『ねぇ。蛮骨にとっての幸せって何?』
「何だよ、藪から棒に」
『深い意味なんてないよ?ただ蛮骨のこと、沢山知っていきたいなって思っただけ』あれは俺等が出会ってまだ日も浅い頃。
突拍子もなく名前が口にした一つの疑問に随分と頭を悩ませられたことを覚えている。
今までロクな生き方をしてこなかったのだ。幸福とはほぼ無縁。それどころか自分の口から幸せという単語が出てくることにすら滑稽に感じる。
結局幾ら考えても答えを見出せず、名前の問い掛けにも答えてやれない。
自分にとっての幸せは何か。
ただ、それだけのことなのに…。
しあわせの定義
(What's your happiness?)晴天の空を悠々と泳ぐ雲の純朴さが目を焼く、そんな一日。
戦を終えるとすぐさま住処へと戻り、その足で自室に向かって廊下を突き進む。すると、ちょうど部屋の前の縁側にて柱に寄り掛かって眠る名前の姿を見つけた。
健やかな寝顔でこくりこくりと船を漕ぐ、その愛らしい姿に緩む口元。
こんなところを蛇骨なんぞに見られれば、きっとしつこくからかわれるだろう。
そう思い口を堅く結びつつも、部屋から持ち出した羽織をそっと名前に掛けてやる。
起こさないよう注意を払ったつもりが、その刹那に名前の長い睫毛が僅かに震えた。
そしてゆっくりと開かれる瞼。眠さからか潤んだ瞳に俺を映せば、途端に顔を綻ばせる。
『おかえりなさい』
「ああ」
『あたしったら、思わず寝ちゃった。折角迎えに行こうと思って準備してたのに…』
「わざわざ毎回出迎える必要もねぇだろ。それよりしっかり身体をいたわれよ」
『戦えないあたしに出来ることといったら疲れて帰ってくる皆を笑顔で出迎えることぐらいでしょ?』
そう言って子供の様に口を尖らせいじけてみせるも、次には自分の腹を大事そうに撫でながらはにかむ。
『それに、休んでばかりいたらこの子まで怠け者になっちゃいそうで…』
名前が愛しそうに撫でている、その腹はここ数ヶ月の間で大分大きくなった。
睡骨によればもうそろそろ出産の頃合いらしい。赤子が出来たと名前から告げられてからここまで随分と早く感じたものだ。
いよいよ俺も人の親になる。そんな日が来るだなんて自分自身でさえ予想しなかった。
人の運命とは本当に不思議なものだと今になって思う。名前に出会わなければ、この思いも全て泡沫に帰していただろうに。
『あのね、さっき夢を見たんだよ』
「夢?」
『あたしと蛮骨と生まれてくるこの子、三人で手を繋いで歩く夢。ただそれだけのことだけど、凄く幸せだったな』
「まるで叶わない夢でも見た様な言い草だな。もうじき正夢になるじゃねぇか」
『…そうだね。その日が来るのが待ち遠しい』
頬をほんのり赤く染めて笑う名前に魅了されている自分に気付く。
いつからこんなにも惹かれるようになったのだろう―。
いつからこんなにもかけがえのない、大切な存在になったのだろう―。
『…えっ?』
名前の肩を抱いて小さな体を引き寄せた。
最初驚いた表情を見せていた名前も今の状態を悟れば次第に頬を赤らめていく。
その瞳に映るは勿論俺の姿。
ただそれだけで心が満たされるのを感じた。
『蛮骨…?』
未だ不思議そうに目を丸め、顔を覗き込んでくる名前に俺は一度だけ笑い掛けてそっと唇を重ねる。
あの時、幾ら考えても見出せなかった幸せの定義。今ならきっと導き出せる、そんな気がした。
fin.
(後書き)
今回ユエ様からのリクエストで蛮骨甘夢を書かせていただきました!
ユエ様にも読んでくださった全ての皆さんにも喜んでいただけたら嬉しいです。
企画へのご参加、ありがとうございました!
2012.11.22
蓮
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