短編 | ナノ


 重い瞼をゆっくり開いて、パチパチ、瞬きを繰り返すと、大きく息を吸ってこれまた大きく息を吐き出す。そうして肺の空気を交換するとお次は仰向けのままグーンと背伸び。毎度お決まりの行動をたどって最後に窓の方へ視線を向けた。そこから覗く外の景色は相変わらず真っ暗で、欠伸を一つ零しながらぼんやり考える。そろそろ起きなきゃ。もう朝だ。

 いつにかユナンに起こされずとも自分一人で起きられるようになった。大峡谷の底にポツンと建てられたこの小さな家は当然日の光が届かない。だからかここに来た当初は朝も夜も認識出来ずに体内時計はメチャクチャ、毎日のように寝坊をした。その度ユナンにはだらしのない私の寝顔を見られ、恥ずかしさやら自己嫌悪なんかで目覚めの悪い朝を迎えるのだ。それが今やユナンを起こすのはわたしの特権。隣で健やかな寝息をたてるユナンを眺めながら今日はどうやって起こしてやろうかと楽しく考えるのが私の日課になった。
 今もまた私の隣で夢の世界を旅するユナンはむにゃむにゃと口を動かし、まるで子供みたいなあどけない表情でいる。私の口は自然と弧を描いた。ああ、そうだ。ふと思い立ってユナンの鼻を指で軽くつまんでみる。一秒、二秒、三秒……フガッ!!勢いよく漏れた鼻声はそれはもう滑稽でついつい声を上げて笑ってしまった。やがてゆっくりと目を開けたユナンは私の姿を瞳に映し、シュンとした顔で目に涙を滲ませる。

「うう…酷いじゃないか…」
『ふふっ!おはよ、ユナン』
「……おはよう」

 こうして今日も二人だけの一日が幕を開ける。

『今日は何をする?薪割り?』
「うーん、薪割りは昨日余分にしたから当分する必要はないなぁ…そうだ、ナマエは何かしたいことはあるかい?」
『私?何でもいいの?』
「うん。今日一日は君のワガママを聞いてあげる」

 ニコニコと楽しそうに笑うユナンにつられて私の顔にも笑みが浮かんだ。気付いてないのかな。そんなこと言っていつもユナンはなんだかんだ私のワガママを聞いてくれてる。こんなに甘やかされていいのかなって、ふとした瞬間不安に思ってしまうくらいに。それでも私はそんな優しいユナンのことが大好きで、いつもこんな風に甘えてしまうんだ。

『じゃあ…』

 小さく呟いてユナンの体を抱きしめる。何かしたいことはある?そう尋ねられて頭に思い浮かんだことは沢山ある。一緒に新しいお菓子を作ってみたり、大峡谷を出るのなら景色の綺麗な所を二人散歩するのもいい。どれも魅力的だし、ユナンと一緒なら何をしてもきっと楽しいだろう。だけど結果的に私が選んだのは敢えて何もしないことだった。お菓子作りもお出掛けもこれからいくらでも叶えられる。だったら一日くらい、着替えもせずベッド上でギュッと抱きしめ合って過ごすだけの何もしない日があってもいいんじゃないかと思った。

「これが君のしたいことかい?」
『うん、だめ?』
「ダメじゃない」

 いいに決まってる。頭上で息が漏れる音がしたかと思えば、次にはユナンの両腕が私の背中に回った。寸分の隙間もなく体を密着させればユナンがいつも飲んでるハーブティーの香りが鼻を掠める。それに触れたところから伝わる温もりと心地よい心音。ユナンが傍にいる。そんな些細なことにすら幸せを感じて顔を綻ばせる私はやっぱりユナンのことが大好きなんだ。

「今日はとても贅沢な日だね。君の音だけがとてもよく聞こえる」
『…ユナン?』
「こうしていると出会った時のことを思い出すな」

 ユナンとの出会い――思い出すだけでつい笑みが零れてしまう。確かそう、樽の中に果物と一緒に詰まってたユナンを私が最初に見つけたんだっけ。あの時から暗くて狭い所が好きだったんだよね。しょっちゅう村の子供たちにイタズラされて樽ごと転がされたりしてたなあ。

『初めて出会った時、なんておかしな人なんだろうって思った』
「ええ?酷いなあ」
『樽に詰まってる人見たら誰だってそう思うよ。それにさ、ユナンたら樽に詰まった状態で私になんて言ったか覚えてる?』

――「君に会いにきたんだ」

「そう言ったらナマエ樽のフタ閉めて逃げていったよね」
『うん、てっきり不審者だと思って』
「酷い」

 自分の名も名乗らずに突然私に会いに来ただなんて言うもんだから本当にびっくりして、まあ今じゃこれも笑い話だけど。

「初めてだったんだ」

 優しい彼の声が鼓膜を揺らす。

「色々な人の声に耳を澄ましてきたけれど、君のような綺麗な声を聞いたのは初めてで。いつにかこの峡谷で君の声を聞くことが好きになってる僕がいた。そして思ったんだ、いつか君と話をしてみたいって」
『だから会いにきてくれたの?』
「うん」
『大峡谷からすごく遠かっただろうに』
「それでも君に会いたかったから」

 またひとつ笑顔が溢れる。
 思えばユナンに出会ってから不思議と悲しい顔をしなくなった。当然かもしれない。ユナンとの思い出はどれも楽しいものばかりで悲しい顔をする必要なんてどこにもなかったんだから。

『ありがと、ユナン』
「うん?」
『この広い世界から私を見つけてくれて』
「…うん。僕の方こそ、側にいてくれてありがとう」

 あったかい腕に抱かれながら幸せって今みたいなことを言うんだろうなってふと思った。

「フフフ…」
『もう、今度はなに?』
「なんだかとても嬉しくて」

 そう言ってふにゃんと笑ったユナンは私の肩に顔を埋める。

「ナマエの心臓、僕のことが大好きみたい」
『え…』
「僕だって負けてないけどね」

 腰に手を回され寸分なく抱きしめられ、必然と私の顔はユナンの左胸にくっつく。ユナンほど耳はよくないけれどそれでもよく聞こえた。とくん、とくん。少し早い心臓の音。その時漸くユナンの言葉の意味を理解して、私の心臓は更に動きを早めた。

2014.10.27/星の爪先で暮らすのだって君となら怖くない
ゆずと様に捧げます

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -