私は木場刑事が居る新館の一階の部屋まで警官に案内された。扉を開けると中は混乱の色を含んだ声が部屋を満たしていた。

「木場刑事にどうしてもお話ししたいと仰ってるんですが……」

警官が部屋の中へ呼び掛けるとぴたりと声が止み、一斉にこちらへ視線を寄越す。そこには関口と敦子、木場と呼ばれた刑事――赤児失踪事件で事情を聞きに来た刑事だった――そして、若い刑事二人に内藤がいた。

「なまえさん……」

関口がぼつりと呟く。敦子は心配したような表情で私の方へ駆け寄った。

「刑事さんっ!姉様達は何処にいるんですか?母様と父様は?」
「なまえさん、落ち着いて下さい!」

敦子が逸る私を落ち着かせるようにいった。

「母親と父親は相当ショックがデカイらしくてな、別の部屋で休ませてる。妹の方は意識不明の重体で病院に運び込んで今も手術中だろう。終わったら連絡するよう手筈を取っている。姉の方はひとっ言も喋らねえから別室で監視付きで休ませてるよ」

私の勢いに押されてか、目の前にいる木場は少し面喰らったようだ。

「……お話ししなければならないことがあります。中禅寺さんはどちらに……?」

私は一呼吸して気持ちを落ち着かせてから部屋の面々を見渡したが、黒衣の陰陽師はいなかった。

「奴はさっさと雲隠れした。どこへ行ったか俺も判らん」

木場はぶっきらぼうに答えた。

「そういえば以前お前さんに赤児失踪事件の事情を聞いたんだっけな」

だが、私が話したいこととは赤児失踪事件についてではないと答えた。

「牧朗さんの死体のことです」

その場にいる一同が息を呑んだことが判った。一瞬の沈黙の後、敦子が丁度その話題中だったと教えてくれた。

「関口の説明じゃ全然要領を得ねえ。真逆あんたもあの死体が女の腹から生まれて来たとでも言うんじゃないだろうな?」

木場はじりじりと苛立ち始めたようで若い刑事がすかさず木場の煙草に火を付けた。

「え?」

牧朗の死骸が梗子から生まれて来た?私は関口へ振り向いた。鬱気味の小説家は私の訝しげな視線を敏感に感じ取って弁解した。

「ぼ、僕は見たままをいってるんだ。さっきもいった通り、京極堂が呪文を唱え終えると同時に、腹が裂けたんだよ。そして藤牧先輩の死体が生まれて来たんだ!」
「だから、物理的にあり得ねえと言っているだろうが!」
「待って下さい!」

私は関口と木場の間に割って入る。

「あの死骸は元元・・あの場所にあったんです!私は牧朗さんの死体を一年半前に目撃しているんです!」

関口は雷に打たれて衝撃を受けたような顔になり、声を出すことが出来ないようだった。幾分青白い顔をしている敦子が途切れ途切れに、

「牧朗さんは、死んで生まれて来たわけでも――生まれてから死んだわけでも、ないということですか?」と、訊いた。

「おい、どういうことだ!あの死骸があの場所にずっとあっただと?なら、関口が嘘を吐いていることになるじゃねぇか!そもそも何故あんたは一年半前に警察に通報しなかったんだ!」
「関口先生は嘘は吐いていません!私も今まで牧朗さんの死体が見えなかったんですから……何故なら」
「あれは牧朗じゃない!奴は生きているんだ!」

私の言葉の上から内藤が限界だと言わんばかりに発狂し、喚き始めた。見習医師は既に廃人同様の面体である。
木場は訳が判らない状況に我慢出来ずに怒鳴った。

「いい加減にしろ!貴様この期に及んでまだいうか?貴様だって死骸を見ただろうが!」

不意に扉が開いた。

「君達はまだそんなつまらないことを議論しているのか?」

中禅寺は昨晩とは違い、爽然さっぱりした黄八丈きはちじょうの着流し姿で、手には羽織を持っていた。中禅寺の姿を認めた木場は、どこに行っていたんだと詰問する。

「不浄の血を浴びたので一度戻って風呂に入り、少し休んで汚れた着物を洗い張りに出してから、ほら、この出不精でぶしょうな証人を引っ張り出しに行っていたのだ。別に刑事に怒鳴られる筋合いの行いはしていない」

