姑獲鳥うぶめ産女うぶめとは、赤ん坊を抱いて現れる妖怪のことである。




誰にも言ってはいけない、今見たことは忘れなさい――

**が、**が、私にそう言った。

ああ――またか。(夢を見ている)私は、(夢の中では)子供であるわたしの中でそう思った。私達は身体を共有しているけれど、心が、精神が別々なのだ。
目の前にいる誰かが、わたしにきつく命令する夢を昔から幾度か見る。
その誰かはわたしの目を通して、輪郭は朧気で曖昧であるが、恐ろしい存在だった。
だから、夢を見る度にわたしはいつも泣き乍ら誰かに謝るのだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――**」

木目調の天井が目に入った。
私は天井の木目の模様や形、大きさを暫くの間無意味にぼんやりと眺め乍ら、ついさっき見ていた夢の内容を反芻した。
夢の中の私は、何を見たのか全く検討が付かないが、見てはいけないものを見て怒られたのだと思う。

子供の頃はお転婆だった故、母からはよく怒られた記憶はあるが何か見てはいけないものを見た覚えはないから、あの夢は私の過去の出来事なのか、ただの夢なのか未だに分からない。
何年も前から度々見るその夢の中の私はいつも子供である。加えてここ一年程良く見るようになった。
子供の姿をした私が泣き喚きながら誰かに謝る所で強制的に終わってしまうから、その続きを知らない。
続きがあるのかも分からないから、許して貰えるのかすら分からない。
考えてもどうしようもなくて、私は何だか馬鹿馬鹿しくなって、考えるのを止めた。

視線を窓に移すと、連日降り続いた雨は止み窓に残った水滴に太陽の光が反射している。
私は眩しさに目を瞬かせた後、文机の上にある書きかけの原稿用紙を一瞥してベッドから起き上がった。時計の針は午前十時を指していた。
幾分遅い起床ではあるが、昨日から連載物の原稿を執筆していて筆が乗りに乗ってしまい明け方まで作業を続けていた。

昔から文章を書くことが好きだった私は、二十二歳の時に原稿を出版社に持ち込んでみたのだ。
担当編集者は、脳と記憶の構造をトリックとして盛り込まれている新しいアイデアであるが、結末は好き嫌いが分かれる作品だと評されたものの私の処女作は出版された。
勿論予期した通り読者からも賛否両論だった。
私自身が好き嫌い分かれる作品だと承知している。ほとぼりが冷めやらぬまま、文化新人賞を受賞、そのまま物書きとしてデビューした。この仕事は〆切こそあれど、時間に縛られないから私の性に合っている。
それから三年間、私は小説家として生計を立てている。

うんと伸びをすると関節が鳴った。連日の執筆生活で大分身体が凝っている。
今日は久々に外出予定である。ラジオを聴きながら、朝とも昼ともいえない中途半端な時間に軽食を済まし、さっと身支度をして家を出た。
久々の天気だが空気は連日降った雨の湿り気を帯び、蒸すほど暑くはないが清清しくはなくて私は額の汗をハンカチで拭いた。行き交う人々も汗をかきながら歩いている。
もうそろそろ梅雨も明けよう頃合いか。

私の実家は、雑司が谷にある産婦人科病院を開業している。私が子供の頃は産婦人科の他に内科、外科、小児科もあり、それなりに繁盛していた記憶がある。その後経営が悪化し、現在は産婦人科のみを残して後は全て閉鎖している。

私には姉が二人いる。
長女の涼子は昔から身体が弱いため、次女の梗子きょうこが病院の跡取りとして婿を取ったのが二年前の昭和二十五年である。
私はというと両親は何度か私に縁談を持って来ていたが今はない。
病院の経営は傾いているものの父親である院長の伝で、見合い相手は病院経営者の御曹司が多かった。
私自身、結婚についてあまりピンと来てないし嫁ぐとなると今のように小説を書き続けることは出来なくなるのは明白だった。父親と共に病院経営をしている母親の姿を幼い頃から傍で見て育って来たから物書きを辞めてまで結婚したいという気持ちもなかった。

私の家族はある悩み事を抱えている。
事の発端は昭和二十六年一月九日未明――。
梗子の夫・牧朗まきおが密室から忽然と姿を消してしまったのだ。彼は今日まで行方不明である。
私は実家を出て自活しており、仕事が立て込んでいたため遅めの新年の挨拶であるが一月十一日に実家を訪れた。そのときに涼子から事の顛末を聞いたのだ。

