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※お題箱リクエスト。
※「悪魔の宴、怪物の成れの果て」(104期人狼パロ)とは別物の人狼パロです。上記物語を読まなくても、全く問題はありません。




昔々――、それはもう遥か昔。名前のない山深い森に人の姿をした狼が隠れ棲んでいました。山の生態系の頂点に君臨する狼は、兎や鹿、鼠などの動物の肉を主食に生きて来ました。
時代が下ると人里離れたこの山にも、人々が住処を求めて移住し始めるようになります。嘗て我が物顔で駆け抜けた広大な森は、人の手によって切り拓かれ、狼の狩猟場が少しずつ消えて行きました。そして人間達は、飛び道具で獣を狩るようになり、狼は食糧の確保に苦心するようになったのです。

ある日、狼は一度だけ人間を喰べたことがありました。今まで口にして来たどの肉よりも柔らかく、頬が蕩けてしまう程甘くて極上の味でした。狼は人間の味を忘れることが出来ませんでした。臭みのある獣肉よりも、新鮮な人間の血、肉と臓物を求めるようになったのです。そして食料を調達するために、山々に点在する小さな村に侵入することにしたのです。
昼間は人の姿で村人と生活を共にし、夜になると獰猛な狼へ変貌して村人を喰らい続けました。狼によって小さな村々は壊滅的な被害を受けました。中には、村人全員が喰い尽くされてしまった村もありました。

狼の襲撃から村を守るために、それぞれの村が結託することになりました。邪悪な狼に対抗するために、日夜知恵を絞ります。しかし、狼を退治するどころか返り討ちに遭ってしまいます。
夜の魔物と呼ばれる狼に心臓をひと突きしようとも、頭に狩猟銃を撃ち込んでも死ぬことはありませんでした。村人達は太刀打ち出来なかったのです。このままでは、全員喰われてしまうと考えた村の長達は、狼払いを呼ぶことにしました。

狼払いと狼は熾烈な戦いを繰り広げました。狼の力はとても強く、専門の狼払いをもってしても退治することが出来ません。狼は頭も良くとても狡猾でした。今までどんな罠が張られていようとも、智略で見破って来ました。しかし、その自信が狼にとって仇となりました。自分の力を過信し過ぎたのです。
驕りは狼に隙を与え、狼払いはその瞬間を見逃しませんでした。
戦いの末、狼を退治することは出来ませんでしたが、『狼の神ダイアウルフ神』として祀ることで邪悪な魔力を封じることに成功したのです。
魔力を奪われた狼は、山奥の祠にある祭壇に縛られてしまいました。漸く村人達は、平穏な生活を取り戻すことが出来たのです。
しかし、ここで黙っている狼ではありません。神として祀られる代わりに、十年に一度生きた人間の血と肉を捧げるよう要求したのです。要求を呑むのなら、二度と村を襲わないという狼からの条件に、村人達も議論を重ねた上で承諾しました。

長い年月を掛けて多くの犠牲を払った戦いに、終止符が打たれたのです。
それ以降、十年に一度だけ村々の中から選ばれた一人の娘が祠の元に向かい、命を捧げる儀式が始まります。生贄に選ばれた年若い娘は、赤い布で出来たずきんを纏うことから、『赤ずきん』と呼ばれるようになりました。『赤ずきん達』の尊い命がに捧げられることで、今日まで村人達は平和を享受することが出来ているのです。

※※※

秋深まる山の中は冷えた空気で満たされていた。一年に一度、山々が銅色や金色、燃える朱色に染まる時期はとうに過ぎ、足元には色褪せた落ち葉が積もっている。あまり葉を付けていない木々が寒そうだった。微かに冬の匂いがした。
私はこれから喰われる。何のために生まれて来たのだろうと、自問することは無駄だったから辞めた。
十年に一度の人身御供で私に白羽の矢が立ったのも、たまたま私が生きている時代に――私の家に『赤ずきん』の順番が回って来ただけなのだ。『赤ずきん』の役割はこの山で生活している村人達で担っている。古くから伝わる伝承は、千年経った今でも色褪せることなく脈々と受け継がれて来た。
村に半永久的な平和を齎す役割を全うした彼女達に倣い、私の身体も同じように狼に砕かれ、血と骨と肉になるのだ。

