相変わらず質素というか簡素というか、あいつの部屋を見るたびに味気ない部屋だという感想しか出てこない。電気を点けると見慣れた三国の自室があった。勉強机、本棚(俺と一緒に買いに行った参考書がある)、クローゼットと、特徴のない地味な部屋だった。
勉強机の脇にあるベッドに寝転がる。うつ伏せに寝転がって枕に顔を埋めると、否応なしにあいつの匂いが鼻に流れ込んでくる。結局あの照れたのはなんだったんだよ。思い出すとむかついてくるが、身体というのは正直なもので、頭の中はぐちゃぐちゃと考えながらも、枕につっぷして深く息をしていた。
(うわ、ただの変態じゃんか)
心臓どころではない、俺の全てを鷲掴みにされているような感覚に陥った。うまく呼吸ができない。懸命に呼吸をしようともがくが、肺に入ってくるのは三国の匂いだった。
「くそっ……」
「どうしたんだ、南沢」
身がもたない。三国の所へ行こうと跳ね起きたら、部屋の入り口にあいつが立っていた。
「な、なんでいるんだよ」
「なんでって……夕飯の支度終わったから呼びに来たんだ」
「……そうか」
当然の理由だ。突然の登場に馬鹿みたいに動揺してしまった。さっきの行動を見られてはいないか。三国にポーカーフェイスは通じない、高揚と興奮を悟られぬよう必死で感情を押し殺す。
「南沢」
三国は特に気にかける様子もなかったが、真っ直ぐな瞳が俺を射抜く。心が見透かされるようだった。
「メシ食ったら、サッカーやろう」
三国が笑って言う、前日のことなど何事もなかったかのように。その笑顔に胸がちくりと痛んで、「ああ」と返事をした俺の、浮かべた表情が歪んだものになった。
クリームシチューをたらふくご馳走になって、三国んちのマンションの下の、小さな公園でボールを蹴る。お互い制服のままだ。辺りはすっかり暗くなっているが、街灯もあってか足元がちゃんと見えるし、夜の割には温かい。
「さすがに本気出すなよ」
「当たり前だ、制服汚すの嫌だからな」
口ではそうは言ったものの、考えてみればこの制服を着ることはもう無いだろう。ただ楽しむだけの、戯れのようなドリブルとブロックを交互にする。
(前にもこんなこと、やったな)
あの約束の日から雷門に入学するまで、俺と三国は一度も連絡を取らなかった。入学式の後に再会してその帰りに、新品の制服を着たままサッカーをした。さっきと同じような会話をして。
「懐かしいな」
俺からボールをカットして、三国が追憶する。俺と同じことを思い出していた。
「ああ。入学式の帰りだっけか」
「変わらないな、昔と」
三国が言葉を選んでいるようには思えなかった。あいつの口からすんなりと出たのだろう。変わらない?そんなはずはない。俺も、三国も、何かしら変わったんだ。
「なぁ南沢、雷門に入る前の、初めて会った時のこと覚えてるか」
「ああ。ガキの頃からお前の髪はもじゃもじゃだった」
「おい……。俺、お前と一緒にサッカーできて、心から良かったと思えてるんだ」
ボールを置いたまま、ゆっくりと三国が歩み寄ってくる。俺の前まで来て、背の高い三国を見上げるかたちになる。初めて会った時は同じ目線だった。
「約束、守れなくてごめんな」
三国の手が俺の顔に伸びて、眼が行き先を捉えた。俺の目尻に溜まった涙を優しく擦って消す。三国が触れた目尻がちくりと痛む。三国の部屋で微かに心臓に感じた痛みと同じものだった。目尻だけではない、体中がちくちくと小さく痛んだ。三国の胸に縋って顔を埋めると、我慢していた涙が止まらなくなった。三国が俺の頭部を遠慮がちに撫で、気持ちよさに安堵したいのにその頭も脳も痛みだした。
三国からしたら、単なるガキの約束事にしか思っていないだろう。あいつにとっては小さいことでも、俺は違った。あれは誓いだった。
「三国頼む。殴ってくれよ、俺のこと……」
自分を貫いてくれる針を探した。自分を殴殺してくれる拳を探した――いや、探すも何も、それができる権利を持っているのは、三国しかいなかった。
保身のためだ、保身のため。背徳じゃない。離反じゃない。澄ました顔を作りながら、心の中では必死に否定した。結局自分が一番だった。内申は欲しい、サッカーもしたい。決意をセメントで何度も塗装した、でもあの誓いを思い出すたび、固まったセメントはひび割れを起こすのだった。
「殴れない。できるわけないだろ。俺だって約束を破ったんだ。むしろ殴られるべきは俺の方だ」
取ってはいけないシュートを止めた。三国も迷いの中自分で答えを掴んだんだ。俺だってそうだ、導き出した答えが違っただけのこと。同じ答えが出るとは限らない、俺と三国は同一ではない。三国が成長したように、俺も変化したんだ。
「あの約束は俺にとっても大切なものだったんだ。南沢だけに罪は背負わせられないさ」
「さん、ごく……ごめん、ごめんな」
情けない涙声で謝罪を繰り返す。俺の背中に腕が添えられて、三国の頭が俺の隣に降りる。抱きしめられている。あたたかく大きな腕が、俺の背中を包んでいる。その腕がぴくりと強張った。まるで何かの痛みに耐えるように。
三国と別れて帰路につく。身体の痛みは公園を出てあいつに背を向けた際に、全身から引いていった。
今日はどんな夢を見るのだろう。同じ罪を背負うのなら、俺が三国に針を飲ませ腹を殴るのかもしれない。それももういい。もういいんだ。
それでも、懺悔しても感情が三国を諦めさせてはくれなかった。
20120123/20120207
back