あの後私はジャーファルさんに支えられて王宮の医務室へと連れられた。少し足元はふらつくけれども体は至って元気だし、もう大丈夫、そう言ったけど念には念をとシン様にも諭されて結局ジャーファルさんにベッドまで運ばせる次第となってしまった。

『重かったですよね、申し訳ないです…』
「重くなんてありませんよ、むしろ軽すぎなくらいです」

 ジャーファルさんの手の平が優しく私の頭に触れる。

「無事に目を覚ましてくれてよかった、本当に…」

 息を呑む。その優しい眼差しに、目が反らせない。遂には先ほど彼に抱きしめられたことまで思い出して顔に熱が集まるのを感じた。
 そういえば、どうしてあの時彼は…。あの時のこと、聞いてもいいのだろうか。

『あ、あの、ジャーファルさ…』
「アリア!」

 その時医務室の扉が勢いよく開いた。姿を現したのはピスティで今にも溢れそうな涙を浮かべて私に抱きつく。

「よかったぁアリア…!」
『ピスティ…』
「アリア、無事か?」

 開いた扉からシン様や八人将の皆さん、アラジンくん達が次々にやってきた。その度に優しい言葉をかけてもらえて申し訳ない気持ちと温かい気持ちで胸がいっぱいになる。

『本当にご心配お掛けしました』
「いや無事で本当に何よりだ。顔色もよさそうだし安心したよ」

 シン様は私の手を包み込むように握り、視線が同じになるよう屈む。

「それでアリア、君はオリエンスを使いこなせるようになったのか?」
『あ……』

 どこか妙な緊張感が走る。シン様の鋭い双眸に息を呑みながらおずおずと口を開いた。

『まだ分からないんです』

 魔装も魔法も気づいたらできていた。そう答えるのが一番適切だと思う。魔装を施して戦っている間、私にあったのはただ南海生物からこの国を守らなくてはという意識だけ。魔法を紡ぐ言葉も今ではよく覚えていない。
 ただ確かなのは…。

『私は一つの記憶を取り戻しました。オリエンスの手によって…』
「…っ思い出したのか!?」
『オリエンスを攻略した瞬間の記憶だけ、ですが…』
「…そうか」

 その時張り詰めていた空気が一気に緩んだ気がしてどこか違和感を覚える。瞬きを繰り返す私にシン様は柔らかく微笑んで立ち上がった。

「まだ無理をする必要はない。暫くここで休むといい」
『大丈夫です、私本当に何とも…』
「アリア」
『…っ』
「今日は一日ゆっくり休んで、また明日から私の手助けをしてください」
『ジャーファルさん…』

 ずるい。そんな風に言われたら頷くしかなくなる。早く仕事に復帰しなきゃ。彼の顔を見ればそう思わずにいられない。なのに。
 シン様に続いて八人将の皆さんも次々と医務室から出て行く。また来るねと笑ってまた去ろうとするピスティを私はそっと引き止めた。

『お願い、ジャーファルさんにもちゃんと休むように伝えて…』
「え?」
『彼、とても疲れた顔してる。私がこんなことになったから一人で仕事大変だったのかも…』
「…それは違うと思うよ」

 キョトンとしていたピスティは徐々に微笑みを深め私にそっと耳打ちする。

「あのね、ジャーファルさんはずっとアリアの側についてたんだよ」
『へ…?』
「看病変わるって言っても頑なに側を離れなかったんだから。ずーっとアリアのこと独り占めにしてズルいよね」
『え…えっ?』
「じゃあ、ジャーファルさんにはしっかり伝えておくから安心してね」

 言葉の意味がすんなりと頭に入ってこない。混乱のままにしどろもどろな言葉を紡ぐ私に眩しいウィンクをしてピスティは医務室から出て行く。それから暫く私の顔は真っ赤に染まったまま、心臓の鼓動が落ち着くまでジッとしている他なかった。