そのためだけに、今日まで生きて来たようなものだ。『赤ずきん』に選ばれた私に対して、父と母は涙を流した。村の平和と人類が繁栄し続けるために、育てた娘が村の役に立つのなら誉れ高いと口を揃えて言った。気が狂っていると思う。
山奥の祭壇へ出発する朝、山の全ての村人達に見送られた私は、泣き出したくなるのを堪えて歩き出した。
生まれ故郷を出発して一人で山の中を三日間歩いている。血の色を纏ったずきんの長い裾を翻しながら、色褪せた道を進む。
目指す先は山奥の祭壇。誰も足を踏み入れない禁断の場所。一歩。また一歩と踏み出す度に、死に近付く感覚。赤ずきんは人身御供の象徴だ。私が死ぬことに意味がある。少なくとも十年間は、村の災厄は祓われて平和が齎されるのだから。

私は特別でもない、ただの器だ。目の前が涙で滲み、気が狂いそうだ。今からでも遅くない。千年前からのしきたりを未だに踏襲するとは、時代錯誤も甚だしい。人身御供なんて言ってしまえば、村ぐるみの合法的な殺人行為だ。
祭壇に向かったふりをして、このまま下山してしまおう――もう何度同じことを考えたか解らなくなっていた。しかし、十年に一度の『赤ずきん』がやって来なければ、邪悪なダイアウルフ神は村々に襲い掛かると言い伝えがある。祀られた狼に対して、鎮まり給えと手を合わせるのも日課だった。幼かった私が今日まで平和に暮らせたのも、千年に亘る『赤ずきん』の犠牲があってのこと。とてもじゃないが、無責任に逃げ出すなんて出来なかった。
静かな森に、パキッと枝が折れる音。鳥が羽ばたく音に混じって、微かに聴こえる獣のような息遣い。心臓をぎゅうっと鷲掴みされたような感覚に陥って、息をするのも辛かった。まだ祭壇がある場所まで少し距離があるというのに。こんなにも早く私は死ぬのか。

「おおかみ、さま……」

目の前に聳える大岩に、豊かで美しい毛並みの大狼ダイアウルフが威厳を放ったまま佇んでいた。今までこんなに大きな狼を見たことがなかった。グルグルと威嚇され、口元から覗く犬歯は短いものの鋭く尖っている。
どんな獲物でも、いとも簡単に肉を噛み千切ることが出来るだろう。瞳孔が開いた獣特有の瞳に射竦められ、恐怖で腰を抜かした。

「あ、や……、やだ」

死にたくない。痛いのは嫌だ。
その一心で後ずさると、ダイアウルフが大きく跳躍した。どうせ喰われるのなら、寝ている時に喰われたかった。意識がある中、獣の息遣いを聞きながら喰われるのだけは嫌だったのに。私は来るべき死を想像して、恐怖のあまり意識を手放した。




「……ここ、は」

気が付くと、私はベッドに横たわっていた。キョロキョロと辺りを見渡すと、木の温もりに満たされた生活感のあるログハウスだと解った。私以外誰も居らず、静かな空間だった。こぢんまりとした造りだが、天井がぶち抜きなのでとても開放感がある。
一人暮らしには丁度良さそうな広さだ。部屋には暖炉が設置されており、ウッドテーブルにはコップとお皿がそのまま置かれている。ソファには何枚か服が放置されていた。こんな山奥に家があり、人が住んでいるとは知らなかった。

「おっ。目が覚めたか?」

ふいに話しかけられて、私はびっくりした。声がした方へ顔を向ければ、玄関先に一人の青年が立っていた。どうやら、このログハウスの主のようだ。
青年はスタスタとベッド側にやって来た。薄い茶色の髪。切れ長の目尻に、ヘーゼル色をした瞳が特徴的だ。少しだけ人相が悪いものの、悪い人ではなさそうだった。

「ありがとう、ございます。あのっ、狼は……あなたが退治してくれたんですか?」
「……狼?俺があんたを見付けた時は周りに何もいなかったぞ。森の中で倒れてたから、死んでるのかと思って焦ったぜ」

