(side Jafar)


 何もかもが予想外だった。
 東海岸沖に二体の南海生物が確認された。兵士よりそう報告を受け、王の命により我ら八人将が東海岸に召集されたのだが、その場に広がっていた光景は奇しくも報告とは全く異なるものだった。辺りを見回すも南海生物の姿は一体も見られない。ピスティに東海岸へと向かってもらい上空から海の様子を伺わせたが、国に危害を及ぼすと考えられる生体は確認出来なかったという。

「海中深くに身を隠しているだけかもしれん。皆気を抜くな」

 シンの一声に皆表情に緊張の色を浮かべた。その時だった、数人の兵士達が顔を真っ青にしてこちらへと掛けてきた。

「報告致します!北海岸沖にアバレウツボを確認!現在宮殿内に向かって進行中…!」
「何?次から次へと厄介だな。ヤムライハ、ピスティ、お前たちは早急に王宮へ向かえ!」
「「はい!」」

 ヤムライハは浮遊魔法で、ピスティは傍に従えた鳥獣の背に乗り、王宮へと飛んで行く。二人の姿を見送る一方で私は妙な違和感と胸騒ぎを覚えていた。
 何かが、おかしい。シンと私達八人将が王宮から遠く離れた場所へ集まった刹那に真逆の方角から攻めてくるなど、これはまるで。

「もしやこちらは陽動か」

 この状況に違和感を覚えていたのは私だけではないようだ。ドラコーン将軍は目を細め静かに呟く。

「初めから王宮を狙うつもりで俺たちをここにおびき寄せたのだとしたら…」
「それではこの南海生物は知能を持っているということか?しかし、王宮を狙うといっても一体何のために…」
「…っ」

 アリア。
 ふと、彼女の顔が脳裏をよぎる。
 考え過ぎだろうか。この辺り彼女の身に想定外の事象が起きることが多かったせいか神経質になっているだけか。しかしその考えとは裏腹に心臓は激しく脈打っていた。
 暗殺者時代に培った危機察知の能力は今でも衰えてはいない。

「王よ、伝令です!南東海域に新種の生物を確認、しかも当時漁を行っていた一般市民の子供がこの生物に攫われたとのこと!」

 新たな伝令にどよめきが一層増した。
 この短時間で二箇所からの同時侵攻、最早偶然と呼べなくなってきた。

「とにかく攫われた子供の身が心配だ。早く助けに…」
「私が参ります」

 いち早く声を上げた私にシンは一つ頷き、頼んだと答えた。すぐさま衣を翻し南東方角へと急ぐ。この異様な事態を市街の人々も感じ取ったようで、寄り集まって情報を交換したり子供を屋内に避難させるなど一帯が不安に包まれていた。決して海岸沖に近付かないよう私自身も声を上げながら南東海岸沖へと走っていると、ある時背後から追いかけてくる一人の気配を察した。

「俺も行きます」
「マスルール」
「ジャーファルさんも感じますか?何なんスかね、この嫌な感じ」
「…ええ」

 そう、まるで何者かに操作されているかのような出来過ぎた展開。そして私たちはその上で完全に躍らされている。不愉快極まりない。腹の底で擽る苛立ちに拳を固く握る。

「…っ、ジャーファルさん」
「どうしました」

 突然マスルールが背後で足を止めた。振り返れば彼の様子がいつもと違う。あまり表情には出さないが、付き合いが長いこともあり気付いた彼の、動揺。

「マスルール?」
「…匂いがするんです」



 “アリアさんの。”


 息を呑む。
 アリアが近くにいる、そんな馬鹿なことがあるだろうか。彼女は今も王宮で眠りについている。それともこの騒ぎの合間に目を覚ましたとでも?
 頭の中でグルグルと思考が渦を巻く。落ち着け。冷静に考えろ。自らに言い聞かせ目を固く閉じる。その時だった。突然側から「あーっ!」と幼い声が上がった。反射的に顔を上げた先では小さな男の子がもの珍しそうに目を輝かせ空を指差している。私はその方向を辿るようにゆっくりと空を見上げた。

