2人のアッカーマンさん

――今日は良く頑張ったな。

今、リヴァイさんは何て言った?
え、『良く頑張った』って……弱音吐きまくった私を労ってくれたの?

不意打ち過ぎて私は一瞬固まってしまった。
私が目をパチクリしているのを見たリヴァイさんが、不審そうに眉根を寄せる。

「……何だ、どうした?まだトレーニングが足らないのか?追加料金を払えば、次の予約者の時間までオレは付き合ってやっても――」
「はっ!?いや、トレーニングは充分でございます!何でもないです!」

もう身体中ヘトヘトだし、何よりこれ以上やったら腕がもげてしまいそうだ。息も絶え絶えなのに、まだ続けてトレーニングをするという選択肢は――残念ながら――今の私にはこれっぽっちもない。
それに、さりげなく追加料金って言ったような気がする。気のせいか?
もしかしたら追加料金払ってでも、リヴァイさんとトレーニングを続けたい会員がいるのかもしれない。

「今日はありがとうございました。来週の水曜日、またお願いします……」
「……そうか」

あれ、リヴァイさんちょっと残念がっているように見えなくも……ない。トレーニングルームを出てから私は替えの下着を手に取り、シャワールームに向かった。
人一人分のシャワースペースには備え付けのボディソープとシャンプーがあったので、今日はそれを使うことにした。
次回は自分の物を持って来よう。

「はぁ……生き返る……」

シャワーヘッドから流れて来る心地良い温度のお湯に打たれながら、私はやっと人心地着くことが出来た。ふと、つい先ほどのリヴァイさんの言葉が頭の中で蘇る。

聞き間違いだよね?あの強面で威圧感しかない(ここ、超重要!)リヴァイさんが、甘ったれた私にあんな言葉を掛けてくれたなんて。

「いやいや、まさかね……」

だって直前までお互い睨み合った仲だし。あまりにもハードなトレーニングだったから、疲れてしまって幻聴でも聞いたのだろうと私はそう思うことにした。兎に角、大見得切ってしまった手前、もう泣き言を言うことは許されない。
リヴァイさんから、『口だけは達者だな、豚野郎』とか『結局最後まで甘ったれなグズ野郎』とか何とか言われてしまったら……。
想像しただけでムカッ腹が立った。このジムに高いお金を払って入会したのも、健康的に痩せて元彼をあっと驚かせてやることを忘れてはいけない。シャワーを浴びて身体をさっぱりさせ、ドライヤーで髪を乾かして帰り支度をした。

ロッカールームを出ると、受付にいるミカサちゃんの姿を見つけたので声を掛けてみた。

「お仕事お疲れ様、ミカサちゃん」
「……ナマエさん!今日が初めてのトレーニングだと聞いた。どうでしたか」
「ミカサちゃんの言う通り、とてもキツかったよ。もう既に身体が重いし……リヴァイさんはとてもストイックなんだね。弱音を吐いた私が悪いんだけど、初っ端から怒られちゃった」
「………あのチビ……」

“リヴァイさん”という単語が出て来てから、ミカサちゃんの取り巻く落ち着いた雰囲気にピシリと――嫌な亀裂が入った音が聞こえた気がした。
彼女の周りを不穏な空気が重々しく包み込む。
私は何か地雷でも踏んでしまったのだろうか?

「ミ、ミカサちゃん……?」
「……ナマエさん。今度あのチビに何か言われたら私に言って。絶対」

何で彼女がリヴァイさんを目の敵にしているのか、私には全く解らなかった。翌日の日曜日。案の定腹筋周りは痛くて――上半身は筋肉痛になってしまった。ベッドから起き上がる時も、何かする度に身体が悲鳴を上げるが下半身じゃない分まだマシだろう。
ただ、デスクワークのせいで凝り固まっていた肩周りは楽だった。

この日は昨日作ってタッパーに保存していた食材をアレンジし、簡単な魚の蒸し料理を作った。残った和え物は明日のお弁当に詰めることにする。
ライナーさんからの食事フィードバックは『栄養バランスが取れていて良い』とお褒めのコメントが届いた。

「やった、嬉しい!」

あんなに自炊を面倒だと思っていたのに、意外と楽しんでいることに気付いた。
何をしても身体がピキピキと痛んで大変だったが、何とか上半身の筋肉痛が治った水曜日。
営業から新たな受注を貰い、プロジェクトメンバーでシステム納品までの作業担当を割り振った。
今回は鬼畜な納期ではないので、比較的心穏やかに業務に取り組めそうだ。時計の針が定時を指したので、私は本日2回目のトレーニングを受けるため会社を退社した。
ジムに到着するとミカサちゃんが体験者らしき人を対応していたので、声を掛けることはやめた。

「ナマエさんこんばんは。今日は2回目のトレーニングですけど、筋肉痛は大丈夫ですか?」

受付にいるエレン君から声を掛けられる。

「何とか治ったんですけど、慣れるまでは筋肉痛祭りになりそうです」
「あはは、筋肉痛祭りですか!痩せるには筋肉がないと始まりませんからね。筋肉を強化すればナマエさんも絶対痩せますよ」
「そのために頑張らなきゃ!あ、エレン君はここのジム勤務は長いんですか?」
「まだ4ヶ月目で、実はミカサと同期なんです。まあ、アイツの方が若干先に勤務してましたけど」
「そうなんですね、じゃあ研修期間中?」
「そんなところです。つい最近、リヴァイトレーナー長のアシスタントを始めたばかりですよ」

