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※この話はPartA〜Cの三部構成の中編です。
※全体を通して御都合主義、糖度も夢要素も低いです。
※インターネットを参照しつつ妄想を織り交ぜて作成してますので、実際と異なる場合があります。
※オリキャラが出ます。


Part A ≫嘘つき

先日梅雨入りした関東に、今日もしとしとと雨が降り注ぐ。天気予報を見ても今週はずっとこの調子らしい。厚い雲に覆われた空を見上げれば、久しく目にしていない太陽が恋しくなる。
鬱々とした曇天より、カラッと晴れてくれた方が清々しい。
喫茶店ポアロにて、僕はコーヒーグラインダーをセットしながらそう思った。

「……最近、来ないねぇ」

時刻は午後六時頃。
梓さんが独り言のようにぽつりと零した言葉が、僕の鼓膜を揺らした。

「どうしたんですか、梓さん?どなたか待ってるんですか?」
「名前さんよ!ここ三カ月近くポアロに来ないなって思って」
「言われてみれば……そうですね」

僕はコーヒー豆をグラインダーに投入した。豆の粗さも、豆を挽く時間もしっかり設定したので、後はダイヤルを回せば自動で挽いてくれる。
その間に僕は、あらかじめ温めておいたドリッパー、サーバーなどの抽出器具などを準備しておく。
氷を用意することも忘れない。

「珍しいと思わない?名前さんは週に必ず一回は来るのに」
「仕事の繁忙期がまだ続いるのかもしれませんよ。ほら、前にいらした時、これから二カ月は忙しくなるって愚痴を零していたじゃないですか」

名前さんは、ポアロの常連客だ。
週に一度、仕事終わりに夕飯を食べに来る。彼女の定番メニューはオムライスと、食後に飲むカプチーノ。

仕事から帰って来て、夕飯の準備をするのが面倒なんだそうだ。家庭を持っていればそうも言ってられないのだろうが、気ままな一人暮らしだから手を抜いてもバチは当たらないだろう、と。
それに、ここで食べればマスターや梓さん、僕もいるし寂しくないから――以前彼女が言っていた。

「あ、確かにそうだった……。何だかこんなに長い期間名前さんが来ないのは初めてだから、寂しくなっちゃったのかも」
「梓さんは名前さんと仲が良いですからね」

彼女達は歳も近いようだし、二人で話していると良く盛り上がったりしていた。

挽きたてのコーヒーをドリップし終え、香ばしい香りがゆらゆらと昇る黒い液体を氷で満たされたグラスに注いだら。
アイスコーヒーの出来上がり。

「梓さん。こちらを三番テーブルにお願いします」
そう彼女に声をかければ、お盆に載せて運んでくれる。

さて。次は、八番テーブルのオーダーに取りかかろう。オーダーは奇しくも名前さんの定番メニューである。
僕は冷蔵庫から卵を三つ取り出し、馴れた手つきでそれを割った。




とある日の昼下がり。今日も相変わらず雨が降っている。梅雨明けはまだ遠いようだ。
カラン、と来店の知らせを告げるベルが鳴った。

「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

僕はいつものように営業スマイルを顔に貼り付けて接客する。来店した壮年の男性は、初めて見る顔だった。

鼠色のスーツを着た地味な雰囲気の男は、ほんのりと汗をかいている。仄かに煙草の臭いもした。

「実は、少々お伺いしたいことがありまして」
「何でしょう?」

男は、おもむろに名刺入れから名刺を取り出して僕と梓さんに渡した。

「私はこういう者です」
「えっ!探偵さん!?」

受け取った名刺には、“私立探偵・鷺宮邦雄”さぎみやくにおと印字されている。この男、同業者か。

黙っている僕とは裏腹に、梓さんは驚いた声を上げた。
二階に探偵事務所を構えている毛利さんや弟子である僕は別として、彼女が日常生活において探偵に出くわすことなんて早々ない。

「……立ち話もなんですし、こちらへどうぞ」
恐らく長引く話だろうと検討付けた僕は鷺宮さんを奥のテーブルに案内し、とりあえずオーダーを取る。彼はアイスコーヒーをひとつ注文した。今日は少し蒸すからアイスコーヒーが良く売れる。
多めに準備しておいて良かった。

「それで、探偵さんがうちに何の御用でしょうか?」
僕はアイスコーヒーを鷺宮さんの前に置くと、そのまま梓さんの隣に座る。
ちなみにランチタイムのピークが落ち着いたため、客は鷺宮さん以外いない。