 夜の医務室は昼より更に静まりかえっているように感じた。誰かが廊下を歩く気配も感じられなくて、寝返りをうつ度にベッドが軋む音がやけに大きく響く。
 真夜中の医務室、私はベッドの中で何度目か分からない寝返りをうっていた。考えてみれば丸三日ぐっすり眠っておいてすんなりと眠れるわけがない。でも明日から仕事に復帰だし、また疲れた顔をしては休めと言われかねない。ギュッと目を瞑ってもう一度寝返りをうつ。その時だった、冷たい風が肌をそっと撫でた。あれ、私窓開けてたっけ。うっすらと目を開けると確かに窓が開きカーテンがゆらゆらと波打っている。

『…?』

 不思議に思いながらもベッドから抜け出して窓へゆっくりと近付く。

『…っ!?』

 窓を閉めようと手を伸ばした刹那のことだった。
 突然の気配。背後に一人。男。それだけ察すると考えるより早く体が動く。体制を落として回し蹴りをすればその男はいとも容易く地面に倒れこんだ。すかさず馬乗りになって手刀を首に宛てがう。

「ちょっ!?ちょっと待っておくれ!」
『…?』

 下から聞こえる声からは全くといっていいほど殺気が感じ取れなかった。
 月が雲間から顔を覗かせ、部屋内が徐々に明るくなり男の顔がようやく眼下に晒される。灰色の長い髪を緩く三つ編みにしたその男の人は今の状況にそぐわない穏やかな表情を浮かべていた。

「驚かせてごめんよ。でもここには内緒で来ているんだ。バレるとシンドバッドがうるさいからね」
『あ、あなたは…?』
「僕のことまだ思い出せていないかな」
『え…?』
「僕はユナン、旅人さ。君とは子供の頃に一度会ったことがあるよ」

 あまりにも自然に放たれた衝撃な事実。この時、私はすぐさまこの言葉の意味を理解できなかったんだと思う。彼、ユナンさんは当たり前な顔をして私と面識があると言う。それでも私はすぐさま取り乱したりはせずにただパチパチと瞬きを繰り返して彼を見つめた。

「元気そうで安心したよ。前までは君の楽しそうな声がいつも聞こえていたのに最近ぱたりと聞こえなくなったからね」
『声?』
「ああ、僕は耳がとてもいいんだ。普段はここからすごく遠く離れたところに住んでいるけど、みんなの声は全て聞こえているんだよ」

 ユナンさんは床に落ちていた帽子を拾い上げると、くるりとこちらを向いて柔らかく微笑む。

「もう少し君と話がしたかったけどもう行くよ。そろそろ彼が来てしまうからね」
『彼、って…』
「君が会いたがってる人、だよ」

 それを聞いて脳裏に浮かぶひとりの人。途端胸がキュッと熱くなる。

「ああ、僕がここに来たことは…」
『内緒、ですか?』
「ふふ、いい子だ」
『あ…』

 開いていた窓から瞬く間に姿を消してしまったユナンさん。何だか不思議な人。でも悪い人じゃない、そんな気がする。窓を閉めてベッドへと腰を落ち着かせる。


「…アリア?」
『…っジャーファルさん』

 不意に静寂を割った優しい声にどうしようもなく胸が高鳴る。

「眠れないんですか?」

 その問いかけに躊躇いがちに頷くとジャーファルさんはこら!と口では怒りながら、それでも困ったように笑った。実は分かってました。そう言って差し出されたのはよい香りのするハーブティ。私の大好きなカモミールのハーブティ。どうしてか涙が出そうになる。

「他に欲しいものはありますか」
『…っいいえ、充分です』
「そう…。ハーブティ、温かいうちに飲むんですよ」

 おやすみ。その言葉がとても寂しくて。
 もう、止められなかった。

『あ、あのやっぱり一つだけっ…欲しいものが…』

 緊張からか少し大きくなってしまった声にジャーファルさんは驚いたように目を丸める。
 恥ずかしい。そんな感情も今はどこかへ行ってしまったみたい。

『少しでいいんです』

 ただ、あなたが好きで。

『時間を…』

 少しでも一緒にいたい。
 ただ、それだけ。

『あなたの時間を、私にください』

 それがどうしてこんなにも苦しいのか分からないけれど。


もういいかい
そろそろ隠れるのはやめようか

(勿論、いいですよ)
(ほ…本当ですか)
(君が望むならいくらでも)

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