後ろには大正時代の華族が舞踏会にでも行くような格好をした榎木津が立っていた。

「礼二郎か!いずれお前も呼ばなければならんと思っていたんだ」

榎木津は、やあ、とこの場に似つかわしくない気の抜けた挨拶をする。そして中禅寺と榎木津は用意されていた椅子に落ち着いた。

「おい、京極。お前さん今つまらないことといったが、そりゃあどういう意味だ?密室で煙のよう消えて、一年半経って女の腹から死体で現れたとか元元あの場所にあったとか訳の解らねえ前代未聞の怪事件がつまらねえことだとでもいうのか?」

木場は部屋の中をうろうろし乍ら責め立てるよう問い質した。

「旦那まで何をいっているんだ。関口君、君もあれだけ劇的に演出してやったにも拘らず、未だに呪いが解けていないのだな?なまえさんは――」

言葉を一度切ってからちらりと中禅寺は私を見遣ったので私は首を縦に振った。

「解けているのに」
「京極堂、君やなまえさんのいっていることは僕には解らないよ。慥かに君の予言した通りに筋書きは進んでいるが、謎は深まる一方だ」
「何か知ってるならもって回したいい方しねえでさっさといえよ。牧朗はどうやって消え、どこにいて、いつ死んで、死体のままどうやって帰って来たんだ?説明出来るのか?それともこの女の言う通り本当に一年半前からあの部屋で死んで転がっていたとでも?それなら関口は嘘を言ってることになるし、そもそも何故誰も警察に通報しなかったんだ?怨霊だのほむんくるだのの話は御免だぜ」

中禅寺は部屋にいる全員をゆっくり見渡すとあっさりといった。

「消えもしなけりゃ、どこにも行っていないし関口君は嘘も言っていない。今、旦那自身が答えをいったじゃないですか」
「な、なんだって?」

木場は素っ頓狂な声を出した。

「なまえさんがいった通り、藤牧はずうっとあそこで死んでいたんだから」

沈黙の時間はたっぷりあった。

「それは――牧朗さんが失踪当日にあの部屋のあの場所で亡くなって――昨日までずっと放置されていた、という意味なの?」

敦子は驚きを隠さず、兄の言葉を自分なりに咀嚼して発言した。

「ああ、そうだ。なまえさんはあの死骸を一年半前に目撃していると旦那にいったじゃないか」
「そんな、そんな筈はないだろう!あの部屋には大勢が――僕だって入っている!それに榎さんに依頼をした時のなまえさん達から藤牧の死体なんて一言も口にしていなかったぞ」

私は視線を足元に向けているが、関口、木場、敦子が私を見ている視線だけは感じた。

「そのいい方は正確じゃないし、なまえさんはたしかにあの部屋で藤牧の死体を見た目撃者なんだよ。少なくともあの部屋に入ったのは三姉妹と君、そして時蔵夫婦だけだ。院長はたぶん近付きもしなかっただろうし、事務長も精々戸口まで、そこの内藤先生は扉を破っただけで怖くて中なんぞ見ちゃあいないんだ。実をいえば昨日もあんな茶番を行うつもりはなかったんだ。お蔭で梗子さんには気の毒なことをした。あれ程体に負担が掛かっているとは思わなかったんだ」
「兄さん――じゃあ元元どうするつもりだったの?」
「扉を開けて、ほらこれを見ろ、というつもりだったのさ。そうすればたぶんそこの内藤君が逃げ出すだろうから、風鈴を鳴らして警官を呼ぼうと思っていたのだ。ところが予期せぬ衝立が立っていて能く見えない。仕方なく中に導いたが、院長以下薬が効き過ぎてちいとも気づかなかった」
「さっさと衝立をどけりゃあいいじゃねえか」
「それじゃあ関口の呪いが解けない」

木場は額に目一杯皺を寄せて、「意味が解らねえよ」と呟いた。

「久遠寺の姉妹と関口にだけ、あの死骸は見えなかったんだ。それを見えるようにしてやりたかったのさ」

矢張り関口にも見えなかったのか!だが、何故?

