彼と彼女の物語

リヴァイさんの言葉が、じんわりと胸の中に温かく広がっていく感覚が心地良かった。
多分私は、無意識に元彼へ期待していたのかもしれない。結局、私達は既に終わっていたのだ。そのことに気付かずに今日、のこのことやって来た私はやっぱり馬鹿だった思う。

洗いざらい全て涙で流してしまおう。今日思いっ切り泣いてスッキリしてしまおう。
私はリヴァイさんの目の前で、年甲斐もなく泣いた。彼は何も言わずに、そばにいてくれた。何かを語ることも諭すこともなく、ただ――見守ってくれた。それだけで、私の気持ちは随分と救われたような気がする。

「……落ち着いたか?」

どれくらい泣いていたのか解らないけど、涙が漸く枯れた頃。リヴァイさんが静かに声を掛けてくれた。涙に塗れてグズグズの私は、鼻を啜りながら頷いた。
鏡で確認しなくても、私の顔はきっと酷い有り様だろう。ここまで号泣したら、今更化粧崩れを気にしたところで後の祭りだ。

「はい、すみません……取り乱しました」
「さっきから謝ってばっかだな」
「……すみません」

再び訪れる沈黙。やはり今日は何をやってもとことん裏目に出るらしい。せっかくリヴァイさんが気を遣ってくれたのに。余りにも無神経な自分を殴りたくなった。一人で勝手に自己嫌悪に陥っている傍らで、リヴァイさんがポツリと言った。

「……そろそろ帰るか。駅まで送る」
「……ありがとうございます」

気が付けば、原っぱで遊んでいる子供達も家路に着こうとしていた。

マリア駅へ戻る道すがら、私達の間に会話はなかった。こうして彼と肩を並べて街を歩くのは初めてだなと、頭の中でぼんやりと考える。まるで現実逃避をしている心地だった。

「あの、リヴァイさん。もしかして今日はお休み……だったんですか?」
「ああ。今日は休みだ」

あっけらかんと答えるリヴァイさんに、私は申し訳なさで再び頭がいっぱいになる。
嗚呼、やっぱり。せっかくの休日なのに、あんな個人的なことに巻き込ませてしまった。私が謝ろうとすると、先回りされる。

「気にするなと言っているだろう」
「何か……埋め合わせをさせて下さい!」
「……埋め合わせだと?」

訝しげな表情でこちらを見て来るリヴァイさん。
本人にはそのつもりがなくても、相変わらず威圧感満載だ。知らない人が見たら、彼の強面にビビってしまうだろう。私だって今は慣れてしまったが、初めて会った時は結構怖かった。

「はい。せっかくの休日を潰してしまったお詫びに――」

ゴソゴソと鞄の中を漁って、お目当ての物を取り出した。

「あの、これ。今日迷惑を掛けてしまったので」
「何だこれは。ライブチケットか?」
「はい。友人のバンドライブのチケットです。一緒に行く子が来れなくなってしまって。リヴァイさん、昔はバンドやってたって言ってたから……、どうかなと思いまして」
「いや、結構だ」
「――っ、そうですよね!すみません。あ……、」

無意識にまた謝っていた。
もう今日は何もしないで大人しくした方が良い。何をしても裏目に出てしまう。遣る瀬なくて、ツンと鼻の奥が痺れた。せっかく泣き止んだのに、また泣きそうだ。涙を見せたくなくて、誤魔化すように私はふいっとそっぽを向いた。

「違う。そういう意味じゃねぇよ」
「あ……」
「何度も言っておくが、俺は迷惑掛けられたと思ってない」

ぽかんとしている私をよそに、チケットを1枚取るリヴァイさん。

「1枚余っちまってるんだろ?丁度その日は仕事が早番だしな。それで、待ち合わせはどうするんだ?」

自惚れかもしれない。もしかしたら、私が変に気を遣わないように接してくれているのだろうか。
リヴァイさんの何気ない気遣いが温かくて、別の意味で泣きたくなる。再び溢れそうになる涙を堪えるように、私は一呼吸した。

「それなら、6時半にトロスト区駅前に待ち合わせでどうですか?」
「問題ない」

幸いライブは来週土曜日の午後8時からなので、リヴァイさんも仕事の後でも間に合うとのことだった。
私は仕事が休みなので、幾らでも時間の調整が出来る。待ち合わせ前に、アニ達への差し入れを買っておかなくては。

その後、正直どうやって家に帰って来れたのか記憶が曖昧である。完全に断られると思っていたので、フワフワと浮ついた気持ちのまま私はベッドに倒れ込んだ。今日は、本当に疲れた。

「……色んなことがあって頭パンクしそう」

LINEの画面をぼんやりと眺める。元彼からメッセージが何件か入っていたが、どうも確認する気分にはなれない。新規友達追加欄には、リヴァイ・アッカーマンの文字が表示されている。

タップすれば新規トーク画面が開く。今日の御礼を送ろうとしたが、指が動かない。私が謝罪する度に、彼は気にしていないと何度も言っていたから。
流石にしつこいと思われそうで、日和ってしまう。ベッドに寝転がり1人で悶々としながら、気が付けばいつの間にか睡魔に呑み込まれていた。




ライブ当日。私はリヴァイさんとの待ち合わせ前に、アニとバンドメンバーへの差し入れを買うことにした。
結局ありきたりではあるが、ミネラルウォーターにした。アニに電話で、差し入れは何が良いか聞いたところ、何を貰っても嬉しいがライブ後は喉が乾くから水が良いと言っていたからだ。

ヒッチが仕事の都合で来れなくなったことは、あらかじめ本人から聞いていたようだ。電話口のアニは、いつもみたいに素っ気ない口調で「仕事じゃ仕方ない。また次回やる時に来て貰えれば良い」と言っていた。お祝いは別途設けることになった。

4人分のペットボトルを買い、トロスト区駅まで歩く。物販で何か買う時に渡せば良い。ライブ公演前後は忙しいだろう。何と言っても、今日はアニ達がインディーズデビューしてから初のライブである。きっと緊張している筈だから、極力邪魔はしたくなかった。

「悪い、待たせた」
「お仕事お疲れ様です」

土曜夕方6時半の駅前は沢山の人で混んでいた。丁度呑みの時間ということもあり、飲食店のキャッチもウロウロしている。夜はまだ始まったばかりだ。
人でごった返す中、リヴァイさんは少し急いで来た様子でやって来た。
今日も仕事が忙しかったのだろう。リヴァイさんは人気インストラクターである。彼の人気のエグさは私も良く解っている。
以前、黄色い声を出していた女性会員達から、冷たい視線を浴びせられたことを思い出す。今、こんな場面を彼女達に見られたら――。思わず身震いする。

止めよう。そんな怖いことを考えるのは。何も悪いことはしていない。そもそも、これはデートと言えるのか微妙なところである。リヴァイさんが今日のライブに応じてくれたのも、私がジムの会員だからだ。流石に現行の会員と、個人的に会うのはコンプライアンス的に宜しくない。

「4人バンドなんだな。ナマエの友人はどいつだ?」
不意にリヴァイさんがそんなことを言った。スマホ画面には、アニが所属するバンドのホームページが映っている。
「えっと、この子です」

私は4人のメンバーの中から、涼しげな表情のアニを指差した。ベース担当と記載されている。

「高校の頃に結成してからずっと活動していて、この間インディーズデビューしたんですよ」

当時のアニは周りからバッド・ガールと呼ばれていた。既に彼女は学校外のメンツとバンドを組んでおり、時折路上ライブをやっていた。
授業には殆ど出席せず、おまけに校則で禁止されていたバイトもしていたと思う。どうやって彼女と友人になったのか、とうに記憶の彼方である。恐らく、授業ノートを見せてあげていた縁だと思う。

「一つのことをずっと続けられるのは尊敬する。楽しみだ」
「……はいっ、そうですね!」

リヴァイさんの何気ない一言に、私まで嬉しくなってしまうのは何故だろう。今日は友人のライブだ。
せっかく来たのだから、最後まで楽しまなければ。

ライブハウスに着くと、既に多くの人が集まっていた。デビューする前よりも人が多いような気がする。チケットを見せて中に入り、物販でグッズをいくつか購入する。その際、差し入れのミネラルウォーターをアニ達へ渡して貰うように伝えておいた。
ワイワイ、ガヤガヤ。ステージ前に行き、多くの人と一緒にスタート時間まで待機する。

最初は路上ライブからだった。観客は、私とヒッチの2人だけ。それが少しずつギャラリーが増え始め、いつしか町中の小さなライブハウスで演奏するようになり――今ではこんな大勢の人達の前で演奏するまでになった。

「好きなことを仕事にするのって大変だけど……きっと楽しいんでしょうね」

思い浮かべるのは、楽しそうにベースを弾くアニの姿だった。弦を操る大胆な指さばき。音の世界に浸る身体の動き。聴覚は常にバンドサウンドに向けられていた。迫力ある低音は曲全体に一体感あるリズムを生み出してくれる。
彼女はあまり感情を表に出すことはしないから解りにくいが、ベースを奏でる彼女はいつもより少しだけ顔付きが柔らかいのだ。本当に音楽が好きなんだと思ってしまう。

「……そうだな。楽しいことも苦しいことも……ここで語られることのない沢山のものを全部引っ括めて、一人一人にオリジナルのストーリーがある。自分達が考える方向性をひたむきに追求して、彼らは“プロ”になった。そこに至るまで、辛いことや泥臭いことも沢山あった筈だ。だが俺達は、彼らの一部分しか知らない。好きなことを仕事に出来るのは、並大抵の努力がないと出来ねぇよ。“趣味”じゃなく、“プロ”だからな」
「何だかリヴァイさんが言うと、深みが増します」
「よせ。ただのしがないオッサンの戯れ言だ」

