(side Jafar)


 それは、あまりにも鮮明な夢だった。
 ぽたりぽたりと真っ赤な血が滴り落ち、地に丸いシミをいくつも作る。やがてシミは一つに集まり海のようになって徐々に地面を侵食していった。

「………アリア?」
 
 まさか、そんな…。
 血の海の上で呆然と立ち尽くす。目前に倒れていたのは今にも事切れそうなアリアだった。彼女の身を包むシンドリアの官服は血でベットリと濡れ、ほんのり桃色だった頬は今や雪のように白くなっている。

『ゲホッ…あ、っぁあ……』
「…っ…アリア!」
『カハ…っ…ジ…ジャー…ファ…ルさ…』

 喀血を繰り返しながら弱々しく私の名を呼ぶ彼女を抱き起こした。氷のように冷たいその体を腕の中に収めていると怒りがフツフツ沸いてくる。アリアをこんな目に合わせたのは、一体誰だ。

『ど…して…』
「!」

 光が消えゆく彼女の瞳からつうと涙が零れる。「どうして」その先の言葉は声にならずとも何となしに予測できた。

「(…そうだ、私が、)」

 私が彼女を一人にしたから、あの場に置き去りにしてしまったからアリアは…。
 彼女がこうなるきっかけを作ったのは他の誰でもない、この私だ。







「ジャーファル!」

 私の名を呼ぶ、その声で静かに目を覚ました。どうやら椅子に腰掛けたまま首を垂れて眠っていたらしい。どうりで首が痛むわけだ。首に手を添えながら顔を上げると険しい表情を浮かべたシンが目に入る。

「シン…」
「ひどい顔だぞ。一体何日間寝てない」
「何を今更、睡眠不足などいつものことです」
「まったくお前というやつは…」

 ため息ながらに肩を竦めたシンは私の隣に並ぶ。

「それで、アリアは相変わらずか」
「…はい」

 私たちが揃って向ける視線の先にはアリアの姿があった。ただ今の彼女はいつものように微笑みかけてはくれない。「まるで眠り姫のようじゃないか」目を伏せて静かに笑うシンに確かにと納得する。白いベッド上で身動きひとつせず眠り続ける彼女はさながらおとぎ話に出てくる眠り姫。その様は美しく、同時に滅多なことでは起きないのではないかと不安になるほどだった。

「一層のこと口付けてやれば目を覚ますかもしれんぞ王子様?」
「何馬鹿げたことを言ってるんですか」

 何より私が王子様だなんてあまりにも滑稽でしょう。口角を僅かに上げて答える。思えばアリアがこのような状態になってから久々に表情を変えた気がした。

 ――壮麗と敬愛のジン、オリエンスがシンドリア王宮に現れ、騒然となったあの日からもう3日。
 アリアのジンとして今後も力を与えることを約束したオリエンスは呆気なくもそのまま姿を消してしまった。だが、その際放たれた強い光により私たちの視界は一時的に奪われ、次に目を開けた時には気を失ったアリアだけが取り残されていたのだ。以降今までアリアの意識は戻らない。あの光の中で彼女に一体何が起きたのだろう。もし、もしも彼女が目覚めた時、前の彼女とは異なっていたら…。そのことを考えると全身が粟立つ。

「…取り敢えず今日のところは自分の部屋に戻って休め。アリアのことなら心配するな。今からアリババくんたちが来て見ててくれるそうだ」
「平気です。今日は仕事もひと段落しましたし、今晩は私がついています」
「今晩はじゃなく今晩も、だろう?」
「……参りましたね、ご存知で」

 お見通しだと言わんばかりの顔をするシンに薄い笑みを返す。見栄を張って自分の気持ちに嘘を付くのはもうやめた。シンにも大分前から見破られているのだ。今更アリアへの気持ちを下手に隠し通そうとは思わない。

「…ジャーファル、前にも言ったがアリアのことはお前だけの問題じゃないんだ。心配なのは分かる。だが、だからと言ってアリアを独り占めすると皆が妬いてしまうだろう?」
「そんな、独り占めだなんて…」
「ピスティがものすごい勢いで俺に言ってきたぞ。ジャーファルさんがアリアを独り占めするーってな」
「…まあ、あの子が言いそうなことですよね」

 熱を持った頬を隠すように顔を背ける。
 でも、確かにその通りだと思った。ピスティは以前アリアを唯一無二の親友だと嬉しそうに語っていた。何もピスティだけではない、皆がアリアを心から大切に思っていることは重々理解している。それを考えるとやはり自分は信頼を置く仲間たちに対して申し訳ないことをしているのだ。

「…アリババくんたちはいつ来てくれると?」
「そうだな、各々修行も終わる頃だろうからそろそろじゃないか?」
「では彼らが来たら看病を交代してもらうとします」

 その言葉が予想外だったのか、シンは一瞬キョトンとしたがすぐさま表情に笑みを浮かべて「ああ、そうしろ」と答えた。
 その時、ちょうどよく扉をノックする音が聞こえてきた。早速子どもたちが来てくれたのだろうか、そう思って返事をする。しかし開いた扉から姿を現したのは子どもたちではなく一人の兵士だった。

「失礼します!王よ、東海岸沖に南海生物が二体出現しました!」
「何?まったく、こんな時にか…。分かった、すぐに行こう」

 部屋の扉が閉まるとシンは静かにため息を漏らす。「行けるか、ジャーファル」隣から聞こえてきたその声からは珍しく私への気遣いが読み取れた。

「何をお尋ねになります、王よ。私が勤めを放棄する人間に見えますか?」
「ハハハ、そうだったな」

 そう言って軽やかに笑うシンにつられて静かに笑みを漏らしながら、眠り続けるアリアを見やる。

「安心なさい、これからアリババくんたちが来てくれますよ。私も、また会いにきますから…」

 語りかけるよう頭をそっと撫でる。
 その時、全く表情を変えずに眠り続けていたアリアの口元が僅かに弧を描いた。

『ありがとう…ジャーファルさん…』


この手を離さない
君が幸せを掴むその時まで

(驚いた、寝言ですか…)
(お前の言葉がちゃんと届いたんだろう。まったく、お前たちにはいつも妬かせられる)
(えっ…)

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