「彼女のこと、ご存知ですよね」
鷺宮さんは胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「これ……!名前さんよ!ね、安室さん」
見慣れた笑顔の名前さんが友人らしき人物と共に写っている。
「そうですね。彼女はうちの常連さんですが……」
「やはりそうでしたか」

僕達二人の反応を確かめるような視線を送った後、鷺宮さんが神妙な顔をする。
僕はそれを見逃さなかった。

「探偵さんが来るとは何かありそうですね……。彼女に何かあったのですか?」
「実は、彼女――名字名前さんは一カ月近く前から行方不明なんですよ」

鷺宮さんが、抑揚のない声で――それでいてしっかりとした口調で――言葉を発した。
その内容に、隣に座る梓さんから戸惑いの声が漏れる。

「え……?」
「……行方不明、ですか」
「はい。かれこれ一カ月近く音信不通でして。簡単に掻い摘んでお話しさせて頂きますと……依頼人は彼女のご両親です。
一カ月近く前、勤め先から実家に連絡が入り一週間無断欠勤しているが、本人から何か連絡は来ていないかと。そこでご両親も名前さんが行方不明になったことを知りましてね。何度も彼女のスマホに電話をしたんですが、番号は使われていないとアナウンスされるばかりでメールを送っても配信不能で戻って来てしまい、LINEも既読にならず連絡が取れない状態です。
地元の警察署に行方不明者届を出したんですが……事件性がないと判断されてしまって、今でも動いてくれないみたいです。埒が明かないと思った彼らは私に依頼して来た、という訳です」
「言い方は悪いですが、警察は証拠がない話には付き合いません。事件性があるのか、事故なのか、自分の意思で失踪したのか……それによって、一般家出人と特異行方不明者に分け、捜索をするかしないかを検討します。……多くの場合が一般家出人に分類され、積極的な捜索は行われません」

優先順位をつけないと、本来優先すべき捜査の進行が遅れてしまうといったことになりかねない。

「ただ、警察も何もしない訳ではありません。警察本部のデータベースには一般家出人の写真や情報等が登録されるので、全国の拠点で閲覧が可能になる。そこから日々のパトロール、交通取り締まり、閲覧者からの情報提供などによって発見されるケースがあるそうですが」
「……随分と警察について詳しいんですね」

鷺宮さんが訝しむと梓さんがフォローする。
「安室さんもこう見えて探偵なんですよ!鷺宮さんと同じです」
目の前に座っている印象の薄い男が目を丸くする。

きっと、喫茶店のウェイターにしか見えない僕が探偵だとは思いもしなかったのだろう。梓さんがバラしてしまったので、僕は自己紹介をすることにした。

「……申し遅れました。安室透と申します。貴方の……同業者です」
「そ、そうだったんですか!」
鷺宮さんは僕から名刺を受け取り、しげしげと眺める。

「それに、安室さんはあの毛利名探偵のお弟子さんですよ。ね?」
「あ、梓さん……!?」
「どんな難解な事件も解いてしまう“眠りの小五郎”の?」
「ええ!このお店の二階が毛利さんの探偵事務所なんです」

このままでは話が脱線してしまう。
僕は一旦本筋に戻すよう軌道修正をかけることにした。名前さんのことについてまだ詳細を聞いていない。
彼がここに来た経緯も含め、どこまで把握しているのか。

「それよりも、話を元に戻しましょう。鷺宮さんは彼女の足取りを辿ってここにいらしたんですよね?」
「はい。彼女の同僚からこの喫茶店について聞きました。彼女は週に何度かここに行くと聞いたんですが……最後に来たのはいつ頃ですか?」

鷺宮さんはメモ帳とペンを取り出し、聞き込みを開始する。
「ええっと……、名前さんは週に一回は必ず来ていました。一人暮らしだから、夕飯の支度が面倒なので食べて帰る方が楽だからって」
「最後に彼女が来店したのはいつでしたか?」
「三カ月ちょっと前……そうだなあ、三月の下旬でした!その日は三月のわりに暖かかったから」
梓さんが思い出しながら答える。

「その時、何か彼女の様子に変わったこととか……何を話したか覚えてますか?」
「いいえ。いつも通り元気に私とお喋りしてたから、特に思い悩んだりそういった素ぶりはなかったし、空元気……のようにも見えませんでした。
あ、強いて言うなら……これから二カ月間は繁忙期だから、嫌だなあって愚痴を零していたくらい。数日前にも安室さんとその時の話をしていて、繁忙期が伸びてしまっているのかもって。それが……、こんなことになっていたなんて」

隣に座る彼女が迷子の子供のような顔をする。
「……そうですかぁ」
梓さんの回答を聞いて鷺宮さんが深い溜息を吐く。
収穫と言える程の内容ではなかったらしい。

「行き詰まっているのですか?」

僕が鷺宮さんへ声をかけると、彼は苦笑いだけした。
僕は彼にとって同業者もとい――商売敵きになるのだ。
すると梓さんは鷺宮さんの心情を知らないまま、とある提案をして来た。

「安室さん!鷺宮さんと一緒に名前さんを探すのはどう?一人よりも二人で調べた方が作業効率は二倍だし」
名案だと言わんばかりの梓さんに、僕は首を縦に振らなかった。そんな僕の様子を見かねた彼女が、心配いりませんと言う。

「安室さんが名前さんの調査に集中出来るように、私とマスターがお店を回すからシフトのことは気にしないで!」
「いえ、そういう訳ではなくて……」
「……違うの?」
キョトンとした顔をする梓さん。

「名前さんのご両親が鷺宮さんへ依頼した案件ですから、僕が介入するのはいかがなものかと……」
「私としても、誰かと調査出来るのなら心強いです。正直、暗礁に乗り上げてしまったみたいで。依頼料のことを心配しているのなら、大丈夫ですよ。個人事務所なのでそこは融通ききます」

いや、探偵としてのプライドはないのだろうかと問い質したい気持ちになった。

確かに彼の言う通り調査は難航しているようだし、名前さんの足取りを新たに見付けることは出来なさそうだ。そして見るからに頼りない風貌である。

こちらで上手く手綱を握ることが出来るかもしれないと、僕は考え直す。

「解りました。僕も名前さんの安否が心配ですし、このまま見て見ぬ振りは出来ませんしね。それに依頼料は結構です。鷺宮さんの案件ですからそこはしっかり区別してもらわないと」
今回の探偵調査は無給になるがそれで良い。
「安室さん、それじゃあ……!」
梓さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「では……鷺宮さん。貴方が調査して解ったことを僕にも教えていただけますか?」

こうして僕は、ひょんなことから常連客である名前さんの行方を探す手伝いをすることになったのだ。
鷺宮さんは居住まいを正し、今までの聞き込みで得た情報を話してくれた。

「同僚から聞いた繁忙期の時期は、三月下旬から五月中旬の約二カ月――ポアロでの会話と整合性もほぼ取れます。彼女は仕事も順調で、職場やプライベートの人間関係も良好。消費者金融の利用歴もないし、カルト宗教や暴力団との交遊もなし……失踪する理由がありません」
「他人からは順風満帆に見えても本人は違うかもしれない。人には言えない何かで悩んでいたのかもしれないし、本人の知らないところで恨みを買われていた……何てこともあるんです。失踪する理由がないと、断定するには些か早急かと」
「勿論私もそう思っていますよ。あくまでも人間関係や金銭関係ではなかったと言いたいだけです!」

鷺宮さんがムッとした表情で言い返して来たので、僕は軽く受け流す。
「そうですか。彼女の自宅は調べたのですか?何か手掛かりになりそうなものは?」
鷺宮さんは力なく首を振った。
「彼女は都内のワンルームマンションを借りていたんですが、一カ月前に突然解約したそうです。大家さんの元に、マンションの鍵と契約書やら必要書類が送られて来たんです。五月二十六日、彼女の実家付近にある郵便局の消印でした。
書類には彼女の直筆サインが既に記入されており、しっかりと印鑑まで押されていました。急遽実家に戻ることになり、部屋は既に退去済みということ。賃貸契約もまだ残っているので、違約金は後日口座に振り込むから確認しておいてくれと書かれた書類も同封されていました。
後日、違約金が口座に問題なく振り込まれていたから、大家さんも取り立てて違和感を覚えなかったそうです。現在、名前さんが暮らしていた部屋は空き部屋です」
「なるほど。既に退去していましたか……」
「大家さんも、名前さんはてっきり実家に戻っているとばかり思っていたと証言しています。マンションの隣人に聞き込みをしたところ、五月下旬の深夜未明頃彼女の部屋から微かな物音がしたそうです」
「スマホも繋がらないということは、通信機器も解約してるってことだし……。実家にも帰っていないのにマンションも解約するなんて。何か大変なことに巻き込まれていないと良いんだけど」

