例えば、リビングの扉を開けた瞬間、いきなり視界に広がった青い海原(うなばら)だとか、空に浮かぶ入道雲があったとして、君はどこでもドアの存在を信じるか。
まぁ、信じる信じないかの前に確実に目の前に寝そべっている問題点はそんな事じゃぁないのだけれども…人間いざとなったら現実逃避もするもので、視界に広がった自分の知る見慣れた家内ではない広大な海がたゆたう光景に、抱(いだ)いた感想は海、行きたいなぁぐらいのものであった。
さて、最後に海に行ったのは何時だったか。海と言っても潮干狩りに行ったっきりで別段泳いだりはしていない。
小学生の頃に家族旅行で、中学1年の頃には郊外学習で、共に海に隣接した砂浜会場は、思い出す限り海であって海とは言い難(がた)かった。今年の夏休みあたりには行ってみたいものだ。

まぁ、その海が目前に広がっていたりするのだけれども…

「…い、おいってば!」
「っは!」

現実逃避していた思考にダイレクトな男の声が響いて、思考は現在へと呼び戻される。

「ええっと、はい。…わたくしに話しかけてます?」

思わず啓上語になったのはご愛敬とでも言っておく。私ですか、なんて聞かなくても男の片腕は自身に向かって延びており、その手はしっかりと肩を掴んでいた。ここは何処で私は誰だののお決まりな台詞を吐こうかとも考えたのだが、残念ながら自身が今の状況を一番理解していた為言えず仕舞いに終わってしまう。きっとこの先言えるタイミングなんか早々ない。

「っあーーーーー!?」

ぐる眉男性が口を開閉し掛けた直後、女性の悲鳴にも近い声が下方向から上がりビクリと身体が跳ね上がった。男も驚いたのか肩を掴んでいた手が反射的に外れる。
圧迫感が抜けて、声のした方に振り返るとオレンジ色の髪のナイスバディな女性がこちらに人差し指を向けていた。怒気を孕んだ表情。興奮からか身体は戦慄(わなな)きこめかみあたりが引き吊っている。
多分、原因は“私”にある。なんとなく呼び出しを喰らった生徒よろしく女性の前にすごすごと移動した。途端胸ぐらを掴まん勢いで、女性は未だに指差しされた人差し指で額を盛大に突ついてきた。

「あ・ん・た・ねぇ〜!」
「うぁっ!ちょ、お…えぇ?」

一言一言区切る度に額を小突かれて訳も解らず狼狽える。失踪していた間。あちらの時間では五日でも、こちらでは十二時間しか経っていないとは言え赤の他人である自身がたった半日消えていただけで何故にそんなに突っかかられるのか。
一体全体自分が何をしたと思えど、それが声になることはなかった。口答え等させる間もなく女性は尚も額を小突いてくる。

「今まで何処に行ってたのよ!トイレに行くって言っときながら、あんたまさかとは思うけどあたしのお宝盗もうとしてたんじゃないでしょうね!!?」

…ああ、さいですか
道理で気が立っているわけである。
要は失踪していた間宝を探してたんじゃないかと疑われていると言うことか。自身に向けられた苛立ちの正体が解るとほっと胸を撫で下ろした。
と言うかあたし“達”ではなくあたし“の”とはいかにも彼女らしい。そう言えば彼女は無類のお宝好きの設定だった。設定、だとかコスプレ、だとかと未だに付けてしまうのは最早習性だか習慣に近い。ともすれば癖だ。今更だろ、とは思わずにそこは多目に見てもらいたい。

「えぇっと…家?」
「はぁ?!」
「家…に、帰ってました」

言うなり奇妙な目付きをされた。女性が自身の後ろに立つぐる眉男性に視線を向けている。行動の一つ一つが何言ってんだコイツ、と雄弁に物語っていた。

「意味解んないんだけど…」

はい、私も意味が解らないです。声無き声で賛同する。
トリップするにしたって随分と中途半端な能力なのには当人も困り果てている有り様だ。
トリップとは、主に異世界に別世界(この場合現実世界も該当する)の自身を無理矢理だか唐突にだか神様だかの力を行使して放り込み、登場人物として投影した物語の大まかな括りの名称である。別名ドリーム。又は夢。言ってしまえば二次元の産物だ。
最近では成り代わりと言って、物語の登場人物に成りきりその人の人生をなぞるといった内容のものまであるらしい。創造力が豊かと言うか、乙女の思考力は凄まじい。
とにかく、今自身の見に起きている出来事は二次元で言うところのトリップ現象に分類されるのだろう。多分。多分と言うのも、実のところこれをトリップと呼ぶべきか春は判断し兼(か)ねていた。
そもそもトリップとは先程も述べたようにおおまかに説明すると異世界(二次元)にジャンプ(飛ぶ)する事を言う。その点においては該当するが、自身の様に行ったり来たりするものではない。それも複数の世界と来てはトリップ系と云うよりはホリック系ではないのか?とも思うのだ。
ホリックとは有名処で言えばレイ〇ースだとかカード〇ャプターサ〇ラだとかを手掛けた某有名作家陣の作品の一つである。
主人公である少女の心の欠片が亜空間に飛び散り様々な世界に散ってしまった為、それらを集める為に複数の異世界を旅すると言うような内容で、この記述からして実地体験的に言えば“様々な世界”がキーワードだ。
かなりおおまかな説明なので理解に苦しむかもしれないが、ようは多種世界を旅…移動する話とでも想像していただければそれでいい。百々(とど)のつまり、ホリック系とはそう言う事だ。
まぁ現状と見比べてホリックとも違う部分はあるにはある。それは、作中のルールの一つ。一回行った世界には二度と戻れないと言う点である。が、私は私で見ての通り。同じ世界に二度目の来訪を遂げていた。
理解に苦しむ現状。状況は極めて稀(まれ)である。
他愛ない会話事態に焦(じ)れる程には、今の自身には一分一秒ですらも惜しくって。でも、自分の力だけではどうしようもない事態に、戸惑いよりも先に、手足から急速に血の気が引いていく。
変態奇術師との遭遇。あの時に感じた恐怖なんて比ではない。腹の奥がざわざとする感覚に吐き気めいた物が喉に溜まり始める。それは確かな恐怖であり怯えであり、絶望だった。




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