軍都

「旭川まで一枚、お願いします」
「はいよ」
 乗車賃を支払って赤切符を受け取り、乗り場へ向かう。早朝にも関わらず多くの人々で賑わう乗り場に、鼓膜を揺する大きな汽笛が響いた。その音に、子供達がわいわいと興奮する。
「坊主ども、列車が発車するから危ねぇぞ」
 黒光りする鉄の塊がゆっくり進み出すと、黒い煙が小樽の街と海の風景に混ざり合う。開けた窓から潮の香りと煤けた臭いが鼻先を掠める。見慣れた風景が過ぎ去っていく。
 この蒸気機関車は八両編成の内、一等車両は最上級の客車で“開拓使”という札がかけられている。
 北海道における鉄道開通は、石炭を小樽湾へ移送するための手段として線路が敷かれたのが始まりだ。
 函館から札幌。長万部から岩見沢。空知太そらちふとから旭川。釧路から帯広。道内で石炭や硫黄の採掘が進むと共に、線路は徐々に延伸し――日露戦争中の明治三八年には、函館から旭川間が全通した。
 車内は満席状態で、通路に立っている人も数名いた。中央通路を挟んで左右に客用座席が設らえている。洋式トイレ、ストーブも完備されているので長旅にはありがたい。だけど規則的に揺れるガタン、ゴトンという律動は、お世辞にも乗り心地が良いとはいえなかった。
 小樽から札幌まで片道およそ二時間弱。北方の護りを担う旭川はまだまだ遠い。運良く車窓側に腰を落ち着けることが出来た私は、兄上が遺した日記のページを捲る。

 東京陸軍士官学校時代から、日露戦争で出征した明治三八年八月頃までの数年間が綴られている。今開いているこの一冊には士官学校を卒業し見習士官を経て、少尉として第七師団二七聯隊に配属された数年間の軍隊生活が綴られている。ちなみに兵営が旭川へ移転する前は、札幌を拠点にしていた。
 中隊付となり、日々新兵教育の教官を務める傍らで、自身も兵術稽古や雑務、陸軍大学校の受験準備に追われる毎日。鶴見中尉殿の命で、実家に数回足を運んでいたと思われる描写が遺されていた。
 兄上が遺した日記帳には、何気ない日常が綴られている。読む度に温かい気持ちと共に、やり場のない悲しみがこみ上げてくる。戦争が兄上を殺した。全てを奪ってしまった。
 ちなみに師団の機密事項や、実家の詳細について書かれていない。万が一、誰かの目に触れても大丈夫なように注意を払っていたのだろう。兄上は几帳面な方だった。日記は毎日欠かさず記しているからこそ、余計に気になるのだ。
「日記に書かれてない日は、何をして過ごしていたのかな」
 日付が歯抜けになっている。ただの偶然。もしくは兄上も忙しくて、日記が書けなかっただけ。気にし過ぎと言われてしまえば、それまでなのだが。
『兄が遺した日記帳は、これで全部なのですか?』
『兄君の遺品整理をしたが、日記帳はそれで全部だ。名字家にまつわる件は、兄君から個別に報告を受けているし、以前名前さんにも共有済みだろう?』
 以前、鶴見中尉殿に尋ねたが空振りだった。一旦、鶴見中尉殿の言葉を飲み込もうとしたが、どうしても腑に落ちなかった。
 様々な可能性が首をもたげるのだ。
 歯抜けの日付だけ、別にまとめた日記帳があるかもしれない。もしあるとしたら、それらは今どこにあるのだろう。与えられた命令を円滑に遂行するには、情報は全て共有するべきだ。もしかしたら鶴見中尉殿は、全ての情報を私に伝えていないのではないか。
 鶴見中尉殿が意図的に、日記帳を抜き取って私に渡したと仮定して――そもそも兄上が途中まで調べていた実家の件を私に引き継がせる必要があるだろうか。合理的で、頭の切れる中尉殿が取る行動とは思えない。無理がある。
 一番考えられる可能性として、兄上自身が処分した。処分したのなら何故だろう。鶴見中尉殿の命で個別に動いていた実家にまつわる例の件・・・で、白日の元に曝せない何かがあるのだろうか。
 歯抜けの日付。空白の時間。その期間で兄上は、一体何をしていたのか。誰かが裏で糸を引いていると、感じてしまうのはどうしてだろう? まるで大きくて凶暴な女郎蜘蛛が、獲物を狩るために糸を張るように。私は愚かな獲物の一匹なのではないか。獲物は気付けない。既に捕食者の縄張りにいることに。真相を知ってから、逃げようとしても既に遅いのだ。

 ガタン、ゴトン。機関車の車輪が回る。
 旭川に近づけば近づくほど、後戻り出来なくなりそうな予感が背筋に蔓延る。
