無意識なやつら

「そもそも、1ヶ月で減量しろって簡単に言うけと、結構大変なんだからね?」

私が一体どんな思いでこの1ヶ月を乗り越えて来たのかを2人に説明する。大好物の炭水化物を封印した。毎日空腹感に襲われながらも仕事をした。苦手な自炊をするために見様見真似で料理を始めてみると結構楽しかった。
鬼トレーナーにしごかれながらトレーニングを受けた。脂肪体に鞭打つような過酷な生活だったのだ。

2杯目のワインを口にするヒッチは知らぬ顔だ。その態度に腹が立つけれど、私のことを励まそうと提案してくれているからぐっと堪える。友人の気持ちを汲まなければ。アニは再びピザを黙々と食べていた。あ、いつの間にか一人で平らげたな。

「だーかーらー、1ヶ月で10キロ減らせって言ってる訳じゃなくて、太らないよう頑張れっていう私からのエールなんだけど?」
「あれってエールだったの?」

アニが突っ込んだ。私もあれがエールには聞こえなかったよ。

「そうだ!そのダイエットジムにイケメンいないの?爽やかイケメンとか、マッチョなイケメンとか。よくドラマでスポーツジムにはイケメンがいる設定でしょ!どうなの?」

ヒッチの興味は既に別のところに移っていた。私のダイエット苦労話はもう聞き飽きたらしい。

「すいません、追加でカプリチョーザとビール1つ下さい」

アニは私達の会話に入ることなく、メニュー表から顔を離して食べたいものを勝手に注文する。相変わらず自由気ままである。

「うーん、そうだな……イケメンかぁ」

私はジムに通っている会員を思い浮かべてみた。
男性会員達は殆どが私と同じような体型なので、イケメンかどうか判別しにくいから論外(申し訳ないけど)。
次にインストラクターを思い浮かべる。
エレン君もライナーさんも、リヴァイさんもそれぞれ系統が違うものの整った顔立ちだし、筋肉もあって引き締まった身体だ。他のインストラクター達も御多分に洩れず、爽やかでキラキラしている。

……あれ。良く考えたら、私が通っているジムってイケメンしかいなくない?
上目線で申し訳ないが、レベル高い方だと思う。
週2で通っているせいか、目が慣れてしまって全然気付かなかった。何て言ったら、ヒッチからまた何か言われるだろうから言わなかった。
そもそも、痩せることばかり考えていたからそこまで頭が回らなかったのが事実である。
昨日リヴァイさんと話していた黄色い声の女性集団もそういうことか。

「言われてみれば……イケメンしかいない、かも。下手なホストクラブに行くよりカッコ良い人揃ってるよ」
ホストクラブなんて一度も行ったことないけど。
「……私もそのジム行こうかなぁ。目の保養になりそうだし」
「それ……全会員を敵に回すからやめた方が良いよ。だいたい、ヒッチは痩せる必要ないでしょ」
私がピシャリと言っても彼女は全く気にしていない。
「あはは、冗談だってば。でも合コン行くより、そのジムで彼氏見つけた方が良さそうねぇ」
「何言ってんの!?そんな邪な考えで通ってないから!」

そんなこと言われたら来週から集中して取り組めそうにない。私は深い溜息を吐いて、残りのシーザーサラダを平らげる。

「そんなことより、未だにオカッパ頭と連絡取ってたんだ」

急にアニが会話に入って来たので、私はビックリした。オカッパ頭とは、先程会話に出て来たマルロのことだ。学生時代、アニもマルロに何度か会ったことがあるが2人の間で会話が盛り上がることはなかった。アニとマルロの性格を考えれば致し方ないだろう。

「まあね。アイツさ、この間まで財務省で働いてたらしいんだけど、辞めたって連絡来たんだよね」
「天下り官僚を成敗し過ぎて反感買われたとか?」
「成敗は出来なかったみたいよ。同僚と意気投合して起業したらしいのよねぇ。興味ないから詳しいことは知らないけど」
「えええ、また何で急に?」
「さぁ?アイツが考えてることは良く解らないわ。勿体ない、運良く出世すれば美味い汁吸えるのにって言ったら『見損なった』って言われた」
「ヒッチ……もうちょっと別の言い方しなかったの」
「ナマエ。今更ヒッチにそれ言っても無駄だと思う」

アニの言う通りだ。ヒッチの言葉は、彼女の意図している内容とは違った意味合いで相手に受け取られてしまうことが多い。主にマルロ限定だが。
私も最初は彼女の言葉の裏に隠された意味を、受け取れるようになるまで喧嘩ばかりしたけど喧嘩したからこそ、こうやって軽口を言い合える仲になった。