「京極堂、それじゃあ君のいっていた結界というのが僕となまえさんに作用していたのか?」

関口の問に中禅寺は片眉を吊り上げてあっさりと答えた。

「僕のいった結界とは衝立のことだよ。単に衝立があるから面倒だ、といったのだ」
「そんな――僕が最初に入ったときは衝立などなかったぞ!しかし死体もなかった!」
「あったじゃないか」

榎木津がいった。木場が訊き返す。

「あったのか?」
「牧朗さんは死んだまま梗子姉様から生まれて来たわけでも生まれてから死んだわけでもありません。一年半前からずっとあの場所で死んでいるんです」

私は何度目かの同じ台詞を、声を絞り出すようにいう。同時に牧朗の死体を目撃した光景を頭の中で思い出す。

「関口君。君はたしかに死骸を見ているんだよ。知覚しなかっただけだ」

関口はガツンと頭を殴られたかのようにショックを受けて、あまりにも常軌を逸した答えに大きく目と口を開いたまま硬直した。

「つまり、関口先生は牧朗さんの死骸を見ていたけど認識していなかったということですか!?」

私は思わず声を上げてしまった。見ていたけど認識しなかったなんて、そんなことが有り得るのだろうか。関口と同じように、私も牧朗の死骸を見ることが出来なかったが信じられない。

昨夜から処理し切れない程目まぐるしい情報が脳に入って来て既に現実感が乏しくなっている。現実と非現実が混在してちぐはぐしているのだ。
私は既に昨夜の出来事ですら遠い昔のことのように感じてしまっていた。

「君の、この建物に対する描写は、微に入り賽を穿ち、実に詳しかった。僕は君の話してを聞くだけで明確に建物の有様を脳裏に再構成することが出来た。実際に訪れてその正確さに驚いたくらいだ。だがただ一箇所、どうしても不明確な部分があった。書庫の床だ。扉、壁や書架、天井、脚立に机、ベッドとサイドボード、十字型の蛍光灯――いずれも明快だ。ただ床だけは漠然としていて、君の言葉からは全く掴めなかった。広い部屋に入って床が視野に入らないことはあり得ない。ならば意識、無意識に拘らず、君は見ているのに語らなかったことになる。これは変だと思って考えた。そしてたった一言、君が床について語った件を思い出した。君は果物ナイフのようなものが光ったといっていたじゃないか。そんなものが落ちている訳はないんだ。それは藤牧の脇腹に突き刺さっていたナイフだよ」
「エ、榎さん、じゃああのとき――」

関口は漸く口が動かせるようになったらしい。

「ふん。扉を開けたら死骸がある。探すも蜂の頭もあったもんじゃない。よもや君に見えないなぞと思わないからね」

――敦ちゃんは絶対にあの部屋に入ってはいけない。すぐに警察を呼ぶのがいい。

「榎木津さん!それじゃあ、あのときは――」
「そうそう、敦ちゃんが僕を呼んだ声は僕には全然聞こえなかった。しかし不思議と蝉の声や風の音だけは聞こえていたんだ。耳は閉じることが出来ないのに、僕には敦ちゃんの声だけが聞こえなかった。だったら、目を開けていても死骸だけ見えないなんてこともあるな、と思った訳だよ」

私は漸くあのときの榎木津の不可解な行動の理由が判った。

「そんなことが――あるものでしょうか」

こけしに似た若い刑事が困惑の色を隠さずにいった。

「そうあるもんじゃないが、あり得ることではある。関口君なら解るかだろうが、我我が今見て、聞いて、体感しているこの現実は現実そのものではない。脳がその裁量によって選択した情報で再構成されたものだ。従って部分的に選択されなかった要素がある場合、当人には全く知覚出来ない。記憶は持っていても、意識の舞台に上って来ないのだから」
「ああ――僕らが見聞きしているのは凡て仮想現実なのだね。それが真に現実かどうかは本人には区別がつかないのだったね」

