「クソッ…!逃がすか!」
呆気ないほどに早々と立ち去った七人隊。すかさず犬夜叉達は奴らの背中を追い掛けた。こちらには足の早い犬夜叉と鋼牙がいる。追いつくことは造作ないと思えたが、それを阻むように不意に地面からボコボコと音をたてて狒々の皮を被った男が現れ出る。それは言わずとも知れた存在だった。
「奈落…!」
「どうした葵、少しは嬉しそうな顔をせぬか。せっかく再び愛しい男に会わせてやったというのに…」
奈落は不気味に笑いながら立ちすくんだままの私に向かって言い放つ。その言葉を聞き入れた私は漸くその場から離れ、ゆっくりと奈落の方へと歩みを進めた。
『お前の仕業だな、これは』
「なに、ほんの出来心だ。怒る程のことではあるまい」
『二人に何をした!』
弓矢を構え、その矢先を奈落に向ける。今にも矢を放たんと睨め付けるも、奈落はそんな私を見て不気味な笑い声をあげるだけだった。
『何が可笑しい!』
「……どうやら今のお前は目の前を完全に見失っておるようだ。この奈落の体が、紛い物だと気付かぬ程に…」
『な…っ!?』
突如何かに足首を掴まれ、強い力で前へと引かれる。そのまま仰向けに転ぶかと思いきや太いツルのようなものが体に巻き付き、体ごと宙に持ち上げられた。
「葵!」
「葵さん!」
『クッ…』
奈落が纏う狒々の皮。その裾からは足の代わりに太いツルがいくつも生えていて、それを見て初めて目の前のものが傀儡であることに気付いた。こんなことすら気付けなかった。自分を見失っている証拠だ。
「葵、真実を知りたいか。十五年前のあの日、お前の知らぬところで何が起こっていたか」
『……真実?』
「駄目よ、奈落の言葉に耳を貸しちゃ!」
下方からかごめの必死な声が聞こえてくる。だが今の私にかごめの言葉はほとんどと言っていい程届いていなかった。十五年前の真実、その言葉に心が揺れる。奈落の傀儡はそんな私に追い打ちをかけるように更に言葉を続けた。
「知りたいだろう?蛮骨と蛇骨、二人のあの態度を見ていて苦しくはなかったか?」
『……』
苦しかった。思い出すと今でも胸が痛い。蛮骨の口から真実を聞くことはなく、残ったのは疑問のみ。……知りたい。真実が、知りたい。念仏のように心中で願望を繰り返しながら目を閉じる。
すると気のせいか何処か遠くから声が聞こえた。女の悲鳴や子供の泣き叫ぶ声、何処かで聞いた覚えがある。その声はいよいよ無視出来ない程に大きくなり、恐る恐る目を開いてみる。
その時、私の目に映ったのは真っ赤に燃え盛る炎だった。先程まで犬夜叉達と城にいたはず。なのに周りには誰の姿も見えず、その目に映るのは炎の赤だけ。夜空を見上げれば星も見えない程に埋め尽くされた妖怪達。忘れるはずもない、これは十五年前のあの日と全く同じ光景だった。
「葵!」
『…っ、』
突然呼ばれた自分の名前に体を震わす。振り返ると蛮骨と蛇骨がこちらに向かって走って来ていた。
『蛮…』
そんな二人のもとに寄ろうと私も走り出す。そしていよいよ伸ばした手が蛮骨に触れようかという時だった。
しかし蛮骨達は私に目もくれず、すぐ隣を走って通り過ぎていく。
『え…?』
伸ばした手を引くのも忘れ、その場に固まる。蛮骨の目には自分の姿は映っていなかった。じゃあ彼は何を…。彼らが走って行った先にあったもの。振り返ってそれを見た瞬間、思わず言葉を失った。
それは自分だった。地面に膝をついて俯く自分の姿があったのだ。
「馬鹿野郎、今までどこにいた!」
蛮骨は座り込んでいるもう一人の自分を抱きしめた。彼の背中越しに見る自分は虚ろな目をして、蛮骨を抱きしめ返している。
「もう大丈夫だ、俺がお前を守る。もう何も心配いらねぇ」
『…違う。蛮骨、それは私じゃない!』
どれだけ必死に叫んでも彼らに私の声は届かない。
やがて、偽の自分の着物の裾から光る物が現れ出た。
『…っ!』
それは短刀だった。鋭く尖った短刀を持った偽の自分は蛮骨の背中に手を回す。
そして、
『やめろ!』
必死に叫んだ言葉も虚しく、蛮骨は倒れた。自分の目の前で、自分に背中を刺されて…。
「っ……な…んで…」
『何故?理由などない。興が冷めた、それだけのことさ』
違う…。
『所詮人間は弱い。なのに俺が守る?私を?たわけたことを…』
違う…!
『いい機会だ。お前との関係もここで終いにするとしよう』
「待て、葵っ!」
違う!!
「葵ーっ!」
それは私じゃない
私じゃないのに…。
叫んだ声は、誰にも届かない。