いつしか、夜更かしをするのが楽しくなっていた。夜になると、昼に見えなかったものが見える、その逆もまたしかり。太陽の光は少しうるさく思う。夜の静かで冷たい空気と、優しい月の光と、皆が寝ているのに自分は起きているという、ささやかな背徳感。といっても、夜遅くのサッカーは禁止されているし(やってる人もいるけれど)、これといって夜更かししてまですることもないのであった。読書か、ぼんやりしていると、あっという間に二時三時になっている。
 サッカーが忙しくなった今は、たいていは疲れて眠ってしまうが、今日に限って睡魔が襲ってこない。何か飲み物を買いに行こう、パジャマから軽装に着替えて部屋を出た。

「あら」
「あ、クララ。どこか行くの?」
「ちょっとそこまで。リオーネはどうしたの」
「わたしもクララと同じ。眠れなくて。飲み物でしょ?」
「さすが、お見通しね」

 同じくジャージ姿のリオーネと鉢合わせて、連れ添って外出することになった。


 良い子悪い子普通の子方式で分類するならば、リオーネは良い子だった。満面の笑みで毒づく私は悪い子、イタズラに引っ掛かりやすいが素直なアイシーは普通の子。小さい頃から一緒だった私たちだが、この立ち位置は変わらないままだった。悪い子は普通の子は簡単に騙せるが、良い子には敵わない。悪い子は良い子に羨望と嫉妬を向けた時もあったが、優しい良い子は悪い子の全てを受け止めて受け入れようとする。悪い子もそれが無意味なことだと知って、ごめんなさい、私が間違ってたと、和解する。

「クララは昔より丸くなったよね、性格」
「そう?今でも毒舌は健在よ」
「そうなんだけど……ちゃんと言葉の裏に思いやりがあるっていうか、傷つけるだけじゃなくて、言った相手のためになるようなことも言ってると思う」
「さすがに買いかぶりすぎ」
「ガゼル様にも怖気ずに、ズバッとものを言うじゃない。クララのそういうとこ、羨ましいなって思ってた」
「……それ、昔、私とリオーネがケンカした時も、あなた言ってたわよ」
「えっ。いつ?」
「二年前くらい」
「よく覚えてるね」
「まあ……ね」

 大切な思い出だから。
 良い子も悪い子のことが羨ましかった。知らずのうちに互いに無いものを求めていた、なんとも滑稽な話だと、私は思う。あの話には裏がある。それをリオーネは知らない。知らないままでいい。


 冬はまだまだなのに、今夜はやけに冷え込んでいる。長袖ジャージを羽織ってきて正解だった。
 お日さま園からすぐ近くの自販機で、寝ているはずの時間なのに少女二人が飲み物を買っている。他のチームの人にばれませんように。
 ガコン、と落とされたホットココアの缶を、自販機の口から取った。手で持つには少し熱いので、ジャージの袖を手まで伸ばして、缶を握る。

「わたしもココアにしちゃった。おいしいよね、このメーカーのホットココア」
「ええ。寒い日はやっぱりココア」
「クララ先飲んでていいよ、わたしのはまだ熱い」

 先ほどの私と同じように、缶の熱をジャージで和らげている。道路の防護柵に並んで腰かけて、私は先に缶を開けて口をつけた。

「思ったより熱くないから、リオーネも飲めると思う」
「じゃあわたしも」

 リオーネは缶を開けて、その缶を「持ってて」と私に寄こした。期待で私の心臓が跳ねる。
 仮面に手を伸ばして、外す。単純な動作が私の目にはスローモーションで再生された。白い仮面から覗く綺麗な肌、長いまつげ、伏せた目に光は反射してはいないが、暗闇に慣れて目を開くと、月と街灯の光を吸って輝いた。

「クララ、ココア持っててくれてありがとう」
「え、ああ、はい」

 食事や入浴時にも、リオーネは仮面を外している。その度に私は見惚れてしまう。

「大丈夫?ぼーっとしてるけど」
「……大丈夫」

 急いで一口飲んだが、照れ隠ししたみたいでわざとらしかった。リオーネは気にせずココアを飲んでいる。ああ、私の馬鹿。
 心臓がまだ高鳴っている。夜、リオーネと二人きりで、距離が近くて、しかも彼女は仮面を外している。一緒に日常を過ごしていても、こんな機会めったにない。

「はぁ、落ち着く。最近は練習ばかりであまり休めなかったから」
「そうね」
「アイシーには申し訳ないけどね。そうだ、今度休みの時に三人でどこか出掛けない?」
「いいわね。またアイス食べに行く?」
「いいね!わたし、今度はあの味を――」

 出すな、見せるな、隠せ。ポーカーフェイスは得意な方だが、リオーネに何か感づかれないかと内心必死だった。

 昔、私とリオーネはケンカした。溜めていた感情が爆発して、些細な事で私が突っかかったのだが、折れて先に謝ったのは私の方で、みんなは「百戦錬磨のクララが……」と驚いていた。リオーネも少し驚いていたが、仲直りの握手をしようと、満面の笑みで言ってくれた。これは私が、リオーネに対しての羨望と嫉妬の正体ともう一度向き合って、彼女へ向けている気持ちに自分が気づき、悪いのは完全に私だと、理解したからである。
 好きなの、リオーネが。

「そろそろ帰ろう?」
「そうね、ココアも飲みきったことだし」

 戸惑いと自己嫌悪はしたが、それも自分なのだと割り切ったらはっきりと見えてきた。私はリオーネを好きで愛している。友愛とは違う、男女が互いを愛するそれだと認知し、女同士のそれが一般的ではないということも本で知った。リオーネは好き、だが、告白すれば何かしら環境が変わる。一緒のチームにいられなくなるかもしれない、それは得策ではない。悪い子は昔から悪知恵だけは働いて、自分に損のないように生きていくのが得意だった。
 告白は一生しない。墓まで持っていく。


「ありがとう、付き合ってくれて」
「ううん、こちらこそありがとう。久しぶりにのんびりできた気がする」
「私も、やっと眠くなってきたわ」

 抜き足差し足忍び足で、部屋の前の廊下まで帰ってきた。時計はすでに一時を差していた。

「じゃあおやすみ、クララ」
「おやすみなさい、リオーネ」

 リオーネが部屋に消えるのを見送ってから、私も振り返ってドアに向き合う。明かりのない廊下は暗く、温かいものを飲んだはずなのに、彼女のことを考えるたびに、心臓を軸に全身が凍っていくような感覚に陥る。ドアに映った自分の影を睨みつけても何にもならない。
 音を立てないようドアを開け、暗い自室へ戻った。何も考えない、何も。寝ることに集中する。重力にまかせて自分の身体をベッドへ沈めて、浅い眠りの世界へと落ちていく。静かな夜である。


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