「……大丈夫。私はただ、確かめに行くだけなんだから」
車窓から過ぎ去る雪景色を一瞥する。熱くなった脳内を冷やすため、ほぅと小さく溜息を吐き出す。ゆらりと白い蒸気が昇った。車内にストーブが点いていても、三月の北海道は寒いのだ。
 再び、日記帳に目を落とす。
 筆で綴られた日記に出てくる登場人物で、私が知っているのは鶴見中尉殿のみだった。厳しくも忙しい軍隊生活であっても、周囲とは上手く関係を築いていたようだ。頻繁に出てくるのは“花沢少尉”という人物だった。士官学校の後輩と記載されている。
 兄上は夏季休暇を使って、卒業した士官学校を久々に訪ねた。その時に出会ったようだ。東京の光景に懐かしさを胸に抱き、北海道の夏と比べて、やはり東京は暑いと回顧している。
 綴られた文字を追うと、兄上は何かと面倒を見ていたようだ。“花沢少尉”が第七師団に任官してから、二人で食事しに街へ繰り出したことも書かれていた。“花沢少尉”は先の戦争では聯隊旗手に抜擢されるほど成績優秀で、師団内でも人望厚い人物だったらしい。現在はどうしているのか。日記の書き手がいなくなった今、彼の消息も定かではない。
「花沢、勇作少尉殿……」
 口に出して音に乗せてみる。優雅でありながらも厳かな響きだ。どこかで耳にしたことがあるような気もする。一体、私はどこでその名を聞いたのか。
 知り合い。同期。先輩。同級生。多くの患者。看護学校の教員。過去に出会った人物を思い返してみたけれど、該当する人物は思い当たらない。記憶違いかもしれない。
「――岩見沢。岩見沢です」
 駅の乗り場から、車掌の声が聞こえる。小樽を出発してから数時間。そろそろ腰が痛くなってきたが、旭川はまだ数時間かかる。
 数年ぶりの帰省。目的は大兄上に父上のことを聞くためだ。
 金融業で財を成した父上は、その後旭川市長となった。家業である銀行業は、父上が旭川市長になった際に大兄上が継いだ。その際、父上から何か話を聞いているかもしれない。
 正直、母上や大兄上と顔を会わすのは気が重い。二人とは五年前に父上が亡くなって以降会っていないのだ。日露戦争勃発後、看護婦として召集される前に、急いで兄上に会いに第七師団総司令部へ行った。でも実家には顔を出さず、東京へとんぼ帰りした。終戦後に北海道へ戻って以降、小樽から一歩も出ていない。旭川もだいぶ様変わりしているだろう。

 岩見沢を出発して更に数時間後。正午をゆうに回ったが、日が沈む前に旭川に到着することが出来て良かった。早朝から長時間座りっぱなしで凝り固まった身体を伸ばし、痛む腰を撫でながら駅前の広場に降り立った。
「……すごい栄えてる」
 街の発展ぶりに、私は気圧されてしまった。いつの間にか、大通りには馬鉄の線路も敷かれている。平家の商店がいくつも軒を連ね、人々の往来も多い。
「ご婦人。こんなところに突っ立って、何をしている。困りごとか?」
 不意に背後から、声をかけれた。振り返れば枯れ草色の外套に身を包み、軍帽を被った将校様がいた。二十歳を少し超えた頃合いだろうか。浅黒い小麦色の肌と、きりっとした眉毛が印象的な青年だ。まごつく私を将校様は、不思議なものを見る目で眺めている。
「えっと……、道が分からなくて」
「旭川に来るのは初めてか? ならば私が案内しよう」
「いいえ! 将校様のお手を煩わせることは出来ません。地図もありますので――」
 お構いなく、と言う前に将校様は機敏な足取りで先を歩いてしまう。
「構わん。仕事の気晴らしに、散歩をしているだけだ。それに、女一人では何かと目立つぞ。目的地はどこだ」
言われるがまま、着物の袖から手書きの地図を取り出して、将校様に見せた。そこには、名字家の菩提寺が記されている。
「寺に何の用事があるのだ」
「家族の月命日なので、お墓参りをしようかと」
「……そうか。こっちだ」
 地図を一瞥し、ついて来るようにと目で合図された。
 旭川の街中を黙々と進む。雪が残る道を着物で歩くのは難しい。雪下駄を履いているが、いつもより慎重に歩幅を狭くして歩かなければ転んでしまう。数歩先にいる将校様は時々こちらを確認するように振り返り、私が追いつくまで待っていてくれる。雪に足を取られないように慎重に歩いていると、将校様が手を差し出す。掴まれ、ということらしい。
