『……、ん』
ふと空を仰げば、煌々と輝く太陽。夜慣れした目には刺激が強く、すぐに目を閉じた。
旅を始め、早いもので五日。槻弓を手にした私は昔の様に巫女の勤めを果たし始めた。妖怪の噂を耳にすれば、村人の目に触れぬよう深夜に退治に赴いている。
相手は雑魚ばかりだが、十五年もの空白の時間を取り戻すのは案外難しい。少しばかり疲れ、現在は木に背中を預けて休息をとっている。
しかし、もう十分。木の枝の上で立ち上がると、あてのない旅路を見据えた。その時だった。ガサ、と草の揺れる音が鼓膜を刺激した。
視線を下方へやると、草原の中には人影が二つ。笠を被り、手には錫仗。何だ修行僧かと、大して気に留めず息を潜めて通り過ぎるのを待つ。
すると、森特有の静けさの中で交わされる僧らの会話が自然と耳に入った。
「お師匠様、この地を旅するのはもう止めませんか」
「にわかに何を言い出す」
「村人から聞いた話では、七人隊の亡霊がこの辺りをうろついているそうですよ?」
「く…くだらん!亡霊なんぞに怯えおって…御仏にお仕えする身として恥ずかしくないのか!早く参るぞ!」
「お師匠様!」
師匠と呼ばれた老いた僧はやけくそに前進し、若い僧は慌ててその後に続く。暫くすると二人の姿は見えなくなった。
『七人…隊?』
何故だろう、胸騒ぎがする。僧たちの会話の中に登場した「七人隊」、その単語を聞き取った時からずっと。
一体何なのだ。
原因不明の動悸は未だ治まらない。取り敢えず平常心を取り戻そうと深呼吸をした、刹那――。
パーン
『…!』
乾いた音が森の中、響き渡った。
何だろう、初めて聞く音だ。しかも、そんなに遠くない――。
私は急いで木から飛び降り、音がした方向へと駆け出した。確証はない。ただ、この先に向かえば胸騒ぎの理由が分かる、そんな気がした。
そうして走ること数十分後。漸く森を抜け出せば、人や馬が通るには十分な整備された道が広がっている。
『何だか、静か過ぎる』
気味が悪い。胸のざわつきに圧されて、私は再び走り出す。
それから五分も走ったろうか。今まで大した見栄えもなかった平凡な景色に劇的な変化が現れた。
『これは…っ!』
思わず息を呑む。
道の真ん中にそれはあった。円を書く様に倒れている。兵士の死体だ。二十人はいるだろう。それに、
『毒の匂い』
微かに残るのは毒の匂い。地には刃の痕と血痕。
ここで何があったというのか――…
…――ドクン
『っ…!』
突如、心臓が大きく脈打った。
この感覚は以前にも、そうだ、これはかごめや鋼牙と出会った時に感じたものと同じ。四魂のかけらの気配に違いない。
まさかこの先に例の亡霊が――、
一度疑惑を抱けば、確かめずにはいられなかった。気配を頼りに一心に走り、再び暗い森の中へ足を踏み入れる。
何故、亡霊と聞くと胸騒ぎを覚えるのか。
この時はまだ知る由もなかった。ただ、その理由は確かに向かった先に存在したのだ。
*
強くなる気配に警戒を高めつつ走ること暫く、たどり着いたこの場所は森の深部だろうか。そこで私の目は一人の人物の背中を捉えた。
『その者止まれ!』
肩で息を繰り返し、弓矢を構える。矢尻をその人物の背へ向け、いつでも矢を放てるよう準備を固めた。
だが、その者は私に背を向けたまま、一言も言葉を発しない。
『お前が亡霊か?』
「……」
『亡霊でも言葉は話せるのだろう?』
「……」
挑発してみても、相変わらず沈黙を保つ。背に矢を向けられているのだ、普通なら何らかの挙動を見せてもいいはずなのに…。
流石に不審に思い、私はそこで初めて目前の人物の風貌を観察した。
その者は黒髪を簪で纏め、女物の着物を身に纏っている。また片方の着物の裾を捲り上げ、脚を故意に見せる、奇妙な出で立ちだと思った。
…だけど、同時にどこか懐かしい背中だとも思った。
――私はこの背中を、知っている。
『お前のそのだらしない格好、どうにかならないのか?』
「うっせぇなー。これは…、あれだよ。個性だ、個性!」
走馬燈のように蘇る記憶。脳内に浮かぶは懐かしき友の顔。
「大丈夫だって!俺と兄貴で守ってやっから」
「俺、おめぇのこと、好き…かも」
『お前、まさか…』
しかし、そんなはずは…。何かの間違いだ。あいつがこんなところにいるはずない。
疑惑を打ち消さんと、否定の言葉で頭の中を埋め尽くす。だが、一度浮かんだ人物の顔は消えることはなく。
悪い予感が外れていることを、願うしかなかった。
しかし願いは虚しく。
疑惑は不変の事実と形を変えて、私に降り注ぐ。
『…っ、そんな』
ゆっくりと振り返って、彼が漸く見せたその顔は今の今まで脳内に浮かんでいた友の顔と完全に一致していたのだ。
女と見間違うほど端正で、中性的な顔立ち。
気だるそうな目付きが印象的で。
昔っから何にも変わっちゃいない。
懐かしく、今となっては悲しい思い出の一部でもある――、
『…蛇骨』
――大切な友が、そこにいた。