僕は不安げな梓さんを安心させるように、大丈夫ですよと声をかけると彼女は弱々しく微笑んだ。
「ところで失踪当時の名前さんの足取りはいかがですか?」
彼は慌てたようにメモ帳をパラパラと捲る。あらかた調べてはいるみたいだが、整理が出来ていないようだ。

「同僚の証言だと繁忙期が終わったのは五月中旬頃。一緒に呑みに行って色んな話題を酒の肴にして盛り上がったそうです。その日は金曜日だったから、終電ギリギリまで呑み歩いたと。その後同僚は名前さんと渋谷駅で別れ、以降彼女の足取りは掴めていません。まるで……忽然と消えてしまったかのような、不可解さが拭えません」
「可能なら渋谷駅周辺の防犯カメラ映像を、確認した方が良いかもしれませんね。その同僚の証言だって本当かどうか疑わしいですし……。一カ月前となると、映像が残っているかも解りませんが。
仮に誘拐なら、犯人側から身代金の要求など何かしら事件性を感じるんですが……そういった類いもない。どうも腑に落ちませんね」

カランと、アイスコーヒーの氷がグラスにぶつかった。
いつの間にかグラスの表面には、びっしりと水滴がついていた。

それから僕は鷺宮さんと今後の調査方針について相談した。
ひとまず明日から再調査を開始することに決め、彼はポアロをあとにした。

どうやら、渋谷駅に向かい防犯カメラの映像について確認してみるらしい。
僕はマスターと梓さんに、しばらくポアロを欠勤することを伝え了承を得た。

午後八時。まだ雨は降り続いている。
ポアロの閉店作業を終えた僕は傍にいる梓さんへ車で送ると伝えると、彼女はありがとうとお礼を言った。

雨がポツポツと降る中、二人で傘を差して街中を歩く。白い愛車はここから歩いて五分程の駐車場に停めている。
米花町から杯戸町方面へ車を走らせた。

「梅雨、まだ明けないねぇ。沖縄は梅雨明けしたっていうのに」
梓さんは雨雲に覆われた空に向かって文句をひとつ呟いた。
「例年ですと関東甲信エリアは七月上旬らしいですよ」
「ええー、もう雨は飽きたわ!少しでも良いから、晴れて欲しいのに」
「水不足になるよりはマシじゃないですか」
「まあ、そうなんだけど……」

梓さんも不安なのだろう。
鷺宮さんがポアロをあとにしてから、努めて何事もないように振舞っているのがその証拠である。
自分の知り合いが――名前さんが行方不明になったと聞いたのだ。無理もない。

だから僕も、あの後はいつも通りオーダーからお会計までこなした後、レジ締めと明日の仕込みも滞りなく済ませた。
下手に梓さんの不安感を煽るのは得策ではないからだ。

梓さんと他愛ない会話が弾み――主に梓さんが飼っている猫の大尉のことだが――車内は明るい雰囲気の中、彼女のマンション前に愛車を停めた。

「着きましたよ」
「ありがとうございます!安室さんのおかげで雨に濡れずに助かったわ」

ぺこりと頭を下げてシートベルトを外した梓さんが外に出る。
雨粒が――硬いアスファルトの上に、柔らかな葉っぱに落ち、コンクリートの建物にぶつかって――弾ける音がダイレクトに耳に伝わって来る。

ポアロから出て来た時よりも、雨足が強まっている気がした。
ドアを閉める直前。

「……安室さん」
「はい?」

先程まで楽しそうにお喋りしていたのに。そこには哀しげな彼女がいた。

「名前さんのこと、見付けて下さいね」

今にも泣き出しそうな梓さんが僕の言葉を待っている。
僕は彼女が欲しい言葉を知っているし、その一言さえ言ってしまえば彼女が安心することも解っているのだ。

「出来るところまでやってみます。鷺宮さんとも今後の方針はしっかり話し合いましたし――大丈夫、名前さんは僕が必ず見付け出します。だから、梓さんはあまり思い詰めないで下さいね。ポアロはマスターと梓さんにお任せします」
「……そうね。ポアロは私達に任せて、安室さんは名前さんをお願いね」

僕からの待ち侘びた言葉を聞いた梓さんは、痛ましげに笑った後僕へ手を振ってマンションに入って行った。

「………嘘吐きだな、“安室透”は」

一人きりの愛車の中で。
ぽつりと、零れた言葉に自嘲気味に嗤う。
ポアロのウェイター兼私立探偵である“安室透”は、まるで息をするかのように嘘を吐く男である。
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