私が意識を失う直前に見た、あの大きな狼。この山の頂点に君臨しているような貫禄があった。遥か遠い昔に、ダイアウルフは絶滅している。あれは迫り来る死に追い込まれた私が見た幻覚、なのだろうか。解らない。だけど、この人が嘘を言うメリットはない。

「そんなことより、これ。お前のだろ?」

手渡されたのは、人身御供の象徴。私はそれを受け取り、ぎゅっと抱き締めた。
そうだ。私はこれから――死ななければならない。こんな所で油を売っている時間はないのだ。忘れていた恐怖が再びやって来る。死にたくない。食べられたくない。でも、『赤ずきん』として、使命を全うしないといけないのに。身体が震えてしまい、視界が滲む。目の前の青年の顔が良く見えない。

「おい、おい!?な、泣くなって」
「ご、ごめ……なさ、」
「あんた、どこの村からやって来たんだ?」
「……ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい」

私は誰に対して謝っているのだろう。涙を零しながら譫言のように謝り続けた。迷惑を掛けたこの人に対してだろうか。私が使命を全うすると信じている村人達に対してだろうか。人間の血肉に飢えている祭壇の主ダイアウルフ神に対してだろうか。
それとも、歴代『赤ずきん』の娘達に対してなのか。グズグズと泣き続け、要領を得ない私に彼は問い質すことはなかった。今の私に問い質したところで、無意味なのは明白だった。

「少し……落ち着いたか?」
「はい……。すみません、取り乱してしまって」

あれから私は泣き続けた。彼は何も言わずに、ホットミルクを淹れてくれた。一口頂くと、冷えた身体にじんわりとした温かさが広がる。少しずつ飲み下せば、精神的に落ち着いたお陰で涙は止まってくれた。

「あんた、名前は?」
「……ナマエと言います。あなたは?」
「俺はジャン。見たところ歳が近そうだし、敬語じゃなくて良い」

素っ気ない言い方だが、嫌な感じはしなかった。初対面の人に、敬語を使わなくて良いと言われたが若干気にしてしまう。

「ジャン君は……この家に一人で暮らしているの?御両親はどちらに?」
「ああ……、親は俺がガキの頃死んだ。それからはずっと、ここで一人暮らしをしている」
「ごめんね……」
「……気にすんな。それより、ナマエはどこからやって来た?」

私は『赤ずきん』のことを伏せて答えた。あの森の中で気を失っていた理由も、適当に誤魔化してしまった。我ながら最低だ。この山はとても大きくて広い。この山にある全ての村を、私は把握している訳ではない。
もしかしたらジャン君は、『赤ずきん』のしきたりを知らない可能性がある。彼を私の村の因習に巻き込みたくなかったから――と言うのは、胸の中で色濃くなった罪悪感を薄めるための言い訳に他ならない。だけどジャン君は、それ以上質問をすることはなかった。

「まぁ、何だ……、落ち着くまでここにいて良い」
「ありがとう……、ごめんなさい」




その後私はジャン君の厚意に甘え、山奥のログハウスで暮らすようになってから一週間と少し経った。
ここの生活は、村での生活とあまり変わらなかった。ログハウスの前には色んな種類の野菜畑が広がっており、ジャン君が一人で切り盛りしていたらしい。
居候である私は、畑仕事と掃除、洗濯を買って出た。ジャン君は初めこそ、気にするなと言ってくれたけれど、流石に何もしない訳にはいかないと私が譲らなかったので、最終的に了承してくれた。
村でも畑仕事をしていたので勝手が解る。ちなみに彼は山に獣を狩りに行っている。
冷たい井戸水を汲み、採れたての野菜に付いた泥を落としていく。

「冷たっ……」

ほぅと、かじかむ手に息を吹きかければ、仄かに白い息が漂った。そろそろ獣達も冬眠に就く頃合いだろう。今日は新鮮な蕪とほうれん草で、煮込み料理でも作ろう。ジャン君が運良く獣を仕留められたなら、豪華な食卓になるなと今晩の献立を考えていた。一週間前まで、死の恐怖に怯えていたのが嘘みたいだった。穏やかな毎日の中で、ついつい『赤ずきん』であることを忘れてしまいそうになる。
それでも、日に日に大きくなる罪悪感に目を瞑りながら、今日も畑仕事に勤しむ。