「あれは…」

 上空に架かる一本の光の筋。それは王宮から私たちが向かっている南東方向へと一直線に伸びている。凄まじい速さで伸びる光の直線は南海生物の近くまでくると止まったように思えた。

「(何だ、あれは……人?まさか、シン?いや…)」

 目を凝らし捉えた人の姿。最初こそ魔装を施したシンがそこにいるのかと思った。だがその姿は明らかにシンより一回りも二回りも小さい。あれは女性だ。
 それに、空にたゆたう白銀の長い髪は奇しくも見た覚えがある。そう、数日前この国に突如現れたあのジンと同じ。
 では、あそこにいるのは――。


 その者が金属器らしき黄金の杖を両手で持ち構えると空は眩い光に包まれる。あまりの眩さに目を細めながらも、その光が大きな一本の矢の様となり、南海生物の胸を貫く瞬間を確かに目にした。
 断末魔を上げそのまま後ろへと倒れる南海生物は未だ子供を掴んでおり、彼女は倒れる南海生物を追うように飛んでいき私の視界から姿を消した。

「ジャーファルさん」
「…っ」

 息を忘れる、いつにかそんな錯覚に陥っていた。隣を向けばジッとこちらを見つめるマスルールが。大丈夫ですよ。微笑みを浮かべてそう言うと、彼は無言でコクリと頷いた。






 息も絶え絶えに南東の海岸沖にたどり着いた時にはどういう訳か南海生物の姿は跡形もなくなっていた。その場には既に兵士が数名到着し、南海生物に捕まっていたと思しき少年が保護されている。大きな声で泣き喚いているが、見たところ怪我もないようでホッと安堵する。

 そして、私の目は自然と彼女の姿へ縫い付けられた。
 魔装の姿のまま一人波打ち際に佇み、海を見据えている彼女の表情はこちらから伺えない。心臓が早鐘のように鼓動する。
 
「アリア」

 震える声でそっとその名を呼んだ。
 ゆっくり、ゆっくりと振り返った彼女は私を見て柔らかく微笑む。蒼と深緑のオッドアイに、地まで届く銀色の髪、全身を纏う煌びやかな装飾。その見目全てにおいて変化しているが、彼女は確かにアリアだった。

「…っ」

 一歩。一歩。彼女の元へ歩いていく間にも心臓は激しく脈打っている。やがてその距離が縮まり、その手を伸ばす。彼女もまた私に手を伸ばして足を踏み出した。

「!」

 ぐらり、突然アリアの体が前屈みに傾く。咄嗟に両手で受け止めたその刹那、彼女の魔装はサラサラと解けていった。魔装の解けた彼女の体は私の腕の中にすっぽり収まる形で落ち着く。

『随分と…』

 もう何日も聞くことができなかった優しい声。

『随分と長く眠っていた気がします。魔装だけでこんなに疲れるなんて私まだまだ未熟ですね』

 いつもと変わらない屈託のない笑顔。

『でも、あの子のこと助けられてよかった…』

 そう言って溜息をつく彼女は安堵の表情を浮かべていて。

「(ああ…)」

 瞬間、ずっと張り詰めていたものが切れた気がした。


『えっ…!?ジャーファルさっ…』
 
 耳元でアリアの驚きの声が上がる。彼女の小さな体はいつの間にか私の腕の中に閉じ込められていた。その行動は無意識だったが、我に返ってもなお私はアリアをきつく抱き締めて離さなかった。



彼女は確かにここにいる。
君の声色で溶け出す心臓

(おい何がどうなってんだ。これは一体…)
(先輩ちょっと黙ってください)
(んなっ…!)
(マスルールの言う通りだな。話は後だ。今はこのまま見守ろう)

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