図鑑でしか見たことがないものなんていっぱいある。世界一大きい蝶だとか、数日間しか咲かない花だとか。その中でも一際目立って、それは輝いていた。
絶句しながらしばらく眺めていた。きれいだとか、美しいだとか、単なる形容詞で表すことのできないものを持っている。幼い時は部屋にいる時も、読書よりかは運動を選んできた。部屋に天体図鑑が置いてあるのを、なんとなく手に取っただけなのだ。
違った時間の流れを持つそれを、一目見たいと思った。死ぬまでの目標がひとつできた。星空の中を眩しく尾を引いて、彗星が横切る。その光景が見たい。暇潰しに手に取った本の、ひとつの写真に心が埋まっていく。肉眼で起きている事実を、宝石よりも鮮やかに燃える彗星を、記憶に焼き付けたかった。
(なんだか、布美子みたいだ)
何故そう思ったのか自分でも分からない。直感的にそうであると思ったのだ。布美子の持つ色とは全然違うのに。
この彗星を布美子と一緒に見たい。お金を貯めて、空気が澄んでいる満天の星空の下で、二人で。
「珍しい、玲名が図鑑を読むなんて」
振り返ると布美子が後ろから覗きこんでいた。芳香が鼻孔を掠める。
「私だって図鑑くらい読む」
「懐かしいわね、その天体図鑑。わたしもよく読んだわ」
あっ、と布美子が写真のひとつを指差す。私が見惚れていた彗星の写真だった。青白く幻想的に発光する星を、布美子は大事そうに見つめていた。まるで親が子の姿を見守るような眼差しだった。
「その彗星、私も気になっていたんだ」
「ええ。その本の中だと一番好き」
「私も、これが一番好きだな」
わたしね、と布美子が図鑑から視線を逸らさずに切り出した。私も同じ星を見て彼女の声を聞く。
「この彗星、小さい頃からずっと、玲名みたいだなって思ってた」
布美子の横顔をちらと覗き見た。慈愛を含んだ金色の瞳に、写真と同じ星が輝いている。
胸に何かがつかえてうまく言葉を吐き出せない。それでも、自分も同じ気持ちだと、言わなければならないと思った。
「私は、布美子みたいだと」
伝えた気持ちは情けない鼻声になってしまった。今度は布美子が私の顔を見た、盗み見ではなく眼を合わせるように見つめた。涙の膜はまだ私の瞳を濡らしてはいない。
「なあ、大きくなって、お金貯めて、彗星を見に行かないか。日本じゃなくても、世界のどこかで」
驚かれるかと思ったが、布美子は私の発言を予知していたかのように、ゆっくりと頷いた。
「この約束、絶対叶えるわ」
柔らかく微笑んだ布美子を見て、私の心臓を何かが貫いた。得体の知れないものが通った所が焼けるように痛む。小さな流れ星が突き刺さった胸には、いずれ彗星が通る。布美子のためであり自分のために、いつ現れるかも分からない星を見に行く。
布美子と彗星が同じならば。出ている解答を答えずに、私の言葉も、私自身も、青白い光に吸い込まれていく。
20111202
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