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※2020年リヴァイ兵長誕生日

 私の旦那様は、ここ数ヶ月仕事が立て込んでいるようで忙しい。イベント運営会社に勤務しているので、年末にかけて行われる様々なイベント企画、リサーチ、業者や会場手配、当日の運営まで……やることは山積みなんだとか。そのため新婚ほやほや一年目であっても、お互い擦れ違い生活が続いている。
 寂しくないと言ったら嘘になる。リヴァイさんは私が寝ている間に、帰宅して出勤しているのだ。ごくたまに、帰って来ないことがある。どうやら、会社で寝泊まりしているようなのだ。せめて夜は一緒に寝る時間があれば良いのに。仕事だし仕方ない――旦那様の枕を抱えながら、何度独りごちたか分からなかった。二人用のベッドは一人だとあまりに広すぎる。
 寂しさを埋めるには、仕事にのめり込むのが手っ取り早い。タイミング良く、世間は年末調整の時期。会社の年末調整がピークで私もてんてこ舞いの日々を送っている。記入ミスと漏れは当たり前。提出期限後に書類を提出する輩もいて、ほとほと嫌になる。

 忙しいと時間はあっという間に過ぎてしまう。気がつけば、十二月も後半。
 トークアプリに新着アイコンが表示されていた。タップするとリヴァイさんからだった。
『二五日は早く上がるように調整する』
たったそれだけの短くて簡素な文章。だけどそこに込められた、リヴァイさんの気持ちが無性に嬉しかった。すぐさま了解の意を返信した私は、二五日までのタスクを終わらせるべく奮闘する。
 何と言っても、十二月二五日は大切な日だ。その日ばっかりはどうしても定時で上がりたい。腕によりをかけて、美味しい誕生日メニューを作りたい。
リヴァイさんのびっくりした顔が見たいから、本人には言わなかった。日頃の疲れを癒してもらえたら良いな。両手はキーボードを叩き、頭の中は当日の献立を組んでいる。
 そして、待ちに待った当日。私は最速で仕事の山を潰していく。自宅の冷蔵庫には昨夜下拵えした食材が待っていると考えるだけで、いつもなら苛立つことがあっても今日は不思議と気持ちは凪いでしまう。我ながら分かりやすい。
「お先に失礼いたします」
時計の長針が定時を指した。急いで帰り支度をする私を、部長が“もう帰るの?”と言わんばかりに見てくるが無視した。そそくさとオフィスをあとにすると、エレベーターホールでユミルに話しかけられた。
「ナマエ、珍しく今日は早いんだな」
「うん。今日は旦那の誕生日だからね」
「新婚はお熱いねぇ。気をつけて帰れよ」
「ユミル〜! ここにいたのね、探したんだから」
遠くの方からクリスタの声が聞こえたので、ユミルは私そっちのけでさっさと踵を返した。
 オフィスビルを出ると、冷たい空気に全身が強張る。クリスマスに彩られたイルミネーションの中、私は小走りで目的のお店に向かう。街行く人々の足取りも、どこか浮き足立っている気がする。クリスマスに、年越し。年末年始は大きなイベントが目白押しだから、浮き足立つのも無理はないか。

 マリア市街の大通りを曲がった小道に建つ、隠れ家屋的なパテスリー屋。甘いものが得意でないリヴァイさんでも、このパテスリーのケーキだけは格別だと言う。口に入れてもこってりしておらず、しつこくない甘さが良いのだとか。知る人ぞ知るお店なのだが、店内はいつもより賑わっている。どこかから噂を聞いた人も来ているのかもしれない。
 苺のクリスマスショートケーキ。ガトーショコラ。ガレット・デ・ロワ。フルーツタルト。ドゥ・フロマージュ……。ショーケースに並べられた煌びやかなケーキ達は、クリスマス用にデコレーションされている。可愛くて、美味しそうで目移りしてしまう。
「何かお探しですか?」
ショーケースをじっと睨んでいた私を見かねた店員さんが声をかけてきた。
「誕生日ケーキを探しているんですけど、どれも美味しそうで。これと合うケーキがあればと……」
そう言って店員さんに籠の中を見せる。アールグレイとこの店特製オリジナルブレンドティーのセットだ。
「紅茶とのセットでございますね。それでしたら……、こちらの紅茶シフォンクリームケーキはいかがですか? 今月の期間限定なんです」
 店員さんがおすすめしてくれたのは、ふんわりした生地のシンプルなシフォンケーキだった。
「濃く煮出した紅茶を生地に練り込んでおり、甘すぎないさっぱりしたクリームに良く合いますよ」
素材の味を大事にするリヴァイさんにぴったりな気がした。きっと喜んでくれるだろう。緩く微笑むリヴァイさんの姿が容易に想像出来てしまう。あんなに悩んでいたのが嘘みたい。即決だった。
「美味しそう……! これでお願いします。あと、誕生日プレートをつけてくれますか?」
「かしこまりました。お名前はいかがいたしますか?」