その後梗子は妊娠三箇月だと判明し、赤ん坊が産まれる兆しもなく現在二十箇月も妊娠し続けている。
梗子が床に臥せてから約二箇月後の春に、長年勤めていた使用人夫妻――時蔵、富子夫妻が辞め、看護婦達も次々と辞めてしまった。
牧朗失踪の噂もまことしやかに囁かれ、梗子の長すぎる妊娠話も周囲では誹謗中傷という名の噂で飛び交っている。噂の一部では、牧朗は間男に既に殺されている。
お腹の子は間男との間に出来た子供だから殺された夫の怨念で出産を遅らせているという馬鹿げた噂話もある。
そんな噂もあって、実家の病院は閑古鳥だ。

梗子の希望で牧朗の帰りを待っていたが、待てど暮らせど今でも帰って来る気配はなかった。その内、梗子はこちらが見ているのが痛痛しい程痩せ細ってしまった訳で、私は涼子と相談して、ひとまず牧朗の生死を確認するために榎木津探偵事務所へと向かうことにしたのである。

榎木津礼二郎。
旧華族で榎木津財閥の会長・榎木津幹麿元子爵のご子息である。私は、彼が探偵を始める前にジャズクラブでギター弾きをしていた折に知り合った。
私の顔を見て開口一番、「蛙の顔をした赤ん坊だ」と話し掛けたのだ。
正直、初対面の相手にいう言葉ではない。面喰らったものである。

名家出身で申し分ない肩書きに、おまけに陶器人形ビスクドールのように整った顔立ちである。
眉目秀麗の彼は、男女問わず注目の的だった。
榎木津の肩書きならいくらでも欲しい物は手に入る立場なのに、ギターを弾きながらそんなことどこ吹く風といった感じで暮らしているから私は彼に対して、ちぐはぐな印象と同時に変わった人だと感じた。そう、榎木津は変人なのだ。

中野で古書店を営んでいる主人――中禅寺秋彦から興味深い話を聞いたことがある。
中禅寺は榎木津とは旧知の間柄で、両者の付き合いは旧制高校時代まで遡るのだ。

榎木津はどうやら他人の記憶が視える体質らしい。
彼は元元弱視で、幼い頃からそれは視えていたそうだ。戦時中に照明弾をもろに受けて以降、それは一層よく視えるようになったという。
榎木津には他人の記憶は視えるが感情や気持ちまでは分からない。
榎木津が視ているのは、あくまでも対象者が経験して来た、見てきた記憶を再構成した映像だけであり、そこに感情や気持ちまでは汲めないらしい。
私は、榎木津の特殊体質を気味悪いとは思わなかった。
そして中禅寺は必ず私に、榎木津と関わると物凄く馬鹿になるから止めなさいと忠告するのだ。忠告は頭の隅に置いておき、私は探偵事務所へ遊びに行くことがある。
榎木津がジャズクラブで客達の失せ物の在り処を一発で当てているのを目にしていた。失せ物探しは周りから評判だったから今回の牧朗の生死の確認の依頼に打ってつけだと思ったのだ。
待ち合わせ場所の神田駅へ向かうと私はそこに涼子の姿を認めて小走りして駆け寄った。

「涼子姉様!ごめんなさい、お待たせして」
「良いのよ、名前さん。私もついさっき着いたばかりですから」

涼子は黒紫の小紋に白い日傘を差して、私を見て幽かに笑った。
涼子は線が細く、妹の私から見ても肌の肌理きめが細かく美人である。紅を注していない所為か、着物の黒が映えているからなのか肌の白さがより際立ち、汗などひとつもかいていないからこの場には不釣り合いだ。

まるで、何処か別の場所から涼子だけを切り取ってこの場に貼り付けしたかのような具合である。涼子は生まれたときから身体が弱いので、子供の頃は殆どベッドにいる印象しかない。
私と梗子は至って健康そのものだったから学校での出来事をよく涼子に話していたものだ。
涼子は昔も今も、体調が酷い時は外出もままならない時がある。頻繁に外で会うことが出来ないから、彼女と会うのは私が実家に帰った時位である。

「それでは名前さん。榎木津様の事務所へ案内して戴けるかしら」


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