視界は桜色に染まる。
雲ひとつない晴天の本日、小高に立つ桜たちは一斉に花を開かせた。
時折吹く優しい風によって舞い散る花びらは喩えるなら桜雨。その美しい光景に頬を緩めずにはいられない。
『綺麗だねえ』
「そーかぁ?ただ花が咲いてるだけじゃねーか」
『蛮骨ったら風情ないんだから!』
どうやらこの男に和の風情を嗜もうという気持ちはないらしい。見事に咲いた桜を目にしても、そのつまらなそうな表情は微塵も変化しない。
ただ、蛮骨はまだマシな方だ。
「桜はいいからもう帰ろうぜ?春つったってまだまだ肌寒いじゃねーか…!」
蛇骨にいたっては寒さに気を取られ、桜を眺める余裕すら持たない。
『帰るって、来たばっかじゃん!寒いなら足しまえばいいのに…』
「ぜってーやだ!」
着物の裾を捲って片足を見せるそのスタイルに一体何のジンクスがあるのか。
いくら言っても足をしまわない、そのくせ寒い寒いと足踏みする蛇骨に唯はストールを投げつけ盛大な溜息をついた。
『どうして純粋に桜を綺麗だと思えないかな、まったく…』
「おや、私は綺麗だと思いますよ」
『お、さっすが睡骨!今日はずっとお医者のままでいてね!』
「ハハ…唯さんたら」
兄に甘える妹のようにギュッと腕に抱きつく、そんな唯の頭を撫でつつ睡骨は優しい眼差しを与える。ただ、蛮骨と蛇骨の突き刺さるような冷たい視線を背に感じ取ってからは流石に体を離す。
「…それにしても寺の近くにこんな素敵な場所があるなんて思いませんでした。よく見つけられましたね」
『ここはね、子どもの頃からあたしのお気に入りの場所なんだー』
現代でもここはちゃんと残っている。
小学生から中学生へ、中学生から高校生へ、成長につれて都会化してゆく故郷。それでも唯一変わらないこの場所が大好きだった。
そしてこの度、ここが戦国時代から全く変わらず存在することを知ったのだ。
どんなに嬉しかったか――。
目を伏せ笑みを漏らす唯を包むように桜の花びらが舞う。その光景は息をのむほど美しく、彼女に惹かれている二人だけとは言わず皆が思わず見入ったほどだった。
『ご飯食べよっか!お腹空いたでしょ?』
漸く我に返った蛮骨たちが目にしたのは満面の笑みを浮かべる唯。その両手には風呂敷に包まれた重箱が乗っている。
「それどうしたんだ?……まさかお前が?」
『ううん、お母さんに頼んで作ってもらったの』
「…お前は作ってないんだな?」
『作ってないって!もう仕方ないなぁ、今度煉骨のためにお弁当作ってあげるわよ!』
「結構だ!」
だが、これで一安心。
代表して蛮骨が重箱の蓋を開ければ、美味しそうなおかずが姿を現す。続いて二段目は梅シソが混ぜ込まれたおむすび。重箱の中身が暴かれていく度に一斉に歓喜の声が上がる。
さてさてお次は三段目。
一体何が入っているのだろうか。期待を胸に重箱を持ち上げる。
―しかし、である。
「「「「「!?」」」」」
期待が大きかっただけに、三段目に現れた“それ”は蛮骨たちの心に計り知れないダメージを与えたのだった。
「………唯」
『ん?なぁに、蛮骨』
「おめぇ、作ってないって言ったよな?
なぁ言ったよな?」
『…てへ☆バレた?』
逆に何故バレないと思ったのだろうか。
目にも鮮やかな料理の中に暗黒物質が混ざっていたら流石に気付くだろう。
間に挟めば分からないとでも思ったら大間違いである。
「これは一体何なんだ?」
『見たら分かるでしょ、卵焼きです!』
「「「「「卵ォ!?」」」」」
はて、卵とはこんなに黒くてカサカサしていただろうか。黄色くてもっとフワフワしたものではないのか。
それは自分たちが知る卵とはあまりにもかけ離れていた。
瞬時に青ざめる蛮骨たちに更に追い打ちをかける言葉が唯の口から放たれる。
『さぁ、お腹いっぱい召し上がれ!ぜーんぶ残さず食べるのよ?』
「「「「「(死亡通告来たァァ!)」」」」」あまりの衝撃に叫び声すら上がらない。蛮骨たちは口を大きく開けたまま石化してしまう。
きっと悪意などないのだろう(というかそう信じたい)が、ニコニコと曇りない笑顔を向ける唯に皆は一斉に共通の単語を浮かべずにはいられない。
そう、悪魔だ、と。
*
その後暗黒物質の入ったお重はどうなったのか、真相は想像に任せるとしよう。
腹ごしらえを済ませた七人隊は住処である寺へ戻る支度を始める。
一方で唯は一人彼らのもとを離れ、一番大きな桜の木の前まで足を運んだ。
『ずーっと長生きしてね』
どうかこの景色はいつまでも変わらないでいてほしい。いつか私が成人を迎えても、新しい家族を築いても、皺だらけのおばあちゃんになっても…この先遠い未来の故郷をずっと見守ってほしい。
切なる願いを込めて太い幹を撫でた。
「唯、ぼさっとしてると置いて行っちまうぞー」
『あ…駄目ー!!』
幹に軽く額を当て微笑んだのを最後に、仲間たちのもとへ駆けて行く。
そんな唯の背を押すように桜吹雪は風に舞い、やがては晴天の青へと吸い込まれていったのだった。
桜吹雪ノスタルジー
title by 不在証明
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