リヴァイさんはステージへ視線を向けて、暫く黙ってしまった。バンド活動をしていた当時を思い出しているのだろうか。私の目に映るリヴァイさんは、物思いに耽っているように見えた。

誰にも語られることのないリヴァイさんだけのストーリー。言葉にしなくても、彼の物語の端々が見え隠れする。嗚呼、もっと。この人のことを知りたいと――、純粋に思ってしまう。

「……筋トレ、お好きなんでしょう?」
「あ――、あぁ。まぁな」
「それなら、リヴァイさんも“プロ”だと思います。だってリヴァイさんは、私のことを最後まで見捨てずに指導してくれたじゃないですか!」

どうやったら、私の気持ちが彼に伝わるんだろう。

「本当に――、感謝してるんですよ!凄く厳しくてしんどかったけど……リヴァイさんが担当だったから、私は最後まで頑張れたんです。1つのことをずっと続けられるだけが、“プロ”になれる道じゃないと思うんです。って――、何だかよく解んないことを語ってすみません」
「おい。また謝ってるぞ」
「あっ――」

私は笑って誤魔化した。
もどかしい。どうか、私があなたに感謝していることが伝わっていますように――と思いながらリヴァイさんをチラッと見る。彼の形良い耳が、少しだけ赤く染まっていた。

照明が落ちてステージにライトが集まる。BGMが止んだ。時刻は午後8時――開演時間だ。お喋りに興じていた沢山のギャラリーがステージに釘付けになる。

「……始まるぞ」
「はい!楽しみましょうね!」

※※※

彼との出会いから昨日までの約2年分の日記を読み終えた。当時のことがありありと思い出して、懐かしい気持ちになる。
次のページを捲れば当然真っさらだ。私はペンを握って、今日の日付を書き込んだ。続きは、今日の夜に書こう。素敵な1日になりますように。

「準備出来ましたか?皆さんお待ちしてますよ」
「はい、今行きます」
「こちらです。ご案内しますね」

ウェディングプランナーの担当から声を掛けられ、私は席を立った。着慣れない純白のウェディングドレスは、決め切れない私に業を煮やした彼が選んでくれたものだ。デコルテ、スカート、スリーブまで透け感のレースであしらわれた、透明感ある純白ドレスだ。
裾を踏まないよう、ゆっくりと階段を降りると父がいた。父はブーケを持った私の姿を見て、再び涙目になっていた。

「お父さんったらまた泣いてる」
「しょうがないだろう。お前の晴れ舞台なんだから」
「ホラ、もう泣き止んで。これから式が始まるんだよ」

私が右手を父の腕に添えると、隣からズズッと鼻を啜った音がした。
チャペルへとつづく扉が開かれると、柔らかい太陽の光が降り注ぐヴァージンロードの先に――リヴァイさんがいた。

「お父さん。今までありがとうね」
「……ナマエ。リヴァイ君と幸せになるんだぞ」
「うん」

パイプオルガンの美しい演奏と聖歌隊の美しい歌声が響く中、多くのゲストに見守られながら私達はヴァージンロードを歩く。途中でヒッチとアニの姿を見付けて、私はニコリと笑った。緊張しているせいで、上手く笑えたか解らない。ライナーさんとミカサちゃん、エレン君の姿もあった。

白い布のヴァージンロード。家族と共に歩んだ道を、これからの人生はリヴァイさんと共に歩むのだ。聖壇で待っている彼の元まで歩き、差し出された頼もしい手を取った。

「ナマエ。とても綺麗だ」
「リヴァイさんもとても素敵です」

シックなブラックに、蝶ネクタイが程良く馴染む。硬くなり過ぎず、砕け過ぎないようにジャケットの下にグレーのベストを着ている。フォーマル感は保ちつつ、バランスの良いコーディネートを着こなす旦那様に、私は感嘆の息を吐いた。

「アッカーマンさん。あなたは彼女と結婚し、妻としようとしています。あなたはこの結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従って夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなる時も病める時も富める時も貧しき時も死が二人を分かつ時まで、命の灯の続く限りあなたの妻に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?」
「誓います」

リヴァイさんは、しっかりした口調で答えた。同じように牧師から問いかけられ、私も答えた。

「はい。誓います」

厳かな雰囲気の中、粛々と進む挙式。指輪を交換して、リヴァイさんがゆっくりとヴェールを上げてくれた。荘厳な雰囲気とは裏腹に、私の心臓はドキドキして忙しない。
綺麗な顔のリヴァイさんが顔を近付けて来る。

今日が初めてキスをするわけではないのに。結婚式という一生に一度の特別な日は、やっぱり違った。

「これからもどうぞよろしくお願いしますね」
「ああ。こちらこそよろしくな」

多くのゲストに見守られて、私達は誓いのキスをした。

“私達は、聖なる神の前で、証人立会いのもと結婚式を挙げました。これより始まる新しい家庭が喜びと幸福に満たされる生涯を送ることを――ここに誓います。”

(了)

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