中禅寺と関口の言葉を静かに聞いて、私が何故牧朗の死体が見えなかった理由が何となく検討がついた。
一月十一日。
記憶を失っていた私は涼子から牧朗が行方不明・・・・になったという情報を聞かされて脳が新しくその情報を上塗りしたのだ。私は一年半の間、牧朗が行方不明の世界の中で生きていたということだ。

「脳の損傷は例えば人の顔だけが識別出来なくなるとか、数字の五という概念だけが欠落するとか、実に興味深い症例を示してくれる。我我は現実に生きているかのごとき錯覚を以て、実際は脳の中だけで暮らしているようなものだ。今回の事件をややこしくした原因は、同じように死体が見えない人間が複数いたところにある。更にその中の一人が部外者――関口巽だったから余計だ。誰か一人なら、単に気がれたということで片付けられてしまう、つまらない事件だったろう」
「使用人夫婦はどうなんだ?お前さんの話だと部屋に入ったようにいっていたが」
「当然見えていたろうさ。だからその異常さに耐え切れなくなって辞めて行ったのだろう。梗子さんの寝ていたベッドを書庫に搬入したのはあの夫婦の筈だ。亭主の死骸の脇に自分のベッドを設えるなど、常人の感覚を以てすれば異常を通り越して狂気だ」
「破格の口止め料はそのためか?」
「口止め料ではなかったと思うよ。支払った事務長自身はこの状況は知らなかったんだから。あの夫婦は先先代からの恩義に報いるべく、忠誠心で口を閉ざしているだけだと思う。もし事務長に口止めする意思があったとすれば、それは別件ですよ」
「何だ?赤児事件か?」
「後で本人に訊けばいい」

木場はふん、と鼻を鳴らした。

「――まあな、しかし俺はまだ釈然としねえ。そんな非常識なことが起こりえるとしてもだ。何故涼子、梗子、なまえ姉妹とこの間抜け文士にそれは起こったんだ?それに一年半も放置された死骸が生きてるみてえに瑞々しかったのは何故だ?それから――そもそも梗子の腹に宿っていたのは、いったい何なんだ?」

木場は釈然としない理由を凡て挙げ切ると敦子も頷いた。

「そうよ。あれが普通の妊娠である訳はないわ」

中禅寺は煩わしそうに顔を顰めてから、髪の毛を掻き回した。

「全体像が理解出来ていればそんなことはどうでもいいことじゃないか。瑣末は部分に拘って、いちいち解説を加えていたら何日あっても終わらないよ。僕は評論家でも論説委員でもない」
「その全体像が解らねえんだよ。おい本屋。梗子は何を孕んでいたんだ?どうして裂けちまったんだ?」

木場の一言で中禅寺は一同を見渡し、眉を顰める。

「おい、君達は何故そんなにあり得ない方向にばかり考えを進めるんだ?あれは想像妊娠に決まってるじゃないか!幾ら出産が遅れたって、人間の胎盤はそんなに長持ちしやしない。胎盤が壊死すれば胎児は死ぬし、そうすれば母体も無事な訳ない。二十箇月も妊娠し続けるなんて、狂言か、別の病気か、然もなけりゃあ想像妊娠に決まっている。腹が裂けたのは彼女が正気に戻ったからさ」

想像妊娠。つまり、梗子のお腹には何も詰まっていなかったのだ。

「後悔と希望が充満していたのさ。それから藤牧の果たせなかった夢もね」

中禅寺の言葉が儚げな印象を醸し出した。

「京極堂、君は――僕が最初にこの話をしたとき、既にそう考えていたのだね」

中禅寺曰く想像妊娠か妄想妊娠か判断が付かなかったらしい。関口は一人で納得したが、私を含めて木場も敦子もその違いが良く判らない。関口は木場に質問をぶつけられたので、想像妊娠と妊娠妄想の違いを簡単に説明する。
しかし木場はピンと来ていない様子なので中禅寺が補足した。