「相手の同僚も物好きよねぇ。よりによってマルロと起業するんだもん。写真見して貰ったんだけど“馬”だった」
「……“馬”?」

友人の言ってることがますます解らない。変わり者のマルロと意気投合するくらいだから、相手も変わっているんだろうけど“馬”ってどういうことだ。

「うん。“馬”に似てたから。相手の名前忘れちゃってさ」

何となく合点がいった。馬面ってことだろう。まぁ、それはさておき。

「ヒッチとマルロって何だかんだ仲良いよね。全然性格合わなそうなのに」
「アイツとはただの腐れ縁だから。仲良くないってば」

ヒッチはネイルを見ながら興味なさそうに答える。

「ふぅん、アイツのこと好きなの?」
「はぁ!?何でそうなる訳?」
「あんたの物言いに気を悪くしないヤツなんて私達とオカッパ頭くらいでしょ」

ヒッチが見るからに嫌そうに顔を歪めてすぐ否定する。

「私アイツのこと好きとかあり得ないから!絶対ない!アニ、変なこと言わないでくれる?」
「ハイハイ」
「ハイは1回!」
「人生に“絶対”なんてないよ?私だって彼と“絶対”結婚するって思ってたんだから。今はそうかもしれないけど、どうなるか解らないじゃん?」

アニに倣って、私も思わず口を挟みたくなってしまったのでそう言った。

「…………私、あんた達のことキライ」

長い沈黙。ヒッチは私とアニを軽く睨んだ後、唇を尖らせて不貞腐れた口調で零した。そんなヒッチの様子を意に介さず、アニが元の話題に戻す。

「そう言えば、ナマエが通ってるジムってマリア店?」
「そうだけどそれがどうかした?」

まさかアニも通うとか言い出すのだろうか。
元々アニは小さい頃格闘技をやっていたと聞いたことがある。そのお陰でなのか、身体が引き締まっているのでジムに通う必要はない筈。そんなことを思いながらアニを眺めていると、驚きの事実を彼女が口にした。

「……その店、私の近所に住んでるヤツが働いてる」
「え!?誰、誰!?」

私の頭の中で、インストラクターメンバーの顔が通り過ぎる。

「ライナー・ブラウン。アイツともう1人が私の家の近くに住んでいて小さい頃良く遊んだことがあるだけ。ただの隣人さ」

普段あまり自分のことを進んで話すことが少ないアニ。
素っ気ない言い方で隣人だと主張しているが、それを世間では“幼馴染”というのだ。

「すごい偶然だね!ライナーさんは私の食事指導係だよ!」

まさかあのジムに私の友人の知り合いがいるなんて。ちょっとだけ興奮してしまう私がいる。
ワインを飲んでほろ酔い気分のヒッチが楽しそうに言った。

「へぇ〜〜、世間ってせまーい」



「トレーナー長、少し良いっすか」

きゃあきゃあと騒ぐ数名の女性会員達の見送りが終わった後。時計の針が22時近くを指していた。
オレは遅番のライナーと2人で、黙々と機材の拭き掃除や後片付け、プロテインなどの商材の在庫確認と明日の準備をしていた。
それぞれ種類ごとにダンベルが安置されているか目視で確認していると、見付けてしまった。

「……エレンのヤツ」

ダンベルの山を見て悪態を付く。同じ種類ごとに揃えておけと言っておいたのに忘れて帰ってしまったようだ。種類ごとに分けておけば、翌日の支度がスムーズになる。会員にとって良い店舗作りは、日々の細々とした積み重ねによって左右されるとオレは思っている。

どうやらまだ躾が足りないらしい。
明日エレンが出勤したらやらせることにしよう。ダンベルをこのままにして帰るのは、後片付けを放り投げたようであまり良い気はしないが、エレンが残した仕事は本人にやらせなければ意味がない。これはエレンのためだと、オレは心の中で自分に言い聞かせた。
エレンに割り振る業務を頭の中で整理している時だった。急にライナーに呼ばれたのは。

「……何だ」

オレはダンベルの拭き掃除をしながらライナーに答える。

「いや……あのタイミングでナマエさんに話し掛ける必要はあったんですか?」
「何だ、いきなり」

てっきり業務について相談――エレンとミカサのトレーナーデビュー時期とか、商材の発注個数についてなど――かと思っていたオレは、ライナーから質問された内容に驚いた。

「あの場ではナマエさんも何も言わなかったですが、トレーナー長と話していた女性達から注目を浴びて困ってましたよ」

軽い口調で話すライナーの言葉にオレは先程のことを思い出す。

そんなに困っていただろうか。
言われてみれば、そそくさと帰って行ったようにも思う。

「アイツを呼び止めたのは、次回の予定を伝えるのを忘れていたからだ。他意はない」

オレがそう答えるとライナーが笑った。

「トレーナー長に他意はなくても周りは違うってことですよ」
「……そうか」

と言ってみたが、なるほど……解らない。
本来ならトレーニング終了時に次回の予定を伝えているのだが、最近はナマエとの会話量が増えたと思う。会員と上手くコミュニケーションを取るのは良いことだが、伝えるべきことを忘れてしまっては本末転倒というものだ。
とは言え、こちらが厳しいトレーニングを課すと彼女も一生懸命に着いて来てくれるようになった。
根を上げて辞めるヤツもいるから、ナマエもその類いだろうと思っていた。