 新婚一年目だというのに、妻のナマエには毎日寂しい思いをさせてしまっている。仕事柄、イベント運営という忙しい部類に入る業界なので、残業が多くても仕方ないとナマエも理解しているのだ。彼女から一度も“もっと二人の時間を取って欲しい”などと欲求されたことはない。共働きということもあり、尊重してくれている。俺も仕事に集中出来るから、ありがたい。だが、ここ数ヶ月の間に回ってくる仕事量が半端なかった。会社が儲かるのは大いに結構だと思っていたが、ナマエのとある一言を耳にしてから、ふと疑問に思うようになってしまったのだ。

 その日も帰宅したのが深夜零時半過ぎ。豆電球だけのダイニングはしんと静まり返っている。食卓の上にナマエが用意してくれた夕飯と、“お疲れ様”という手紙があった。時間も時間だからシャワーを浴びてさっさと寝ちまおうと思っていたのだが、気がつけば夕飯をレンジで温めて食っていた。野菜たっぷりのポトフは、疲れた身体に染みた。とても美味くて、妻に感謝した。
 少しだけ仮眠したら、始発で会社に行かねばならない。カラスの行水よろしく手短にシャワーを終えて、身体を引き摺るように寝室に行く。夢の中にいるナマエは、俺の枕を抱いて胎児のように身体を丸めて眠っていた。隣に腰かけ、彼女の髪を梳く。生活リズムが合わないせいで、ナマエの寝顔ばかり見ている気がする。だが、この時間は癒しの時間なのだ。頬をゆるりと撫でると、指先に湿った感触がした。ぽつりと俺の名を呼ぶ、愛しい妻の声が寝室に溶ける。
「リヴァイさん……」
 どんな夢を見ているのか知らないが、彼女は泣きながら寝ていた。泣いてしまうほど、寂しい思いをさせていたのか。もしかしたら、人知れず涙を溢しているのは今夜だけではないかもしれない。俺はそれに気付かず、彼女の気持ちを深く考えなかった。仕事が忙しいという建前を作って、甘えていたことを今更自覚する。
 夫として、不甲斐ねぇな。物分り良く、俺のことを尊重してくれるナマエの本心が垣間見えた気がした。そこに違和感はなかった。そうだよな、そりゃ寂しいよな。結婚して一つ屋根の下で暮らしている夫と、擦れ違い生活を送るなんて結婚前は想像すらしていなかっただろう。
「ごめんな、ナマエ」
小さく丸まるナマエを抱き込むようにして、俺は目を閉じた。

 ようやく抱えている仕事も終わりが見えてきた。十二月はナマエと過ごせる日もあるだろう。寂しい思いをさせた分、思いっ切り甘やかしてやらねぇとな。そう思っていた矢先に、部下のエレンが凡ミスをした。
「リヴァイ部長。申し訳ございません……! しっかり確認するべきでしたが、漏れてました」
「エレンよ……謝る時間があるなら、手を動かせ。早くこの山を片付けるぞ」
結局いつもと変わらず、目まぐるしい日々を送る羽目になり――気がつけば十二月も後半になっていた。
「A社から見積書が届いたので、お時間ある時に確認お願いします」
「ああ、分かった」
 あの凡ミス以来、エレンは何かと俺に最終確認を依頼してくるようになった。少し慎重になりすぎだと思うが、下手にミスを起こされるよりマシである。
「リヴァイ部長、もう定時過ぎましたよ? あとは私がやっておきますから、部長は早く上がってください」
しまった! ペトラに言われて腕時計を確認すれば、既に定時を回っていた。前もって、今日だけは早く上がると部下に伝えておいて良かった。
「お前ら、何か困ったことがあったら連絡しろ」
「もう、部長ったらワーカーホリックにもほどがあります! 大丈夫ですから、早く奥さんの元に行ってください」
「あ、ああ……」
まったく、女の勘はこういう時に限って鋭い。

