アリアが政務室に来ない。既に就業時刻を告げる鐘は鳴り終わったというのに、彼女は一体どこで何をしているのだろうか。

「アリアさん遅いですね、珍しい」
「ええ、本当に」
「もしかして何かあったんじゃ…」
「…っ!」

 ガタン。勢いよく椅子をひいて立ち上がると大きな音が鳴った。空気が止まり、部下たちの視線が一斉に私へ向く。ハッと我に返るも、椅子から立ち上がった状態のまま視線を揺り動かすことしかできない。そんな私を見た部下の一人が「探しに行ってきます」と慌てて駆け出した。しかし何故か私はそれを止めてしまう。

「私が行きます」
「え、ジャーファル様がですか!?し…しかし、」
「先に仕事を始めていてください。すぐに戻りますから」

 時たま自分で自分の行動が理解できない時がある。しかもアリア関連に限って。

「ジャーファルさんはアリアに過保護なんですよ」

 それは彼女が食堂を出て行った後、シャルルカンに言われた言葉である。確かにそうなのかもしれない。それでも足が勝手に動いてしまうのだから、目が無意識に彼女の姿を探してしまうのだから仕方ない。仕方のないことなのだとひたすら自分に言い聞かせて政務室を出た。
 駄目元ですれ違う人に尋ねると意外にもすぐに彼女の所在が分かった。その者が言うにはアリアは真っ赤な顔をして二階のバルコニーに向かっていたらしい。きっと食堂での一件が原因だろう。顔を真っ赤にしている彼女がふと脳裏に浮かんで笑みを零した。

「アリア…よかった…」

 確かに彼女の姿はバルコニーにあった。最悪顔を上気させて失神しているのではないかと思っていたので、見慣れた横顔を遠目で確認して安堵する。
 しかしそれも束の間。バルコニーへと近付くにつれ、彼女の隣にもう一人の姿を見つける。その人物が白龍皇子だと分かった瞬間に背筋が凍った。接点のないはずの二人がどうして一緒にいるのだろうか。

「お話のところ失礼します」
『…っ!ジャーファルさん…』
「あなたは、確か八人将の…」
「私の部下に何か御用でしょうか?」

 白龍皇子から困惑の声が漏れた。恐らくは関係性がよく掴めていないのだろう、私とアリアの顔を交互に見回す。

「いえ…偶然彼女の姿が目に留まり、この国のことを色々と尋ねていたんです」
「そうですか。何か失礼を致しませんでしたか?」
「とんでもない。良い部下をお持ちで」
「それはどうも」

 自分の口からこんなにも刺々しい声が出たことに驚いた。白龍皇子の顔が引き攣っているように思えたが、構わず笑顔で言葉を続ける。

「彼女を返してもらっても?仕事には彼女の助けがどうしても欠かせないので」
「え、ええ勿論」

 最後に笑顔で会釈をしてバルコニーを後にする。背後からは絶えずパタパタとアリアの足音が追いかけてきていたが、私は振り返ることをしなかった。
 しかし暫くして後ろからバタンと大きな音が聞こえた。そこで漸く足を止める。嫌な予感がする。振り返ると思った通り、彼女は床に倒れこんでいた。

「ちょっと、何があったんですか!」
『あ…足が縺れて…』
「相変わらずそそっかしいですね。何もないところで転ぶのは君ぐらいだよ」
『お恥ずかしい限りです』

 彼女は顔を真っ赤にして俯く。
 静寂が支配する。僅かな間の沈黙がまるで永遠のように思えた。

『ごめんなさい。怒ってますよね』
「どうしてそう思うんです」
『だって、私仕事に遅刻したから』
「……」

 違う。バルコニーで彼女と白龍皇子の姿を見つけた時、私の中にあったのは怒りではない、恐怖だ。いつ例の暗殺組織が彼女の生存に気付くか分からない中で、外からやってきた人間と安易に関わる。これほど危険なことはない。
 きっと誰もがこう言うだろう、お前は考え過ぎなのだと。その通りかもしれない。冷静を取り戻した今になって思う。一国の政務官として、王に仕える者として他国の皇子に対するあの態度は不適切であった。もっと慎重になって色々な視点から状況を見極めるべきだったと。しかし、もしこれがきっかけで彼女の記憶を紐解く何かに繋がれば?彼女の存在が国外に露見すれば?そのような考えが脳内を占めればまた同じことを繰り返してしまいそうで。自分を見失いそうでたまらなく怖い。

「怒ってなどいませんよ。あの状況では致し方ないでしょう」
『……』
「…でも、心配しましたよ。仕事熱心な君だから尚更のこと、何かあったんじゃないかと」

 息を呑む音がした。漸く顔を上げた彼女は濡れた瞳を細かに揺らしている。

「そんな顔をしないで。気持ちを切り替えて仕事に戻りましょう。今日も忙しいですよ」
『はい。あっ、あの…』
「ん?」
『一つだけ、聞いてもいいですか?』
「何でしょう」
『どうして私の名をアリアと?』

 それは、聞かれたくない言葉の一つだった。遠慮がちに私の官服の袖を引っ張りながら、澄んだ瞳が私を射抜く。心臓がひどく脈打つのを感じる。私は今、ちゃんと笑えているだろうか。

「それは、あの時言ったでしょう。君によく似合う名前だと思ったんです」
『…そうでしたよね。変なこと聞いてすみませんでした』
「…白龍皇子に何か言われたんですか?」
『いえ、彼とはその、ただの世間話をしただけですよ』

 語尾に向かって小さくなる声に狼狽える視線。嘘をつく時の彼女のクセだ。記憶が無くとも体は覚えているのだろう。そのクセは昔と全く変わっていない。しかし今の私に彼女の嘘を責める資格はなかった。私とて彼女に嘘をつき続けているのだから。

 彼女への恋慕と罪の意識が渦巻く。
 人を想うことがこんなにも苦しいだなんて、思ってもみなかった。


あいするからくるしい
きっと君は笑うだろうね

(さっき白龍皇子に言ったこと、本当ですか?私が仕事に欠かせないって)
(勿論。君はもう立派な補佐官、私にとって欠かせない存在ですよ)
(…嬉しい。私、もっと頑張りますね)
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