初回であんなに弱音を吐きまくっていた人間の変わりように、オレは内心驚いている。何が彼女を駆り立てているのか詳しく知らないが、トレーナーとしてはしごきがいあるし、何より彼女がどう痩せて綺麗になるのか楽しみでもある。
……言っておくが、変な意味は全くない。
会員達が努力の結果痩せて喜んでいる姿を見て、トレーナーとしてやりがいを感じるのだ。

「ライナー。お前なら解るっていうのか?」
「先程の女性達がトレーナー長をどう見ているか解り易過ぎてミカサも呆れてますよ」
「自信満々で言うじゃねぇか」
「トレーナー長が鈍感だから、オレが言わないとと思って」
「お前も言うようになったな。初めは右も左も解らなかったくせに」
「オレもここで働き始めて4年目ですからそれなりに」

もうそんなに経つのか。月日が経つのは早いと、そんなことを頭の隅で思う。

「エレンはどうなんだ?」
「……アイツは脂肪を駆逐することで頭が一杯です」

ライナーは面白そうにそう言ってから、他にやることはないかと聞いて来た。ダンベルの山は明日エレンにやらせるので、もう上がって良いと伝える。

「それじゃあ、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「ああ、また明日な」

ライナーはニカッと笑って帰って行った。4年経とうがオレにとってはライナーもまだまだガキだ。

「……遅い」
「何でこんな所にいるんだ、お前は。確か休みの筈だろう」

一通りやり残したものがないか最終確認を終えると、23時を過ぎていた。
店のセキュリティシステムを作動させてオフィスビルを出ると、大通りにある飲食店から酔っ払いどもが2軒目、3軒目へハシゴする酒臭い空気の中。
目の前にミカサが不機嫌そうに立っていた。
相変わらずオレを見ても“お疲れ”という労いの一言すらない。

いや……。ふと、考え直す。オレに対するミカサの態度はこれが平常運転なのだ。ミカサからオレに対して労いの言葉があったら、それはそれで何かある筈。だから、これで良い。

「……迎えに来ただけ。久々に泊まりに行こうかと思ったんだけど、悪い?」

ミカサは気が向いた時にオレの家に泊まりに来る。オレ達の間には会話が少ないが、幼い頃両親を亡くした者同士で彼女が20歳になるまで一緒に暮らして来た。

「悪くねぇよ。いつからここにいた?」
「30分前」

ミカサが一言だけ返す。

「何で連絡しなかったんだ。いくらお前が大きな男を薙ぎ倒せるとしても、深夜に外で待つのは危ないだろう」
「子供扱いしないで。変な人には着いて行かない」

10才以上離れていると――大人になったとしても――ガキ扱いしてしまう。
ミカサが鬱陶しそうだ。

「……まぁ良い。次は必ず連絡しろ。流石に腹が減った。いつもの店で軽く食べてくか?」
「解った。そうしよう」

行きつけの店へ向かうため、騒めく街中を無言で歩いていると。

「ナマエさんのダイエット経過はどう」

ライナーから出た名前がミカサの口からも出る。さっきから良く聞く名前だ。

「順調だ。来週は途中経過も兼ねて体重測定兼面談の予定だ」
「そう。良かった」

隣から少しだけ安心したような嬉しそうな声で聞こえた。
一見、喜怒哀楽が解り難いがミカサだが、実は結構喜んでいることをオレは知っている。そう言えばナマエがここに通うようになったのはミカサから、紹介したい人がいると言ったのが始まりだった。
あの時はオレやエレン、ライナー、他のインストラクター達も遂にミカサに春が訪れたのかと――別の意味で捉えてしまったのだが。

店員が客を見送る声。大きい声で酔っ払いどもが喋っている声。会話が終わってしまったオレ達の間に響く街の騒音。

「ケニー叔父さんから連絡があって、月曜日あなたの家に遊びに行くと伝言を預かっておいた」

まるで今まで忘れていたことを思い出したかのようにさらっと話すミカサ。

「……オイ。オレに確認しないで何勝手に了承してんだ。その日は休みだから部屋の掃除でもしようと思っていたんだぞ」
「……あなたが喜ぶと思って」

……コイツ、わざとオレに内緒にしていたな。

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