屈託のない笑顔で答えるエレン君。
あの厳しいリヴァイさんの元でアシスタントなんて、色々と大変なんだろうなぁと私は思ってしまった。

トレーナー長あの人は口調は厳しいかもしれませんが、本音でぶつかって来てくれる。嘘偽りなく、良いと思ったら褒めてくれるし駄目なら駄目と言ってくれるんです。会員やオレ達スタッフ一人ひとりのこともしっかり考えてくれるし」

エレン君の顔に憧れと尊敬が混じった。

「……良く見てるんですね、リヴァイさんのこと」
「トレーナー長はオレの憧れの先輩ですからね!それじゃあ、今日もトレーニング頑張って脂肪をどんどん駆逐して行きましょう!」

「今日は下半身の筋トレを行う。主にスクワットをメインに最後は腹筋だ。今日も45分間だ」

今日も相変わらず鋭い眼光のリヴァイさんだ。

「よろしくお願いします」

ということで、簡単なストレッチで身体の筋肉を(……どちらかというと脂肪の方が多いが)ほぐしてからトレーニングが始まった。
まずはバーベルを肩に背負ってスクワットを1セット10回を3回行う。両肩にバーベルの重さが加わってしんどかった。次に両足を左右、前後に開いてスクワットなど――たかがスクワット、されどスクワットだ――結構太腿に負担が掛かって来る動作を何度も何度も繰り返す。

「腰を落とした時に膝が床に付かないよう……動作は一定のスピードで。……待て、少し早過ぎだ。もう少し落とせ」
「ハイッ」
「そう、その調子だ」
「……ハイッ!」

私は弱音を吐き出さずに耐えた。
大量の汗が全身から噴き出している気がする。もう無理だとか、しんどいとか――弱音を吐き出したくなる度に、私は先程のエレン君の言葉を思い出して思い留まる。
先日のリヴァイさんが私に本音でぶつかって来てくれたのなら、私も本気で取り組まないといけない。
全ては元彼を見返すために痩せるのだ。絶対に見返してやる。
トレーニングは身体を鍛えることにフォーカスしがちだけど、ひょっとしたら自分のメンタルも鍛えられるのかもしれない。

リヴァイさんから地獄のようなトレーニングが終わったと告げられて、私は荒い息をしながら床にへたり込んだ。明日は太腿部分の筋肉が悲鳴を上げるに違いない。

「今日は弱音を吐かなかったな」
「……もしかして弱音を吐いた方が……、良かったですか?」
「いや、そう言う訳じゃねぇんだが」

リヴァイさんから瞬時に否定の言葉が出て来た。

ああ……しまった!凄く嫌味ったらしいことを言ってしまった自分をぶん殴りたい。何故かリヴァイさんの口調はそう言う気持ち・・・・・・・にさせてしまうようだ。

「ごめんなさい、喧嘩腰で失礼しました……」
「構わねぇよ。オレの話し方は真意が解りにくいと良く言われるし、反感を買われるのは慣れている」
「……それはミカサちゃんのことですか?」
「何でアイツが出て来るんだ」

リヴァイさんの顔に“意味が解らない”と書いてある。

「えっと、この間“リヴァイさん”っていう単語が出て来たら珍しく機嫌が悪くなったようで、何か言われたら絶対に教えろって念押しされました。だから、何かあったのかなって思って……」

私がそう言うとリヴァイさんは深い溜息を吐き、小さく悪態を付いた。

「あの根暗野郎はオレの従妹だ」
「は……?」

私は間抜けな声を出してしまった。

「リヴァイさんとミカサちゃんは……、従兄妹……?」
「ああ、そう言えば……オレの苗字を言ってなかったか。リヴァイ・アッカーマンだ」

リヴァイさんはあっけらかんな様子で、遅過ぎる自己紹介をした。

「アイツは昔からオレのことが気に食わないだけだ。オレは目つきも悪いし口も悪いから何かと誤解されやすい。不良共に喧嘩売られれば買って、問題を起こしてたからアイツには色々と迷惑も掛けちまった」

何の前触れもなく突然明かされるリヴァイさんの過去内容に、私は納得してしまった。

「リヴァイさん……喧嘩強そうに見えます」
「自分から喧嘩は売らねぇ。だが、今思い返せばどうしようもねぇクズ野郎だ。売られた喧嘩を買わなきゃ良かっただけだからな」

自嘲気味に話すリヴァイさんは、トレーニングで使ったバーベルなどの機材を片付け始める。

「オレには自覚はないが……ミカサ曰く、自分のお気に入りはオレが掻っ攫うんだそうだ。オレに食って掛かるのも、お気に入りのエレンやお前を取られるのが嫌なんだろう……」

落ち着いた大人のような雰囲気のミカサちゃんの子供っぽい一面。身体を鍛えるのが好きだと言ったミカサちゃんに、このジムを紹介したのは他でもないリヴァイさんだそうだ。

「職場では公私混同するなと言っているんだが……」

リヴァイさんはミカサちゃんに頭を悩ませている。何だかその様子が、娘との距離感に悩まされる父親のように見えて――微笑ましかった。
それにしても、今日はリヴァイさんの意外な一面を知ってしまった。

「リヴァイさんって……結構喋るんですね」
「バカ言え、オレは元々結構喋る」

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