短編 | ナノ


『これ流石にまずいよ。ね、やっぱり戻ろう?』
「ここまできて何を言ってるんだ。大丈夫さ、見つかりそうになったら僕の光魔法で見回り中の兵士に化ければいい」
『ティトスはいつからそんな不真面目になったの?』

 誰もが寝静まる夜更け頃。例外なく穏やかな眠りについていたわたしのもとにティトスがやってきたのはつい先程のこと。突然眠りの世界から連れ戻されてぼんやりと首を傾げるわたしに彼が紡いだ言葉は「今から学院を抜け出そう」だった。一瞬思考が停止したのは言うまでもない。これは夢、たまに見る意味の分からない夢だ。うん、そうに違いない。あっさりと自己完結して再びベッドに潜り込もうとしたけれど、そう都合よくはいかなくて。名前を連呼されながら肩を揺さぶられ、しまいに抱きつかれて子供のように愚図られればもうどうしようもない。わたしはティトスのこの表情に弱いのだ。

『それにしても何で夜中なのよぅ…』
「この時間じゃなきゃダメなんだ。理由はもうすぐ分かるよ」
『うう…寒いの苦手なのに…』

 マフラーを顔の半分まで引き上げて、冷たい両手を擦り合わせる。その時不意に片方の手を掴まれ、大きく温かな手で包まれた。「これで少しは温かくなるかい?」さりげない優しさや意外にも大きな手に胸が高鳴る。けれどよく見るとティトスの鼻は暗闇でもはっきり分かるくらい真っ赤になっていて、それに気付いてからは可笑しくて笑いが止まらなくなってしまった。何だい?いきなり笑ったりして。ううん、何でもない。笑いながら会話を交わす、そんな些細な瞬間も何だかすごく幸せに感じられて、いつの間にか寒さなんてものも忘れてる自分がいた。

「着いた、ここだ」
『ここ?』

 たどり着いた場所は周りに建物も何も存在しない拓けた土地だった。ティトスがわたしをここに連れてきたその理由はすぐに分かった。天を仰ぐティトスにつられて空を見上げたわたしは感嘆の息をつく。澄み渡った夜空に煌々と輝く無数の星。周りに邪魔するものもなく、視界いっぱいに星空が広がる。

「この前街の人が話しているのを聞いたんだ。最近天気がいいから星が綺麗に見えるだろうって」
『ほんとだ、雲一つないからよく見えるね』
「星とはこんなに綺麗なものなんだな」

 ティトスの横顔をちらりと盗み見る。キュッと結んだ口元は柔らかな弧を描いて丸い瞳はキラキラと輝いている。ウズウズ、そんな表現なぴったりな表情に笑みが浮かぶ。確か前にもこんなことがあったな。アラジンとスフィントスとティトスと、それからわたし。四人で初めて市街に出掛けた日、ティトスは今とおんなじ顔をしてた。猫がいる、赤ん坊がいる。ただそれだけのことで子供みたいに目を輝かせてはしゃいで。最初こそ呆れながらその様子を見ていたけれど、ふと猫や赤ん坊の触れ合い方を教えてあげたら、これがまたあまりにも嬉しそうな顔をするから。だからわたしもなんだか嬉しくなって、ティトスに色んなことを教えたくなっちゃうんだよな。

『知ってる?星ってさ、寒いところほど綺麗に見えるんだって』
「これよりもっと綺麗な星なのか?」
『本で読んだことがあるの。寒いと空気が澄み渡って普通見えないような小さな星も綺麗に見えるようになるんだって』
「そうか。じゃあ北国に行けばきっともっと星が綺麗に見えるんだろうな」

 うん、そうだね。わたしも見てみたい。寒いところは苦手だけど。だけど。
 繋がれた手に視線を落として、呟く。

『…行こうよ、いつか』
「え?」
『マルガも連れて一緒にさ、もっと綺麗な星を見に行こうよ』
「寒いのは苦手じゃなかったのかい?」
『苦手だよ。だからその時はこうして手を握っててね』

 冷たくなっていた頬は今や熱を持っていて、顔の半分まで引き上げたマフラーのせいで余計暑くて頭が沸騰しそうだった。黙ってないでなんか言ってよ。そう意味を込めて繋がれた手に少しだけ力を込める。ティトスが返事がくれたのはその直後のことだった。「分かった」静かに呟くように紡がれた言葉。

「ナマエが寒い思いをしないように僕がずっと握っていよう」











 目の前で横たわるティトスの手にそっと触れる。以前の温もりは全く感じられなくて、皮膚の柔らかさも弾力もない。闇に囚われた学長先生を止めるために残された寿命を全て使い果たしたティトスはわたしとマルガの目の前で白い骨と化してしまった。それはあまりにも一瞬で暫く涙すら忘れた。信じられなかった、ティトスがいなくなってしまったなんて。けれどこうして骨だけになったティトスに触れれば嫌でもそのことを思い知らされてしまう。今になって涙がぼろぼろ零れ落ちた。

「ナマエおねえちゃん、泣かないで」
『…っマルガ…』
「ティトスおにいちゃんはきっと帰ってくるよ。だって約束したんだもんね?」

 マルガは小さな手で服をギュッと掴んで、まっすぐな瞳をわたしに向けた。約束。その言葉に脳裏にあの日の情景が浮かぶ。真っ赤な鼻をして笑う顔。綺麗な星空を見つめるキラキラした目。寒い思いをしないようにと繋がれた大きな手。

『…う、ん』

 やだな。マルガが泣かないでって言ってくれてるのにわたしときたらボロボロ涙零して。

『だったら、ちゃんと二人で待ってなきゃね』

 嗚咽を漏らしながらも何度も強く頷いてマルガを抱きしめる。残されたわたしに出来ることはもう一つしかない。「ナマエが寒い思いをしないように僕がずっと握っていよう」あの言葉を信じてティトスにまた会えるのを待つ。ただそれだけ。

『寒いよティトス。早く帰ってきて、手握ってよ』

 再びティトスに手を伸ばし、そっと触れて目を閉じた。
 それからは、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。ティトスの冷たい手に触れたまま、いつにか意識を手放していたようだった。手、あったかい。ここはどこなのか、マグノシュタットはどうなったのか、何も分からない中で一番先に覚えた手の温もり。先程とはまるで違う感覚と温度に不思議に思う。意を決して恐る恐る瞼を開いて見てみると、先程までティトスの冷たい手を握っていたわたしの右手は今や別の誰かによってしっかりと握られていた。温かくて、華奢に見えて意外と大きな手。わたしはこの手を知っている。

「ただいま、ナマエ」


銀河の片隅で
を繋ごう



「ねえナマエ。一緒に見に行こう、星が一番綺麗に輝く場所に。ううん、星だけじゃない。これからいろんな場所へ綺麗な景色をたくさん見に行こう」
『…ほんと?』
「ああ、僕はここにいるよ。明日も明後日も、これからずっと。もう一度約束しよう、君の手を離さないって」


14'1215

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