「妊娠妄想で芽生えた体内の他者は厳密にいうと赤ん坊である必要はない。救世主だったり水子や先祖だったりするケエスもある。だから原因としての性交渉は必要ないし、体に現れる兆候も妊娠のそれとは微妙に違う。この場合の特徴は、体内の他者が頻繁に宿主に語りかけたり命令したりし始めることだ。これはどちらかというと憑物に違い。
憑物の場合は、外からやって来たモノ、つまり他者が取り憑いて自分に成り代わってしまう訳だが、これは完全に人格が入れ替わってしまうタイプ、つまり本来の人格の意識が完全に途切れてしまう継時性の憑依と、取り憑かれている間も自分が残っている同時性の憑依との二つに大別出来る。後者の場合、自分は誰かに乗っ取られている、操られていると感じる訳だ。妊娠妄想はこれに一脈通じるものがある。
ただ外から取り憑いたか、中から芽生えたかの差があるだけだ。この場合は想像妊娠より始末が悪い。ときには憑物落としが必要な場合もある。特にこの家には憑物筋の噂もあったし――梗子さんと藤牧の間には、想像妊娠の絶対条件である性交渉が全くなかっただろうから、余計に懸念を持ったのだ」
「でも父は当時妊娠三箇月だと診断しています。想像妊娠と本来の妊娠は見分けることは出来ないのですか?」

私の問いに、木場が「まあ、藪だったってことだな」と答えた。中禅寺は淡々と続ける。

「だが本人と話してみると、どうも妊娠妄想ではないようだ。そこで極めて特殊な想像妊娠だと判断したのだ」
「想像するだけで、人間の体はそんな風に変化してしまうものなんですか?」

若い刑事がいった。

「想像妊娠は本人が妊娠していると脳が強く思い込むことで本当に妊娠したような兆候が体に出るんだよ。例えば倦怠感や眠気、悪阻など一般的な妊娠初期症状だ。
まあ“想像”というのは表現的には適切ではないかもしれない。これも一種の仮想現実なんだ。脳が嘘の信号を流してしまう訳だ。まあ原因が強い願望である場合が多いから想像妊娠と呼んでいるが、想像しただけでは起こらない。それに――梗子さんの場合はかなり異例だ。彼女は出産という結末を除外した妊娠、つまり、妊娠し続けることを望んでいたのだ。
だから結果的には体が保たなくなってしまった。僕の与えた刺激にあれ程反応するなんて――限界だったのだろう。念のため救護班を頼んでおいて正解だったよ」

中禅寺は少し暗い目をした。
仮想現実。今回の事件のキーワードである。

「刺激って――兄さん何をしたの?」
「逆行催眠に近い状況を作り、記憶を過去に飛ばしたのだ。想像妊娠のややこしいところは心――意志や魂と呼んでもいいが、その心の方が無意識に強い願望を持ち、脳がそれを受けて心を騙す、という狂言詐欺みたいな二重構造にある。騙しは完全であればある程心は満足する。当然脳は嘘だと知っている。だから脳が隠し持っているそれは嘘なんだという証拠を意識の舞台に引っ張りあげることが唯一の解決策だ。それで心は欺瞞に気づく」

つまり、自分自身を騙す必要がなくなるから体も元通りになるのだ。
大概は十月十日とつきとおか経っても生まれないので嫌でもそれを知る訳だが、梗子の場合は違ったのだ。中禅寺は、これが異例足らしめている理由だと結論付けているようだ。

「彼女は常識の許す限り永遠に妊娠し続けたかったのだ。尤も途中で常識を見失ってしまったのだがね。しかし、幸い彼女の場合は契機きっかけとなった日が瞭然はっきりしている。意識をそこまで遡行そこうさせればおのずと知れると考えたのだ」

永遠に妊娠し続けることを梗子は望んでいたという事実に、私は何も言えなかった。その事実には、梗子の強い後悔が詰まっているように思えてならなかった。


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