 ペトラに半ば強引に背中を押され無事退社した俺は、ナマエが好きなケーキ屋に足を運んだ。俺自身、甘いものは好まないのだが、今夜はクリスマスだ。日頃の感謝と共に、寂しい思いをさせて悪かったと謝りたい。店内に足を踏み入れると砂糖の甘ったるい匂いが鼻を掠める。クリスマスということで、多くの客でごった返している。客の間をすり抜けてケースの前に行くと、今夜の主役と言わんばかりに輝くケーキが所狭しと並べられていた。
 ナマエはこの店のフルーツロールケーキが好きだと言っていたが、ケースにはそれらしきものはない。
「フルーツロールケーキはもう売り切れたのか?」
近くにいる店員に声をかけると、彼女は申し訳なさそうな顔をした。
「本日はクリスマス用のみを販売しております。明日以降でしたら、ロールケーキの用意が出来るのですが……誠に申し訳ございません」
「……そうか。それは仕方ないな」
言われてみれば、理にかなっていると思った。改めて見回してみると、ケースに陳列されたケーキはどれもクリスマス一色である。
 さて、困った。せっかくナマエの好きなケーキを買って帰ろうと思っていたのに。他の店にしようかと頭をよぎったが、あいにく俺はケーキ屋に疎い。ナマエをびっくりさせたいから他に美味いケーキ屋について聞けない。ペトラに聞いておけば良かったと後悔した。下手な店のものを買って美味しくなかったらと考えると、この店で買う方が良い気がした。失敗したくない。俺は彼女が喜ぶ顔が見たいのだ。
 どれにしようかと、陳列されたケーキをひとつひとつ眺めていれば、ブッシュ・ド・ノエルが目に入った。ココアクリームの上に枝を模したチョコレート、雪を模した粉砂糖でデコレーションされている。ありきたりな気もするが、ゴテゴテしたものより良いだろう。
「お決まりですか?」
「このケーキを一つ、包んでくれ」
「かしこまりました。お会計は右のカウンターで承りますので、どうぞ列にお並びください」
丁寧に包んでもらったケーキが崩れないよう、慎重に持ち帰る。これを見たら、どんな顔をするだろう? 久しぶりに、寝顔じゃないナマエの顔が見れるのだ。それだけで、年甲斐もなく嬉しくなってしまう。道中、我が家が遠く感じた。

「お帰りなさい、リヴァイさん」
「ただいま」
 美味しそうな匂いと共に、ナマエが出迎えてくれた。嬉しそうな彼女の顔に俺の心が安らぐ。肩の荷が降り、やっと帰って来れた気がした。
「お腹、空いてる?」
「もちろん腹ペコだ」
「丁度ご飯の支度が出来たから、冷めない内に食べよう?」
そう言って、彼女が俺の手を引く。小さい掌はとても温かかった。出来立ての手料理を口にするのも久しぶりである。
 ダイニングテーブルには、前菜のチーズバケット。彩り豊かなサラダ。手巻き寿司。ミートパイに、オニオングラタンスープが並んでいる。手作りのクリスマスディナーは豪華で美味しそうだ。ワイングラスの隣には、白と赤ワインのボトルもちゃんと鎮座している。
「クリスマスだから、一緒に食おうと思って買って来たんだ。いつも寂しい思いばかりさせてごめんな」
箱の蓋を開けると、ブッシュ・ド・ノエルが顔を出す。
「ロールケーキは売ってなかったから、違うものにした。気に入ってくれると良いんだが……」
箱と俺の顔を交互に見やった彼女は、冷蔵庫から箱を取り出して来た。
「今日はリヴァイさんの誕生日だから、ケーキ買って来たんだよ」
 誕生日? 誰の?
「……待て。今、何て言った? この料理もクリスマス用じゃないのか?」
「え? 今日はリヴァイさんのお誕生日だから、サプライズしようと思って」
どうやら、クリスマスは二の次だったようである。ナマエが買って来たのは俺が好きな店のもので、紅茶のシフォンケーキだった。しかも、ミニ紅茶セットも付いている。
「そ、そうか。今日は俺の誕生日だったな……。すっかり忘れていた」
「ふふふ、リヴァイさんらしい」
「ナマエに寂しい思いばかりさせていたから、せめて今日は一緒に過ごしたくて」
「リヴァイさん……。そう思ってくれて、嬉しい……!」
ぎゅっと抱き締めると、抱き返してくれた。ずっとこうしたかった。人の温もりってどうして心地良いのだろうか。
 クリスマスと俺の誕生日。ケーキが二つになった。まさかこうなるとは思わなかったが、今の俺はとても満ち足りている。一生、彼女を幸せにすると再び決意した。
「リヴァイさん、お誕生日おめでとう」
「ありがとうな。ナマエ、愛してる」
「わ、私も愛してます。リヴァイさん」
彼女は頬を染めて嬉しそうにはにかんだ。美味しいワインに、手作りの温かい料理。そして、二つのケーキが食卓を飾る。来年も、再来年も――こうして二人で過ごせたら良い。いつの日か、まだ見ぬ俺とナマエの子供と一緒にこの日が祝えたら――俺は幸せだ。

Ich freue mich, dass Du da bist. 貴方がいてくれて嬉しい
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