「……転んで怪我をしたらどうするのだ。それに、せっかくの綺麗な着物が汚れてしまうだろう」
 将校様の手を借りるのは気が引けたけれど、怪我をしたら元も子もない。せっかくなので、お言葉に甘えることにした。
「あ、ありがとうござます」
 仕事柄、患者の付き添いで手を差し出す側なので、妙な感じがする。掴んだ手は温かくて、掴まるだけで安定感が増す。
「将校様。よろしければ、お名前を教えていただけませんか」
「私は鯉登音之進陸軍少尉だ。昨年、第七師団に配属されたばかりだ」
「そうなのですか。私は名字名前と申します」
「ん? “名字”って……元旭川市長のご令嬢か?」
「ええ……、そうです。鯉登少尉殿は、父をご存知なのですか?」
「第七師団を旭川に誘致したという話を、敬愛する上官から聞いている。この街の発展に貢献した御仁だと」
 そう言って鯉登少尉殿は、発展した旭川の街並みを案内してくれた。
 師団道路の左右には、電柱がいくつも設置されている。薬局、呉服店、陶器屋、金物屋などの商店。旅館、割烹屋、洋食屋などの飲食店が続く。
「あの洋食屋に部下とよく昼飯を食べに行ったものだ。ライスカレーが美味いんだ。私がせっかくだから食べろと勧めても、ハイカラな味覚は持ち合わせていないと言って、一口も食べようともしなかった」
「今はもう行っていないのですか?」
「部下が小樽に赴任してしまってから、行っていない」
 彼は、少し寂しそうな物言いだった。
「名前さんは、ライスカレーを食べたことあるか?」
「一度だけ、東京で食べたことがあります。食欲がそそる味で美味しいですよね」
「東京に行ったことがあるのか?」
「……はい。北海道に戻るまで数年間、東京で暮らしておりました」
「私も市ヶ谷台の士官学校にいた頃は、級友達と日曜日に東京見物をしたものだ」
 鯉登少尉殿は懐かしいものを見る目で、向かいの洋食屋を眺めている。在りし日の東京での思い出と、部下との思い出が交錯しているようだった。
 新鮮な野菜や海産物を売る市場。子供達が大好きなお菓子屋の後方には、私も通っていた小学校の校舎が見えた。道路を挟んだ向かい側には、鉄道の官舎。運送店や数軒の材木屋が軒を連ね、大きな看板や提灯などが配された店舗は、賑やかさに拍車をかける。
「いつもは紙芝居屋が来ているのだが、今日は来ていないな」
「鯉登少尉殿は、紙芝居をご覧になるのですか?」
「……ん、たまの気晴らしに」
 罰が悪そうに頬を掻く少尉殿の耳朶は、照れ臭そうに赤く染まっていた。

 私が幼い頃、この周辺には原生林もいくらか残っていた。石狩川は村を蛇行するように流れていて、川の中洲があちこちあった。碁盤の目に区画された市街予定地には、指で数えるほどしか建物がなかったのに。今は当時の面影を、見つけることが難しい。
「懐かしいです。子供の頃、将校様に街を案内したことを思い出しました。あの頃は街というより、村といった方がしっくりしますけど」
 開拓のために入植した屯田兵達が、大木を切り倒す。彼らが田を耕す風景を眺めながら、鶴見中尉殿に村を案内したことを思い出す。整備されていない畦道が、ずっと彼方まで続く。子供達は元気一杯に走り回り、いつも泥だらけだった。私も靴を汚して帰ると、母上に叱られたことを覚えている。
『あの木造小屋が休憩所。札幌や函館に比べたら、何もないところでしょう?』
『そんなことはないさ。今は北海道全域で開拓が進んでいる。この土地も父君の力で、栄えるだろう』
『この村が函館や札幌みたいに整備されるの?』
『今、その方向で父君が奔走しているのだよ』
『そうなの……。だから父上は、お家に帰って来ないのね。妹はいつも寂しがっているのに』
『……露西亜の絵本を持っているんだ。今度、妹君にも読み聞かせてあげよう』 
『本当ですか? 妹もとても喜ぶと思います!』
 当時の私は、父上が家に帰って来ない理由が分からなかった。大兄上は跡取りとして仕事に励み、兄上は東京の士官学校に在学していた。大きな屋敷には母上と女中、私と病弱で寝込みがちな妹が暮らしていた。
 病床脇で妹に絵本の読み聞かせをする時。父親と手を繋ぐ子供を見る時。学校での出来事を話す時。寂しくなかったと言ったら嘘になる。
 長じてから、父上が成し遂げたことの意味が分かった。
