桜色の約束 | ナノ


緊迫が静寂を支配する。その中で鋼牙は遂に口を開いた。そして静かに語り始める。己の身に起きたというその出来事を。

「奴は…凶骨は人間だと言うが、出で立ちは人間とはかなり掛け離れた――小山程ある鬼のようだった」
『凶骨…っ、そやつは凶骨という名なのか?』
「ああ。知ってんのか!」
『…いや。すまない、違うんだ。構わず話を続けてくれ』

身を乗り出し、問うてくる鋼牙に私は慌てて首を横に振った。
勿論、凶骨という者のことは知らない。ただ、少し気になったのだ。理由は分かっている。恐らく、その名があの二人と似ていたから。…未練がましいな。十五年前のことはもう忘れなければ。膝上に置いた拳を固く握りしめ、再び話の続きに耳を傾ける。

「凶骨は、四魂のかけらを額に持ってた。そのおかげで生き返ってたんだ」
『四魂のかけらか』
「そして奴を倒した後、何処からか奈落の毒虫が現れ、かけらを取って姿を消した。奈落は間違いなく関与してる」

話の中に奈落の名が出ると、周りから一斉に息を呑む音が上がる。緊迫感がより一層増した瞬間だった。対し、鋼牙は長らく続いた話に一度句切りをつけんと息を吐く。そして鋭く青い瞳を据え、ある核心に迫る。

「奈落は何処に潜んでる。一体何をしようとしてるんだ」
「ばぁか、それが分かれば苦労しねぇよ」
「知らねぇのかよ!」
「はぁ。私達が知るのはおびただしい邪気がこの地に訪れたということだけ。亡霊のことも初耳ですし」

再び喧嘩を始めそうな二人を宥めるように弥勒が口を出す。すると鋼牙は納得できない様子ではあったが、最後には小さく舌打ちをして立ち上がった。

「今回の亡霊騒ぎ、これでしめぇとは思えねぇ。きっとまだ何かあるはずだ」
『……』
「じゃあな」

不穏を匂わすことをぽつり呟くと、鋼牙は凄まじい竜巻を起こし去っていった。
すると途端、再び静寂。奈落の手掛かりを得たというのに、何故か心にもやが残る。私を襲った謎の胸騒ぎも落ち着きを見せることはない。しかし、鋼牙が立ち去ったことで漸く踏ん切りがついた。

『私もこれで失礼する。世話になった』
「えっ、でもまだ体が。もう少し休んだ方がいいわよ」
『もう平気だ。主らの気配りのお蔭で十分休ませてもらった。礼を言う』
「葵さん…」
「これからどうすんだよ」

犬夜叉の言葉が私の足を止める。
これからのことなど考えているはずがない。私の時間は十五年前のあの日から止まったままなのだ。目を覚ましても、もうあの人の姿もない。

『分からない。落ち着いて一人でゆっくり考えたいと思う』

彼らに背を向けたまま、静かに呟いた言葉は酷く頼りないものだった。だけど、今の私にはこれが精一杯。ひとつ言葉を返せば、後は森の深部へ足を進めるのみ。
とにかく一刻も早くここから去りたかった。
あの者達は温かすぎる。決して恐れなど抱かず、ただ私の身を案じてくれる。
その温かさが心地好かった。だがその反面辛くもあった。十五年前のあの二人の笑顔が重なって、心をえぐられる気がして苦しかったんだ。





*

犬夜叉一行と別れた私は行き先もなく森をさ迷う。一人になれば今後の事を色々と考えるつもりでいたのに、

「葵様、犬夜叉様達と行動を共にしなくてもよかったのか?」
『お前こそ、犬夜叉の傍にいなくてよいのか?』

そう、冥加は未だ私の肩。今は犬夜叉に仕える身であるというのに、困ったものだ。きっと自分の身が危ないだとかそんな理由でしかないのだろうが。

『とにかく、お前は戻れ』
「あっ…!」

指でピンと弾いてやると、冥加は綺麗な孤を描いて飛んでいく。その姿を見納めもせず、私は再び歩み出す。だが、後ろからまさかの言葉を投げ掛けられ、これには息も止まる思いがした。

「葵様っ、あの人間に会いに行かずともよいのかっ!?」
『…っ』

冥加はお節介やきだ。私のためだからとか調子のいいことを言って、昔からコソコソ私のことを嗅ぎ回っていた。だから全て知っているのだ。彼のこと、そして十五年の悲劇を。

『今更会ってどうしろと?』

声が震える。この時、私の頭の中には彼の顔が思い浮かんでいた。子供みたいなあどけない笑顔と別れ際に見た非情な顔。その二つが交互に現れ、私の心を激しく揺さ振る。

『達者で暮らせているなら、それでいいではないか。私にはもう関係ない』
「…葵様」

つらつらと、よくもこれだけ強がりを並べられたものだ。達者で暮らせていればそれでいい、だなんて。本当はそんなこと、微塵も思ってないくせに。

『私は一度自分の人生をふりだしに戻そうと思うんだ』

しかし、私はひたすら強がりを口にする。分かっていたから。もう過去には戻れない。亀裂どころか完全に断絶された関係を修復することは不可能だと。ならば、一度ふりだしに戻る他ないと思った。今まで築き上げてきたもの全て記憶から消し、彼と出会う前の自分に戻る必要がある。

『冥加、私には何時ぞやから異名が付いていたな』
「はあ、確か“暁闇(ぎょうあん)の使者”と」
『…暁闇、か』

暁闇とは夜明け前、月がなく辺りが暗いことを指す。村人が深い眠りに就く未明を選び、人知れず妖怪退治を行っていた私にはいつの間にかこのような異名が付いていた。暁闇の使者と。

『ならば異名通り、闇を歩んで生きるとしようか』

二度と人の温もりに触れることのないように。
二度と人の温もりを失うことのないように。

失う苦しみを味わうのは、もう嫌だから。



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