どれくらい眠っていたのだろうか。
ぼんやりと霞む視界も時間が経てば、段々とクリアなものになっていく。
『…ん。』
周りには見慣れた家具。それで今自分は自室にいるのだと悟った。
また視線を襖の方へ移動させたところ、障子紙はオレンジ色の優しい陽の光に染まっている。恐らく刻限は夕方か。
『……蛮骨』
布団に横たわる自分の傍には蛮骨の姿。私の手をしっかりと握り、胡座をかいた状態でこうべを垂れて眠っている。
どれくらいの間、こうしてそばについていてくれたのだろう。それを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。同時に自分の弱さや情けなさに無性に腹が立った。
私は、今まで戦へ赴く七人隊のみんなを笑って送り出してきた。いつの日かみんなと一緒に戦いたい、そんな思いを胸に秘めて。
みんなが戦場で奮迅しているであろう間、私は住処で鍛錬に励む。いつ命を失うやも知れない、そんな現場で生き残ってきたみんなに比べれば力は劣るだろう。しかし数月が経てば、我ながら満足できるほどの武術を身につけることができた。
そして今回、私も参戦することを秘かに決めたのだ。そう、みんなには内緒で。
住処で大人しく待っているだろう私が突如戦場に姿を現せばきっとみんな驚くだろう。それでもよくやったと褒めるみんなの顔を想像して、私は戦場へ駆け出して行った。
だけど現実はそんな甘いモンじゃなかった。
溢れ返る死体、血気盛んに刃を交じり合わせる武者たちを目の前にして私は体を震わせることしかできず。その上自分に斬りかかろうと向かってきた武者を目にして気を失ってしまったのだ。
それでも無事に住処に戻ってきているということはみんなに助けられたのだろう。
みんなの力になるどころか、逆に迷惑をかけることになるとは…。本当に情けない。
『ごめんね…』
眠る蛮骨に向かって静かに呟いた。
――まさにその時。
「…っ…」
『蛮骨…?』
「…!!名前っ!?」
びくりと体を震わせ、頭を上げた蛮骨は私の姿を見るや否や目を見開いた。そこで初めて気が付いたことだが、彼の目の下には薄っすらと隈が出来ており、顔は完全にやつれている。
『あの、蛮骨…』
ちゃんと謝らなくては、勝手なことをしてみんなに迷惑をかけたことを…。
意を決して口を開く。
しかし、ごめんと紡ぎかけた言葉は思わぬ形で途切れることになった。
蛮骨は私に冷ややかな視線を向けていたのだ。こんな表情、今まで見たことがない。
「何で来た」
『え……』
「のこのこあんな所まで出て来て死にてぇのか」
『……ば…蛮骨…?』
その威圧感に声が震え出す。
機嫌を損ねた蛮骨が蛇骨たちに対して声を荒げる、その時の表情とはまるで違っている。
「…初めておめぇのことを見損なった」
彼は本気で怒っているのだ。
冷たい目をして不気味なほど静かに言い放つ蛮骨を前にして返す言葉が見つからない。
馬鹿野郎、と一喝されてゲンコツひとつ貰った方がどれほどよかっただろう。
『ごめんなさ…っ』
私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。蛮骨にこんな顔をさせてしまうなんて…。
それが悲しくて頬に涙が伝った。こんな時に泣くべきではない、泣いて済まされるはずがない。それは重々理解しているのに、意に反して涙が次々と溢れ出てくる。
どうしたらいいだろう。
いくら考えても答えは見つからずに。
遂には俯き、静かに涙を零すことしかできなくなった――、
「馬鹿…どれだけ心配したと思ってる」
そんな私の元に降ってきたのは悲しみに満ちた声。先程の氷のような冷たい声とはまた違うもの。これには驚き反射的に顔を上げるけれど、彼の表情を確認することはできない。
何故なら目線を上げるその前に彼に抱きしめられたから。
「……初めて怖いと思った」
『…え?』
「おめぇが戦場のど真ん中にいて、目の前で斬り掛かられそうになった時初めて……」
腕の力が更に強まる。
「おめぇがいなくなることが何より怖い」
掠れた声で紡がれたその言葉は私の胸を強く打つ。
ぽろり、再び熱い涙が流れた。しかしそれはもう悲愴からくる涙ではない。
『ごめんなさい…』
謝罪とともにずっと心に秘めていた言葉を紡いだ。
みんなが戦ってる傍らで何もできない自分にずっと負い目を感じていたことや、少しでもみんなの支えになりたいと思ってきたこと――。
『みんなの仲間である証が欲しかった』
「名前…」
『でも、結局迷惑をかけただけだった。私なんかじゃみんなの力にはなれなかったよ』
溜息とともに虚しい笑みを漏らす。
だが、その刹那に私の背中へと回っていた腕の力が弱くなる。
そうして漸く体を離して見せた彼の表情はしかめ面で、思わず首を傾げた私の額を彼は指で弾いた。本人は軽い力を加えただけのつもりだろうが、彼の力は常人とは桁外れている。正直、私は首が飛ぶかと思ったのである。
『イダッ!』
「自分を貶すのはおめぇの悪い癖だ。私なんかっつーのはやめろって常日頃言ってんだろ?」
『だ…だって…!』
「だって、じゃねー。いいか、俺たちはいつもおめぇが笑って送り出してくれるからいい気分でいれるんだ」
頬に残る涙の跡を拭いながら彼は言う。
「おめぇの笑った顔が俺たちの、俺の支えになる」
だから笑え、――と。
唖然とした。私が笑えばそれだけでみんなの支えとなれるというのか。最初こそ馬鹿馬鹿しいとも思ったりもした。
だけどふと思い出したのだ。
笑って手を振り送り出す私にみんなはいつも笑顔を向けてくれていたことを。
私は口元に意識を集中させ、グッと口角を上げてみた。
『……どう?』
「……ブッ!!」
『えっ、何で笑うの!?』
「何だよ、その顔…不自然極まりねぇよ!」
『う…煩い!!』
腹を抱えて笑う蛮骨の腕を殴ってやる。
けれど、どうやらその間にも自然と笑みは浮かんでいたらしい。いつもの蛮骨に戻ってくれた安心感からか少し緩んだ私の頬をむにっと軽く摘まんで彼は言う。
「俺はおめぇの笑った顔が好きだ」
だから、いつまでも傍で笑っていてほしい。
その台詞に不覚にも顔を紅潮させた私に彼は優しい
笑顔をくれた。
fin
(後書き)
お読みいただきありがとうございます。今回はきなこさまからのリクエストで「本気で怒る蛮骨」のお話を執筆いたしました。
怒りの表現は人それぞれ。爆発的に声を荒げて怒る蛮骨も想像したのですが、今回は敢えて静かに怒らせてみました。けれど蛮骨が怒るのはヒロインが本当に大切だから。やっぱりハッピーエンドが一番!ってことでほんのり甘い感じで締めてみましたがいかがでしょうか。
お気に召していただけたら嬉しいです。大変長らくお待たせいたしまして申し訳ありません…!この度は企画へのご参加ありがとうございました!
2013/02/24 蓮
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