「ただいま」
「お帰りなさい!わあ、」
「野兎二羽狩れた。今夜は兎鍋にしようぜ」
「じゃあ、収穫した蕪とほうれん草で一緒に煮込もうよ」

ハンチング帽を被るジャン君の腰には、野兎が吊るされていた。野山を駆け回った兎達は、すっかり事切れてだらんと力なく伸びている。ジャン君が山の中の様子を教えてくれた。
獣達の気配は薄く、どうやら大型獣は冬眠に入ってしまったようで、仕留められたのも兎だけだったという。冬の気配が山全体を包み始めている。寒さは日に日に増しているし、その内霜が降り始めるだろう。

「冬も近いし来年の雪解けまで狩りは休みだな」
「……そうだね」
「それじゃあ、飯の準備するか」
「うん」

ジャン君が兎の血抜き作業を始めたので、私は野菜を切ることにした。料理は二人で分担してやることになった。ジャン君曰く、一人で作るよりも二人の方が早いからだそう。今夜のメインは兎と野菜の煮込み料理である。
夕飯をお腹に収めて食休み。残った分は明日の朝ご飯にしようと、取り分けておいた。食後のお茶を淹れてリビングに戻ると、ジャン君の姿がなかった。
お風呂に入ったようでもなさそうだし、どこ行ったのだろう。ギィ、と玄関の扉をあけて外に出れば、夜のひんやりとした空気にぶるりと身を震わせる。
ログハウスの周りには一軒も家がないため、太陽が沈んでしまうと周囲は殆ど真っ暗な状態になってしまうのだ。

「ナマエ、今夜の月はでっかいぞ」
「え?ジャン君……、どこ?」
「ここだ」

どこかからジャン君の声がした。キョロキョロしていると、頭上からひょっこりと彼が顔を覗かせる。
どうやら屋根の上にいたらしい。ホラ、と手を差し出してくれたので、私はその大きな手を掴んだ。

「よっと……、うわっ!」
「だ、大丈夫か!?」

グッと引き上げられて足元がふらついたけど、ジャン君が強く抱き留めてくれる。二人で身を寄せ合えば、冬特有の冷たい空気もあまり気にならない。
視界に広がるのは、何の音もない静寂な山々の光景。太陽の光に反射した青白い光が降り注ぎ、幻想的な世界を醸し出している。
世俗に塗れた人間世界から切り離され、私達二人と満月しか存在しない。夜空へ手を伸ばせば、黄金色の満月に手が届きそうだ。

「ふふふ、手で掴めちゃいそうなくらい大きいね」
「ナマエの手じゃ掴めねぇだろ。月はもっと、ずっと大きい」

何だかジャン君が、生き生きしているように見えてしまう。月明かりを沢山浴びている彼は、とても美しい。研ぎ澄まされた空気には私達の話し声以外、何の音も聞こえなかった。

「……静かだね」
「動物も冬眠中だし、こんな山奥の場所まで人は来ないからな」
「ところで……ここって山のどの辺りなの?」
「ナマエが住んでいた村より山頂側だ。山奥にある変な祭壇の丁度裏側辺り」

変な祭壇。その単語に、私の心臓が嫌な音を立てた。私は狼の生贄として捧げられた供物で、人間世界から爪弾きされた存在だ。ジャン君が村に属さず、両親が亡くなった後も一人きりで生活している理由は解らない。彼が私の事情を尋ねないので、私も敢えて質問しない。
ここ一週間程ジャン君と共に過ごして解ったこと。
彼は良い人であるということだった。言葉は雑だけど、悪気は全くない。そして、解りにくいけれどとても優しいことに気が付いた。私が暗い顔をしないよう、適度に話し掛けてくれる。変に距離を詰められることもなかったから、居心地が良かった。

