「これが官服です。インク汚れを防ぐために前掛けは必ず付けてくださいね」
『は…はい』
「では後ほど」

 ジャーファルさんの笑顔を最後にパタリと扉が閉められた。与えられた官服を手にしたまま、私は広い部屋の中に立ち尽くす。随分と広く立派な部屋を頂いてしまった。何だか落ち着かないけれど、取り敢えず官服に着替くては。一度深呼吸をして身に纏う衣服に手を掛ける。
 だがその時、トントンとつい今し方閉めた扉からノックの音が聞こえた。ジャーファルさん、何か渡し忘れたものでもあったのだろうか。大して不審も抱かずに扉を開ける。しかしそこにいたのはジャーファルさんではなく、はたまた予想にもしなかった人物だった。

「ハーイ!」
『えと、確かあなたは…』
「ピスティだよ。よろしくねアリア」
『あ、はい!』

 にこりと愛らしく笑って差し出された小さな手を握る。彼女はそのまま両手で私の手をギュッと握りしめた。

「ねえねえ、今から一緒に市街まで服買いに行こうよ」
『えっ、でも私今から…』
「官服着るんでしょ?」

 分かってるってー。
 そう言って軽やかに笑うピスティさん。分かっているならどうして市街へ行こうなどと言うのだろう。首を傾げていると、彼女は一層笑みを深める。そして何とあろうことか私の手をぐいぐい引っ張っていくではないか。

『ピスティさん!?』
「官服だってオシャレにキメなきゃ。私が選んであげる!」
『でも私、これからお仕事が…』
「あ、ジャーファルさん。ちょっとアリア借りるねー!」
「はい、どうぞ……って、え、ちょっと!」
「これでよーし!」

 どこがよしだ。待ちなさい!と後ろからジャーファルさんの必死な声が追いかけてくるじゃないか。私は恐ろしくて振り返ることもできない。だって見てしまったのだ。先程ヤムライハさんとシャルルカンさんの喧嘩に巻き込まれ水浸しになった彼が一瞬見せた黒い顔を。その時瞬時に理解した。この人は絶対に怒らせてはならないと。なのに決意をして間もないうちにこれである。

『ジャーファルさんに怒られる』

 顔を青くする私をよそにピスティさんは大丈夫大丈夫と笑っている。何だろう、流石八人将といったところか。たくましいのか、それともただ単に命知らずなのか…?何故か嬉しそうに歩くピスティさんに引きずられながら私は王宮に帰った際の言い訳を必死に考えるのだった。
 けれど、実際シンドリアの市街を目にすれば一転暗い気分は嘘みたいに晴れ渡った。眼前にひろがっていたのは衣服屋だけではない。お洒落な雑貨屋や新鮮な果物を売る屋台まである。ピスティさん曰く今日はレームという国から商団が訪れており、一層賑わっているのだそう。なるほど路上には珍しいものばかりが立ち並び、見るもの見るものに心を奪われる。私は時間を忘れ、心ゆくまでピスティさんとお買い物を楽しんだ。




『ピスティさん、今日は本当にありがとうございました』

 空は茜色に染まっている。もうじき日は沈み、夜が訪れるだろう。私たちは両手に買った品を抱え、王宮への帰路を歩き始める。

「そんなに畏まらなくていいよ。敬語もいらないし、ピスティって気軽に呼んでくれていいんだぞ?」
『でも、』
「それにね、私こそアリアにお礼を言いたいんだー」

 ほんの一瞬だったけれど、ピスティさんの表情が悲しく歪んだ。

「こうして女の子とお買い物するの夢だったんだー。私、女友達はヤムしかいないし、ヤムはヤムでいつも実験に夢中で全然付き合ってくれないから。だから今日は本当に楽しかった」
『ピスティさん…』

 私だって、私だって同じ気持ちだ。アラジンくんたちの言葉で大分救われたものの、それでも異国の地で暮らしていく上で色々と不安があった。それがどうだろう。ここに来て初日でこうして街まで連れてきてもらい、珍しいものを沢山目にして、お洒落を知ることもできた。いつの間にか不安なんて消え去り、心から楽しんでいる自分がいた。

『また連れてきてもらってもいい?』
「え?」
『私も、私もとても楽しかったから。誰かと仲良くお買い物が出来るなんて思ってもみなかったもの。またこうやってピスティと一緒に楽しくお買い物がしたい』
「アリア…」
『だから、よかったら私とお友達になってください』

 差し出した手は緊張からか震えている。けれど受け身だけではいけない。ここへ来るまでに様々な人に手を差し伸べてもらった。私だって自分から踏み出していかねば。

「勿論だよ」

 不意に手の震えが止まる。見下ろせば私の手はピスティによってしっかり握られていた。彼女の瞳には薄っすら涙が浮かぶ。

「友達になってくれてありがとう」
『こちらこそ、ありがとう』
「『よろしくね』」

 固く繋がれた手は、とても温かった。


微笑む午後
瞼の裏でふたりが笑う

(こんなに買ってしまって本当に大丈夫なの?)
(大丈夫、お金ならシンにたっくさん貰ったから)
(え、シンドバッド様が?)
(うん、上目遣いでお願いしたらすぐくれたよ?)
(…大丈夫かな、ここの王様)

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