中学生には、高い。
気候も街も、唐突に訪れた秋に早くも順応していた。人間だけがずるずると遅れている。カーディガンを羽織るには暑く、半袖だと肌寒い。中学生としては初めて送るこの季節、どう調節するのか、雷門中女子一年生は先輩たちの動向を伺う。習わしだった。
(そんな中、ヒマワリ買っちゃった)
きれいな花を咲かせているから買った、夏未を喜ばせたいために買った――ことには間違いない。ヒマワリを選ぶあたり、心の奥底では、夏という季節にまだ未練があるのだ、と春奈は仮説を立てた。
最近まで近くにいた猛暑が、夕立が、昆虫や鮮やかな花々が、追い立てられるように去ってしまった。夏を象徴するヒマワリも、野生のものは茶色く枯れ果てて、脳味噌のような種を持って、その頭を垂れるだけである。
(だからって、夏未さんに)
夏の字を持っている人間は、春奈の短い人生の中で彼女ひとりだけであり、春奈にとって彼女は特別な先輩であった。自分の気持ちが、本来は異性に向けるものだと、薄々感じてはいた。頑なに否定はせずただぼんやりと受け入れていた。夏未さん、好きだなあ。でも夏の名前がある人に夏の花をあげるなんて、ちょっとこじつけすぎたかな。
雷門家の玄関と、外の気温はあまり変わらなかった。日差しが強くても、湿度がないので対して暑く感じない。
花束を初見してから受け取るまで、夏未はずっと驚いていた。春奈の望んでいた表情は、彼女が花を贈られた事実を理解して初めて、感謝の言葉とともにあらわれた。
「そんなに意外ですか?」
「ええ。同性に花を贈られるのって、あんまり無いから」
「夏未さぁん、それって異性からは貰い慣れてるってことですかぁ?」
わざと嫌味たらしく言ったら、赤い顔して否定された。
「財閥のパーティーで、男性が女性に贈っているのをよく見たからよ!変な誤解しないで!」
冗談ですよ、と明るい声でへらへら笑っても、頭では別のことを考えていた。美人で評判である夏未にとって、花束の贈り手はこれから先何人も出てくるだろう。春奈が用意した数本のヒマワリではなく、立派で、愛情のたっぷりこもった花たちが夏未に向けられるのだ。
春奈の花束が、彼らに勝るものになるかは、年齢を重ねた夏未の心にしか分からない。確かに質では劣るかもしれないが彼らと気持ちは一緒だ。想像の中の男性に、春奈は嫉妬する。
「どうかして?」
少し俯いて思考に耽っていた春奈に声をかける。ハッとして顔を上げると、夏未が顔を覗き込んでいた。怪しむように眉に皺が寄っていない、何も感じとられてはいないようだった。
言い訳にと口走った言葉が妙に核心に触れていて、口に出している時点で春奈は後悔した。
「夏未さん、どこかに行っちゃいそうな気がして」
「どこかって?」
「分からないですけど、なんとなく」
「やあね、行くとしてもちゃんと行き先は告げるし、連絡は取るわ」
首を傾げる夏未に、春奈は誤魔化すように笑った。夏未が言及するかと思ったが、彼女は真意を知ろうとしないまま、贈り物に対しての感謝をした。
「部屋に飾るわね」
「ありがとうございます!」
「もう、お礼を言ってるのはこっちなのに。……そうだ、もう少しばかり時間をくれるかしら。庭に植えてあるヒマワリ、切り取る前に種を取ってしまおうと思って」
「夏未さんでも庭いじりするんですね」
「いつもはバトラーがしているわ、貴女がヒマワリをくれて、気が変わったの。やるの?やらないの?」
「やりますやりますー!」
軍手と袋を取りに行くから少し待っていて。花束を抱えて夏未は家の奥に消えていった。背中を見送ってから、ため息をついて玄関の段差に腰かける。
何故あんなことを口走ってしまったのだろう。本当は気付いてほしかったのかもしれない。春奈もそこまで露骨な感情は出してはいないし、秘密を貫くつもりであった。迂闊だった。彼女の経験上、女性に花束を贈るのは男性であることが当たり前で、プロポーズを意味したそれを、同性の春奈から突然贈られたのだ。驚きも疑いもするだろう。それでもし本心を知られてしまったら、傷つくのはお互いだろうに。
唸り声をあげながら、膝頭に額を合わせた。ぎゅうと目を瞑る。電気の淡い残像と、ありがとう、と照れながら笑う夏未が浮かぶ。夏未さん、変に思ってないかなあ。
言葉なく気持ちを伝えるには、何か贈らなければ、としか当時の春奈には考えつかなかった。あわよくば雷門家のヒマワリの種を頂いて、大事に育てて、来年また夏未に贈る。夏も終わるこの時期に。この時期じゃないと駄目なんです。夏未の中に、何年経っても、望んだ結末にならずとも、自分が根強く残ってくれるようにと、瞑目しながら切望した。
20120928
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