「ジャン君。ありがとう」
「はあ?どうしたんだよ、急に」
「えっと、何というか……。何も聞かずにここに住まわせて貰ってるから、御礼を言いたくなって」
「別に……。誰だって一つや二つ、言いたくないことだってあるだろ。礼を言われる筋合いはねぇよ」

ふい、と反対側を向いてしまうジャン君。どんな表情をしているのか解らなかった。言葉はぶっきらぼうな癖に、口調には棘が含まれていない。それだけで、彼がどんな顔をしているのか想像出来てしまう。

「素直じゃないなあ」
「う、うるせぇな!一人で暮らすのに飽きてただけで、特に意味はねぇから」

『赤ずきん』なんて、なくなってしまえば良い。村々に悪いことばかりしていた人狼が祀られて千年も経った。誰も幸せになれない古い因習は、廃れて消えてしまうのが一番良い。ジャン君と共に穏やかな瞬間と日常が――ずっと、永遠に続いて欲しい。
私は産まれながら自由なのに。村が存続する限り、因習に囚われ自由が奪われ続ける。歴代の『赤ずきん』だって、死ぬためにこの世に産まれた訳じゃないのに。心の奥で強く願う。隣にいる彼と、ずっと。一瞬。満月の横をキラリと一筋の光が流れて溶けた。

「あ、」
「どうした?」

流れ星だと解った時は、既にそれは夜空から跡形も無く消えていた。生まれて初めて目にした流れ星に、嬉しくてつい興奮してしまう。

「今の流れ星見た!?」
「いや、気付かなかった。何か願い事でもしたか?」
「……秘密。言ったら叶わなくなっちゃうから」
「……何だそれ。そろそろ戻るか、風邪引いちまう」




流れ星を見た夜から一ヶ月半経った。暖炉の中で明るい炎が踊る。パチパチと爆ぜる音が心地良かった。ユラユラと燃える炎を、ぼんやり眺めていても不思議と飽きることはない。
炎を眺めているだけで、安堵感が胸一杯に広がった。とても暖かくて、気が緩めばすぐに微睡んでしまいそう。ソファに横になるジャン君も、例外ではなかった。

「ジャン君。こんな所で寝ていたら風邪引いちゃうよ」

ユサユサと身体を揺すっても起きる気配がない。スヤスヤと寝てしまっている。今夜もまた雪が降り続けているせいで、冷え込みがきつい。
ベッドから厚手の毛布を引っ張り出して、ジャン君に掛けてあげる。私がこのログハウスに身を寄せてから、彼は簡易ベッドで眠るようになった。穏やかな寝顔を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
いつまでもここにいてはいけない。せめて一週間だけ。そう思っていたら――。気が付けば肺を刺すような鋭い冷気と共に、外は銀世界の季節に移り変わっていた。良い加減『赤ずきん』の務めを果たさなければならないというのに、私は未だにここを去ることが出来ない。

結局私は、『赤ずきん』の運命には逆らえない。抗えない。ジャン君と肩を並べて満月を眺めた日。流れ星に強く願ったとしても、今更しきたりを変えることは出来ない。私の願いは――叶わなかった。
『赤ずきん』は救世主だ。狼に喰われることは、村人からしてみれば英雄である。気の遠くなる程長い時間を掛けて出来たしきたりは、村人達の血脈に受け継がれているのだ。
ジャン君は私のことを、根掘り葉掘り質問することもなかった。だから余計に、『赤ずきん』のことを話せないでいる。コート掛けにはジャン君のものと一緒に、深紅の色をしたずきんが掛かっている。
私は極力、それを視界に入れないように過ごしていた。森の中で気を失っていた私を助けてくれたジャン君に、これ以上迷惑は掛けられない。早くここを去って狼に喰われなければ、村に災厄が齎されてしまう。弱虫なのに、一丁前に罪悪感と焦燥感と苛立ちは感じるようで、三つ巴の感情が日毎に大きくなって心を蝕んで行く。頭では解っている。何度も何度も。夜中に抜け出そうと試みたけれど、恐怖で身体が強張ってしまって。今だってそうだ。

「ごめんなさい……、でもやっぱり死にたくないの」
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