ロックオン | ナノ


▼ 2




 クロエがトレミーにやって来て数日。

 人付合いの出来なそうなあの性格を、この閉塞的な人間関係の中でどう対応させて行く気だとわざわざ俺が気にかけていたことも、実際は取り越し苦労になりつつあった。
 結局最初に挨拶を交わした時と変わらないマイペースさで我が道を突き進んでいる彼女は、ある意味確実に、ここの一構成要素として内部に馴染み始めていた。

 本人曰く、それが彼女の売りであるらしい皮肉っぽいユーモア、本当のところはどう考えてもユーモアっぽい皮肉にしか思えない棘が混ざる喋り口調は、どうやら俺に対してだけのものではないようで、同等の被害をこうむった同士は現在進行形で多数生まれている。
 そんな、普通の感性の持ち主としては到底受け入れられそうにはない手ごわい代物に対して、周囲が出した最終的な対応策は“触れなければ棘だって無害だろう”という至極簡単なものだった。

 周囲から完全に一歩を踏み外して“いい性格”の一言に尽きる個性に、彼女のトレミー内での生活は半ば孤立状態と化している。
 だが本人がそれを望んでいるらしいということと、他クルーもそれならそれで、という空気に流されていることが相まって、彼女と周囲の間には着実に距離のある関係が確立されつつあった。
 言い換えるなら、搭乗員とは馴れ合わないという彼女のオーラを、他の奴らが受け入れ始めたっつーことで。

……良いのか? これで。

 ガンダムに乗り込むことが仕事の俺らマイスターは、怪我することもその仕事のうちに含まれているようなものだからともかく、そもそも自分の持ち場と各自与えられた小部屋とを行き来するだけが主な行動範囲となる他のクルーにとって、メディカルルームに敢えて足を運ぶ機会が少ないことも、どんな奴が働いていようが関係ないっちゃ関係ないことも、理解の範疇ではあるが、それにしても。

 ゴーイングマイウェーを貫く新メンバーと、理解力有り過ぎる古株。
 何となく不本意に感じられる輸送船内の現状に、なんだかこう、違和感が付きまとうむず痒さが頭に残って、俺としては決して気分の良い状態ではなかった。
 このまま放置しておいて良いものなのか。
 あれこれ考えていたら段々とどうしようもないような気がしてきて、らしくもなく悩んでいるうちに、

「ったく」

思わず声が漏れていた。

「例の彼女のことかい」

 ブリッジから出て、先に部屋に戻ると言ったきり通路の端で足を止めたままになっていた俺の背後に、アレルヤが姿を見せた。
 俺がクロエのことで頭を悩ませていることが、余程有名な噂話にでもなっているのだろう。
 嘆息一つを聴いただけで胸中を言い当てて来たアレルヤには不覚を取った気になったが、まぁなと取り敢えず笑って返して、共に自室へと向かう。

「お前、クロエとは仲良くやってんのか」

「悪くはないですよ」

「マジかよ」

 お前、それどうやって打ち解けたんだ。
 思わず顔を歪めてアレルヤに向き直ると、奴にしては珍しく可笑しそうにクックと喉を鳴らして耐えられない笑いを漏らしていた。

「最初に挨拶をして以来話をしていないですから。悪くなりようがない」

「お前なぁ」

「いや、貴方がやきもきしている様子が可笑しくて。向こうが関わりたくないのなら、そっとしておいてあげてもいいんじゃないかな」

「全く関わらないならそれでもいいさ。でも噛み合わないものがあるってのは気持ち悪いだろ……だから何笑ってんだ」

「いや、とても貴方らしいよ」

 実際、医務室での仕事だとかいったことは全て滞りなく行われているようだし、関わらなければ関わらないで、何の支障もなくこの船は動くのだということは俺だって重々理解している。

 かといって、言葉通り一蓮托生が起こりうるこの空に居ながら、今まで円滑に動いていたはずのそこに入り込んだ小さな小石を、例え小さな異変だとしても見逃してしまって良いのかということは、俺にはやはりどこか引っ掛かるのだ。

 周囲全体から孤立しているというのならいずれは殻から這い出さなければならなくもなるのだろうが、行動を共にしているモレノ氏とは何やらとても上手くやっていて問題がないという、そこもまた問題だなと思った。