 札幌で設立した陸軍第七師団の兵営移転誘致に、かねてから旭川を推挙していたのが父上だったのだ。北海道中央部に位置する旭川は、宗谷から留萌るもい、オホーツク海、千島方面のいずれにも部隊を展開出来るという理由で抜擢された。露西亜の南下政策に備えるために。早急に総司令部及び兵営建設が始まったのは、今からおよそ八年前だ。
「名前さんは、今どちらに住んでいるのだ?」
「今は小樽に住んでいます。海と山に囲まれた良いところですよ。小樽湾ではニシン漁が始まりました」
「お、小樽……。羨ましい限りだ。私も行きたい」
 鯉登少尉殿は、ぼそっと呟く。その意味を私は計り知ることが出来なかった。
「ところで、鯉登少尉殿の出身はどちらですか?」
「鹿児島だ。山頂から見下ろす港町と、目の前に聳える桜島の風景は格別だった」
「鹿児島は気候が暖かいと聞いたことがあります。名物は桜島大根だと」
 すると鯉登少尉殿が、くすぐったそうに軽く笑う。何か変なことを言っただろうか? 不思議に思い、どうしたのですかと聞くと、彼は少し慌てた素振りをした。
「あ、いや……。鹿児島にいた頃、西郷さんのお墓を案内したことがあってな。その時、名物について話をしたことを思い出したのだ。汗が噴き出る、暑い夏の日だった」
 そう語る鯉登少尉殿は凛々しい表情から一変、眦を弛ませた柔らかなものだった。遠く離れた故郷への懐古。言葉の裏に見え隠れする、僅かばかりの癒えぬ喪失感。楽しいこと、辛いことが詰まった故郷での思い出。結局私は、ありきたりな言葉をかけることしか出来なかった。
「……とても大事な思い出なのですね」
「……まあな。それにしても、ここの冬はとても寒くて敵わん」
鯉登少尉殿は身をぶるりと縮こませる。骨の芯まで沁みる冷気は、肺に吸い込むだけで体温を奪われてしまいそうだ。東京の冬も寒いが、こことは比べものにならない。ましてや更に南方の鹿児島となれば、北海道は別次元かもしれない。
「ふふ。冬の樺太と北海道の寒さは別格ですからね」
 鯉登少尉殿の鼻先が、少しだけ赤くなっていた。
「だけど夏は過ごしやすい。鹿児島は、ここと比べものにならんほど暑いが、それもまた良いのだ。機会があれば行ってみろ。きっとびっくりするだろう」
 世間話をしながら師団道路を突っ切って、右に曲がる。しばらく直進すると、無事に目的地に辿り着くことが出来た。
「お忙しいのに案内してくださり、ありがとうございました」
 私が深くお辞儀をすると、彼は気にするなと言った。
「礼には及ばん。帰りは大丈夫なのか」
「はい。ここから歩いてすぐ実家がありますから、心配には及びません」
「それなら良い。足元には気をつけるんだぞ」
「ありがとうございます。鯉登少尉殿とお話し出来て、楽しかったです」
「私も良い気分転換になった。そろそろ兵営に戻る」
 鯉登少尉殿は、しっかりした足取りで来た道を戻って行く。私は彼の姿が見えなくなるまで見送った。

 菩提寺は人っ子ひとりおらず、静寂だった。
 墓石に雪が降り積もり、辺り一面真っ白だ。ついさっきまで、鯉登少尉殿が手を貸してくれたからここまで来れたが、一人だと歩きづらくて仕方ない。ひっそりと冷たい空気の中、私は覚束ない足取りで父と妹が眠る名字家の墓へ向かう。
 五年ぶりに訪れたお墓には、こんもりと雪が積もっていたので払ってあげた。バラバラと雪が剥がれ落ち、灰色の墓石が顔を出す。鞄から父の好物だった饅頭を置いて、手を合わせた。久しぶりすぎて、何から報告すれば良いか分からない。
 来るのが遅くなってごめんなさい。親不孝者でごめんなさい。最期に会えなくてごめんなさい。我儘を言ってごめんなさい――。
 思い浮かぶのは謝罪の言葉ばかりだ。日露戦争で従軍看護婦として、お国のために奉公したと報告すれば良いのだろうか? あれだけ看護婦になることを反対していた父上が、そんな報告を聞いて喜ぶだろうか。
 散々悩んだ挙句、結局これといった報告内容が思い浮かばず、腰を上げた。すると後ろの方から、人の気配を感じた。
「…… 名前? 名前なのかい!?」
「今更、何しにここへ来た」
「母上……、大兄上」
 そこには痩せ衰えた母上と、厳しい顔をした大兄上が立っていた。五年ぶりの再会だった。
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