 引きこもってしまえる場所があるのは一見、本人にとっても周囲にとっても面倒がなくて楽なように見えるが、いざというとき、普段のコミュニケーションが取れていないことが致命傷に繋がることだってある。
 些細な摩擦が火花に変わるのは、誰でも知っている常識だ。
 それを、なぜ皆は……って、俺は本当にそんな理由でクロエを気に掛けているのか?
 元々年長組だっていう責任感からか(年を食ってお節介になったのだとは言うまい)、それとも、一度ミス・スメラギの頼みを受け付けちまったことが尾を引いているか。

 こだわっている理由は正直、俺自身だって明確に理解しているわけではないが、何にしろ気になるものを放っておくのは性分ではないから、やはり構いに行きたくなる。
 こればっかりは性格だろう。

 何の擦れ違いも誤解も無しに嫌われているっていう状態を、俺が個人的にどうにかしたいだけなのかも知れない。
 理由が無いのに避けられるって、いわゆる“生理的にダメ!”ということなら俺、男として終わってねーか。
 自身がモテることを自覚したことはないが、少なくとも嫌がられることは少なかったように思う、それがここに来て。
 確かにこんな女の尻を追っかけてるみたいな状況は、笑われたって仕方がないか。
 腹の底から不本意だが、でも気になるのだから、やはりそれも仕方がない。

「ところでお前、最初にクロエに会った時、何話したんだ」

「大したことは話しませんでしたよ。名前と、怪我が多いからお世話になるということと、宜しくと」

「そしたら?」

「怪我をしたときには待ってるって」

 待て待て待て何だその俺の時と違いすぎる態度は。
 俺には来るなって言ったくせにアレルヤには待ってるだと?
 別に相手が女だからってアレルヤの方が好印象だとか何だとか張り合うつもりはさらさら無いが、それにしても俺ばかりが嫌われている意味が分からない。
 なんだそりゃ、と声を上げた俺に、アレルヤは心持ち慌てたような口調で付け足した。

「いや、“怪我をしたときには”に渾身の力がこもっていたから、好かれている気はしなかったんだけどね」

 ああ、なるほど、渾身の力ね。
 語気を強めながら極上の笑みを浮かべるクロエの姿は鮮明に思い浮かべることが出来た。
 結局アレルヤも軽くあしらわれたってこと。

「それで、刹那やティエリアは」

「彼らは確か、二人とも問題ないと言っていたと思うけど」

「あいつらが?」

「多分、彼らの場合は名前のやり取りしかしていないんじゃないかな。僕以上に嫌われる原因を作らなかったというか……と、噂をすれば、ときの人ですよ、ロックオン」

 軽く先を進んでいたアレルヤが、振り返ったついでに俺の肩の向こうに人影を見つけて視線をやった。
 つられて振り向いたその先には、まさしく話題の中心となっていたクロエの姿があった。

 通路の向こう側にある扉が開いて姿を見せたクロエは、俺らの姿を見ると相変わらずの人形みたいな笑顔で微笑んで、特にためらうこともなく無重力の中をこちらに進んで来る。
 反応としては無言のままだった。

「よぉ」

 そう声をかける俺にくるっと目を向けたところを見ると、どうやら無視を決め込むつもりではないらしい。

「どうだ、その後は」
「悪くないですよ。普段通りです」

 立ち止まった俺の肩をそのまま通り過ぎて行く冷めた様子は確かにいつも通りで変わりない。
 そのままドアが閉まる排気の音とともに、逆側の部屋へと姿を消したクロエの影を見ながら、俺は呆然と立ちつくすしかなかった。
 隣で苦笑を隠そうともしないアレルヤを一瞥をしたものの、笑うしかない反応はもっともだからつっこむ気にもなれなかった。
 “笑うなよ”の言葉の代わりに軽く肩を上げて「どうしようもないな」とお手上げ状態の嘆息を漏らすと、余計におかしそうな顔をしていたのが少し生意気に目に映る。

「そっとしておいてあげたら」

 返す言葉もなく溜め息一つ、閉ざされた背後の扉に漠然とした心残りを感じながら俺も通路を先へと向かうしかなかった。




prev / next

[ back to top ]